子がわれかわれが子なのかわからぬまで子を抱き湯に入り子を抱き眠る
河野 裕子
ああ、これは若いお母さんの歌だなあ、と思う。子供が自分なのか、自分が子供なのか、分からなくなるほど一体化して夢中で子育てしている様子がまざまざと浮かぶ。この夢中さは、若いときでないと得られないものだ。
晩婚化が進み、それに伴って出産年齢も高くなっている。ある程度、自分の仕事を達成したり、人生経験を積んだりしたうえで、子供をもつことはよいことだ。落ち着いて自分と子供を見つめながら、ゆったりした時間を楽しむ余裕ができる。けれども、子育てはそう単純なものではない。情報化時代の今、育児に関する知識や情報はいくらでもあるが、それが却って親たちを混乱させたりもする。そして、年をとると、当然のことながら体力がなくなってくる。
息子を保育園に通わせていた頃、私は30代前半で、今から思えば随分若かったのだが、ふと深い疲れを感じることもあった。遊び足りない子供が近所の小学校の校庭で駆け回っていた夕方、追いつこうと走っていた私は、ぱたりと止まった。息が切れて、もう追いつけない。嬉々として駆けてゆく子供の姿が遠く見えたとき、この歌を思い出した。
晩婚化の一方で、非常に若くして産むお母さんたちも増え、出産年齢の二極化が指摘されている。うんと若いときの子育ては、知識も経験もなく戸惑うことが多いかもしれない。「もっと遊びたかった」「満足するところまで仕事をしたかった」という後悔を抱くこともあるだろう。しかし、小さな子供と一緒に成長する喜びや熱といった贈りものがきっと与えられるはずだ。
☆河野裕子歌集『桜森』(蒼土舎、1980年8月出版)
さっそく何人かの方に教えてしまいました。更新をチェックして楽しみに読ませていただきます。
なんかブログって、屋台みたいな感じがしています。
ごちそうではなくても、ちょっと嬉しくなる美味しいものをいつも準備できれば、なぁんて思っています。