
子を抱きて穴より出でし縄文の人のごとくにあたりまぶしき
花山多佳子
子どもが赤ん坊のころ、女の世界は小さい。子どもは、おっぱいだけでなく、母親の時間をむさぼって大きくなるから、必然的に女は子どもの世話に明け暮れる。たまに外出すると、何だか外の世界がまぶしい。自分と子どもだけの狭い穴ぐらに閉じ込められていたような気持ちになってしまう。
産休や育休を取得して職場を離れている女性たちは特に、こんな気分になるに違いない。かつての同僚たちがはつらつと働いている様子がまぶしく、乳臭くなった自分が鈍重な生きものに思えてならない。「ああ、私も以前は手帳にスケジュールをびっしり書き込んで、飛び回っていたのに……」
けれども「縄文の人のごとく」生活するというのは、何と豊かなことだろう。自分の食べるものは自分で調理し、子どもの体温と共に眠る。季節の移り変わりに伴う空の色の変化を感じ、風のにおいをかぎ分ける。小さな世界は、充分に深くて濃い時間に満ちている。
今の時代、小学生にもなればお稽古ごとに追われ、なかなか「縄文」の子どものようにはいかない。男たちもなおのこと、忙しいことを誇りのようにせかせかと生きる。縄文時代のようなゆったりとした時間をもつことは、女たちの強みと思いたい。職場復帰すればみな育児と仕事の両立に忙殺されてしまうのだが、一度でも経験した「縄文」の時間は、心の隅でずっと美しい光を放つに違いない。
☆花山多佳子歌集『楕円の実』