ブランデー垂らして甘く煮含めたき栗名月の冴え冴えとあり
このところ、ブログの更新もせずに私が何をしていたかというと、栗を煮るか、若桑みどりさんの『クアトロ・ラガッツィ 天正少年使節と世界帝国』を読みふけっているか、どちらかであった。
若桑さんの名著について語り出すときりがないので、まずは栗のこと。会社を辞めて時間ができたのが嬉しくて数年ぶりに栗を買い、ネットで「栗の渋皮煮」を検索してみた。一番外の硬い鬼皮のみ剥いて、渋皮までじっくり甘く煮含めるというものなのだが、驚いた。どこのどなたかも分からない謙虚な方たちのご自慢のレシピが、出てくるわ、出てくるわ。
最もよさそうなレシピに従って、丁寧にプロセスを追って作っていく。そのうちに、欲が出てくる。「もう少し大粒の栗で作りたい」「渋皮にかすかな傷もつけずに鬼皮を剥きたい」「香り付けにラム酒だけでなく、少量の醤油を垂らすと、カンロ飴みたいでおいしいみたい」とどんどん探究心(?)がエスカレートしていくうちに、渋皮煮の収められた大小の瓶が8つにもなってしまった。
そういえば、私は産休中にチーズケーキに凝り、1週間に8ホール焼いてしまったことがあったっけ。うーむ、小人閑居して何とやら。
ともあれ、手仕事をしていると、何だか心が安らかになる。秋の夜長、そーっとそーっと栗を剥いたり、ことこと煮詰めたりするのは、本当に楽しい。しかし、先日買った栗は、大粒だったけれど虫喰いが多く、季節の終わりを感じさせた。一年中、栗があればいいのになあ、とため息をつきたくなる。
結構忙しく出歩いております。
新聞の歌は「競泳」ということで、ちと張り切りすぎましたか……。