2006年11月22日

畑彩子さんの歌集

『卵』

KICX0776.JPG

 子どもを産んでも、私は私−−。そんな静かな決心が伝わってくる一冊である。母になったことを喜びながらも、何かを頑なに抱き続けている作者なのかもしれない。

  どこへでも胎児をかかえあゆみゆく春のかなたに春を生みたし
  テディ・ベアよりちいさな足でわれを蹴る子よ平凡な男となるな

 「春のかなたに春を生みたし」という大らかな宣言は、妊婦のたくましさを思わせて微笑ましい。けれども、「どこへでも胎児をかかえ」てゆくのは結構しんどいことなのだ。一度かかえたらもう離せない、だから女は強くならざるを得ない。
 「平凡な男となるな」というのは、小さな息子に早くも「男」を見ているまなざしが愉快だ。この作者はもともと洒落た恋の歌の名手であり、その本質は変わっていない。

  雨の日にはじまる恋ははかなくてヒュー・グラントももはや中年
  卵黄を呑み込むようなキスをして別れた人をいちばんあいした

 ヒュー・グラントと言えば、英国出身の甘い顔立ちの俳優である。ちょっと頼りなさそうな感じが女性たちに人気のある理由かもしれない。その彼が少し老けたことと、雨の日、はかない恋を取り合わせ、もう若くはない自らをも重ねた手腕は見事。
 ディープキスを独特の比喩で表現した二首目には、どきどきさせられる。「いちばんあいした」のに別れた、という悲しみではなく、「いちばんあいした」から別れたのよ、とでも言いたげな物憂げな雰囲気が漂う。

  わたくしが小さなこどもをなくす朝 光と医師と夫を憎む
  わがうちにひろがりすぎる湖(うみ)ありてしばしば夫の姿失う

 誰からも一人でいたいような孤独感、自分でも持て余してしまうほど押し寄せてくる感情の波。たぶん人は、結婚しても子供をもっても埋めることのできない空白を抱えて生きるしかないのだろう。それでも、ここには人と生きる喜びと幸福感が豊かな色彩で描かれている。

☆畑彩子歌集『卵』(ながらみ書房・2006年9月出版・2730円)
posted by まつむらゆりこ at 08:34| Comment(2) | TrackBack(0) | 歌集・句集の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
ついつい子育て短歌にはコメントしたくなっちゃいます。。
「子供を産んでも私は私」というフレーズに、ちょっとどきっとしました。
子供の、愛らしさや目を見張る成長ぶりに感動する気持ちは十分わかるのですが、最近の子育てブログブームに辟易している私としては、子供を見る目線を詠んだ歌や、母でありつつも「空白を抱え」ながら生きるその瞬間をとらえた歌には、本当の共感を覚えます。
世の中には素敵な短歌が沢山あるんですね!
Posted by くり at 2006年11月25日 00:21
松村さん、ごぶさたしています。
さいたまの短歌賞を受賞されたとのこと、おめでとうございます。
また、歌集をとりあげてくださり、丁寧でこまやかな批評をしてくださってありがとうございます。
とてもうれしいです。
これからもこのHPを楽しみにしています。
Posted by 畑彩子 at 2006年12月21日 14:32
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