
「不思議、大好き」というコピーは、本当に素敵だったと思う。子どもも、おとなも、「不思議」が大好きだ。「不思議」とは、センス・オヴ・ワンダーであり、文学にも科学にも必要なものだと私は思っている。
分子ひとつの決意はいつも正しくて金平糖の角がふくらむ
「やすたけまり」という、ひらがな書きの名前の歌人は、とてもやわらかい言葉で「不思議」を詠う人だ。この金平糖の歌も、すっと読めてしまうけれど深いものを秘めている。
寺田寅彦の随筆に「金平糖」という一篇がある。金平糖の製造過程において、角のような突起が生じる物理的条件をあれこれと考察した内容だ。実のところ、金平糖の角ができるメカニズムはまだ完全には解明されておらず、今もいろいろな研究が続けられている。
この歌の「分子ひとつ」の擬人化は決して甘いものではない。私たちはその「決意」の堅固なこと、美しいことにうっとりさせられる。見えない力によって砂糖の結晶が突起を伸ばす現象の、何と不思議なことだろう。
こうしたセンス・オヴ・ワンダーは、彼女の歌の本質だ。
地球ではおとしたひととおとされたものがおんなじ速さでまわる
ながいこと水底にいたものばかり博物館でわたしを囲む
なつかしい野原はみんなとおくから来たものたちでできていました
「おとしたひと」「おとされたもの」は、地球外から見るなら「おんなじ速さでまわる」存在である。「ひと」も「もの」も「おんなじ」であると見るまなざしに魅了される。博物館において「わたしを囲む」のは、化石標本だろう。化石は、海や湖だったところに生物の死骸が沈み、その上に泥や砂が堆積した後、長い歳月を経て出来たもの、つまり「ながいこと水底にいたもの」なのだ。「なつかしい野原」には、セイタカアワダチソウのような外来種の雑草ばかりが生えていた。そのことをおとなになって発見すると、何か郷愁と悲しみが入り混じった奇妙な気持ちを味わう。
ニワトリとわたしのあいだにある網はかかなくていい? まよ
うパレット
本棚のなかで植物図鑑だけ(ラフレシア・雨)ちがう匂いだ
凍らせた麦茶のなかにもっている ゆがんで溶ける水平線を
出版されたばかりのこの歌集には、「幼ごころ」がたっぷりと詰まっている。幼ごころというのは幼稚なものではない。真実をまっすぐ見つめるまなざしを持ったものだ。センス・オヴ・ワンダーに満ちた世界を描き出した、この歌集がたくさんの人に届きますように。
☆『ミドリツキノワ』(短歌研究社・2011年5月、1700円)
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石垣島は、もうすっかり夏ですか?
ええ、もちろん夏本番です。こちらにいらっしゃることがあれば、ぜひご一報くださいね。
歌集名もステキです。
ねっ!不思議でステキな歌集です。
冷奴さん、
短歌は俳句よりも長い分、センス・オヴ・ワンダーを盛り込みやすいかもしれません。なごみの歌、たくさんの人に伝えたいです。
『短歌研究6月号』の詠草欄に『大女伝説』の装幀を詠った一首を入れた五首を投稿したのですが、残念ながら、一首だけしか載せて頂けなかったので、ブログにまとめて載せました。
そこで、『大女伝説』の中から五首を引用して紹介させて頂いています。
どうぞ、ご覧になって下さい。そして、こんな風に載せない方が良い場合は削除しますので、おっしゃってください。
ブログは、はてなダイアリー「雨音につつまれて」です。
一つ前の記事に、「アカショウビンの目」を短歌に詠んだものも載せています。こちらのブログでアカショウビンが紹介された時に「利かん気な目」をしているとコメントさせていただきましたが、その後、こんなとても個人的な歌を作ってみました。合わせて見て頂ければ、とてもうれしいです。
ブログ「雨音につつまれて」で拙著を紹介してくださり、本当にありがとうございます。
表紙とカバーに分けて写真を載せてくださったのも感激です。本や装丁にかんする歌5首、とても素敵だと思いました!お子さんの装丁家になる夢、遠くから応援しています。
昨日、「短歌研究7月号」が届きました。作品20首を拝見しました。そして、葛原妙子の「神殿の稲妻ならねラジウムの・・」「奔馬ひとつ冬のかすみの奥に消ゆ・・」などを思い浮かべておりました。
「目を閉じて頭を垂れよ祈りとは・・」の歌の後に、川野里子さんの「・・ああ空を見上げゐること祈ることなり」という歌を拝見して、祈りの対照的な姿を思いました。
イエスの時代には空を仰いで祈ることも多かったようですね。でも、今の私達の心情には頭を垂れる姿の方がしっくりとくるような気がします。
自分の力で行動できる時は意気揚々としていますが、無力感に苛まれると、キリストの十字架の下に帰ってきては項垂れています。もっとも、そんな時は私など、祈ることも忘れていますが・・。
でも、そうしていると、「そうだ、キリストも無力のままに十字架に掛かられたのだった」ということに思い至るのです。そうして、意気揚々とはいきませんが、よろよろとでも生きるために、また立ち上がろうと思うのです。不思議なのですが・・。
金平糖の歌を読んだとき、作家の石牟礼道子さんの対談の中の、この言葉を思い出しました。
生命の「いじらしさ」というものが、子供だけではなく、大人がこの世を生きるための、「解毒剤」のひとつかもしれません。
この「解毒剤・・センス オブ ワンダー」を守るために、レーチェル カーソンは、『センス オブワンダー』とともに、『沈黙の春』を命がけで書き上げ、闘わねばならなかった・・というのは哀しい現実で、3.11後、私たちにも、その覚悟が試されているようにも感じました。
松村さんの解説がなければ、この歌の奥深さはわかりませんでした。ありがとうございました!
何だかおいしそうな金平糖ですね!
ちょっとつまむと子ども時代に帰れそうです。
よいかおりさん、
「祈り」というものの力は、言葉の力でもあると思います。言葉という形にして初めて、思いは何らかの力、エネルギーを伴ったものになるような気がします。
風さん、
素敵なコメントをどうもありがとうございます。
私たち誰もが、未来を描く想像力を求められているのではないかと思います。
素晴らしいことも、起こるかもしれない恐ろしいことも。
人の思いにも、自然の素晴らしさにも、いつも喜ばしい驚きを感じる自分でありたいと思っています。
小学一年生の教科書で見て以来、忘れられない花です。
実は悪評高いみたいですね。一度本物を見てみたいのだけど。花博のガラスケースでなく、密林の下草のなかで。
といいつつ、この歌を見たら、植物図鑑もいいなあと思えてきました。教科書の挿絵にときめいたあの日の気持ちに戻れるでしょうか。
そうおす、私も小学生のころ、学習漫画か何かでラフレシアを見た記憶があります(教科書だったのかな?)。
一緒に実物を見に行きたいですね!