膝の上の温き重さの甦る通勤電車の座席に沈みて
森尻 理恵
保育園に子どもを預けて働く人にとって、通勤時間は親から勤め人に変わる大事な時間である。
子どもは時々、別れ際に大泣きすることがある。そんなときは電車の中で「何でこんなつらい思いをしてまで働いているんだろう」と勤務先に着くまで悶々としたりもするが、通常は子どもと別れた途端に頭の中が切り替わり、「ええと、今日すべきことは……」と仕事モードになるものだ。
ところが、思いがけなくぎゅう詰めの電車ですわれた作者は、膝の上の温もりを思い出してしまう。大体、小さな子どもを育てているワーキングマザーというもの、そうそうゆっくりすわっている時間がないのだ。電車の中では立ちっ放しだし、家に帰れば夕食の準備や洗濯に追われ、ほとんど休む暇がない。ほっと息をつけるのは、子どもを膝に抱いて絵本を読んでやるときくらいなのである。だから、珍しく電車ですわれた作者は、「あれっ」という感じで子どものいない空っぽの膝を奇妙に感じてしまったのだと思う。
「温き重さ」は、小さな子どものみっしりと熱い体を思わせてリアルだ。「沈みて」には作者の疲れが表れている。「一日でいいから何も家事をせず、たっぷり眠りたい」と思わないワーキングマザーはいないだろう。そんな疲れを抱えた通勤電車の中で、やっぱり子どものことを考えてしまう母親の愛情が、しみじみと伝わってくる歌である。
☆森尻理恵歌集『グリーンフラッシュ』(青磁社、2002年8月出版)
「子どもを預けて働く人」と書いたのは、「女」ってすると角が立つと思ったからなのに。
もしかして、男って、モードが1つしかないんじゃありません?
ひと月に「打ち上げ」の3つもあって、しかも人事異動で人手不足ときた日には…。こんな時間に帰ることになるんだよねぇ。子どもが二人いる家の中がどんなにばたばたかも知らずに。そして歌も作れずに。反省反省そして瞑目。