何もせぬ男を父よと子が呼びぬ不意に怒りは子へも向きゆく
森尻 理恵
人間とは不思議なもので、自分以外に誰もいなければ一人でいろいろなことをやりおおせるのだが、誰かが近くにいて、自分がきりきり舞いをしているのに涼しい顔をしていると腹が立つ。職場でも家庭でも同じである。
この歌を読み、「そうそう! そうなのよ」といたく共感を覚える女性も多いだろう。休日の午後、自分が掃除やら料理やらに追われている横で、夫は新聞やテレビを見てくつろいでいる。幼い子どもが「パァパ」なぞ甘えた声で呼びかけ、「ん? なぁに」なんて生返事をしている様子を見ると、頭にかーっと血が上る。「ちょっと! 少しは手伝ってくれてもいいんじゃない?!」「○○ちゃん、何そんなに散らかしてるのよ!!」
私は何人もの友人から「いっそ最初からいなければ、自分ひとりでやって平気なんだろうけどね」「いるとホント目障りなんだよね」という言葉を聞いてきた。そこにあるのは、夫に対するあきらめ、失望、軽い憎しみなどだった。
育児休業法が施行されたのは1992年4月。いまの日本の労働環境を思うと、男たちがいきなりスウェーデンなどの男みたいに家事や育児を分担するようになるとは到底思えない。でも、日本の女たちだって、夫にそれほど過大な期待をしているわけではないと思う。立ち働いている妻の姿が見えないかのように振る舞う無神経さが、かなしいだけなのだ。「あ、俺は何すればいい?」「洗濯もの干すの手伝おうか」といった一言、気配りがあれば女は手もなく喜んでしまう。それは愛情でもあるが、生活をともにするパートナーへの最低限の礼儀でもあろう。
たとえ「あら、いいわよ。坐ってて!」と言われたとしても、それは夫の一言がものすごく思いがけなくて嬉しかったために、つい笑顔になってしまっただけ。ゆめゆめ「彼女は家事が好きなんだなぁ」なんて思うことなかれ。女性の方も、夫が「何もせぬ男」になってしまう前に、上手に手伝わせるテクニックを編み出さなければいけないのだろう。
☆森尻理恵歌集『グリーンフラッシュ』(青磁社、2002年8月出版)
共働きで2児のパパとなった弟は、父親不在の子供時代を埋めるかのように育児家事を率先している…かたや、父親になり損なった兄は、収支のバランスを誤魔化すかのように、洗濯物を取り込み米を磨ぐ…ひょっとして、母親の呟きがサブミリナルとなっているのかも(笑)
幼い日の回想、しみじみと読みました。「と〜ちゃん」とすり寄っていたら、お母さんから叱声が飛んだかもしれませんよ! いや、しかし、世代もあるから、ご両親のことは分かりませんね。
こびんさんの弟さん、頑張って!
世界中の女性があなたの味方です。