たゆたうような身体感覚が詠われていて、気持ちのいい歌集だ。
それがよく表われているのは、ダンスの歌かもしれない。作者はベリーダンスを習っており、前の歌集のあとがきで「短歌を作ってベリーダンスを踊っている女は、日本で私一人じゃないかなあと少し自負している」と書く。
レバノンの曲に合わせて舞うときに古き時間が身体をゆする
草の上で踊ってみたいと思うとき遠いところに腕は伸びたり
踊りを習ったことのある人は、共感しやすいだろう。自分の手足が思うように動かないもどかしさ、そして、あるとき自分の思いを離れて手足がのびやかに動く喜び。この二首には、音楽に身をまかせる心地よさ、遠い異文化に浸る豊かな気持ちが、たっぷりと詠われている。踊る幸福感が五七五七七のしらべに乗った面白さも見逃せない。
オペ室に我だけ素足 アジアの食器かたかたと運ばれる夢
眼底をしばらくルーペで見られたり 湖になった気がする
不調を抱え病院に通うこともある作者だが、自分の身体を奇妙な存在として見つめるまなざしが面白い。「オペ室」の歌では、素足でいることの心細さと、アジアの女たちと自分がつながる意識が、うまく混ざり合っている。「眼底」の歌は、発想の飛躍が思いがけなくて、くらくらする。どちらの歌も、自分の存在がひどく危ういものに感じられ、遠近感をなくしたような気分にさせられる。
ねっとりと樹の蜜垂れて光る昼そこに私は吸い込まれたい
残業とう時間私にもうなくて山あじさいの暗がりにいる
幼い子ども二人を育てつつ、この人は何と豊かな時間を過ごしているのだろう。子育ての歌もよいが、暮らしの中のふとした出来事に自分の深いところとの共鳴を感じる歌の数々に惹かれた。
☆前田康子歌集『色水』(青磁社・2006年7月出版・3000円)
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