
仕事で時々東京へ行く。そのとき一番いやなのは、人込みでも空気の悪さでもなく、ハイヒールを履くことである。会社を辞めてよかったことはたくさんあるが、ハイヒールを毎日履かずにすむようになったことは五本の指に入るかもしれない。
ハイヒールで鋭(と)くも働くことなくて歪まざるまま老いてゆく足
米川千嘉子
株式会社の取締役にまで上り詰めた友人がいる。大変に優秀で、よく呑みよく遊ぶ豪快な女性である。その彼女が石垣島のわが家に遊びに来てくれたとき、夏だったから到着してすぐ素足になったのだが、足元を見てはっと胸を衝かれる思いだった。本当に、外反母趾の典型のように変形していたからである。
ワーキングウーマンには、男性たちに分からないさまざまな苦労がある。育児や家事との両立以外にも、月経やその前期のコンディション調整、組織で目立ちすぎないファッションの選択……そして、ストッキングとハイヒールを履く苦痛など。通勤電車で何が何でも坐りたくなるのは、全身の疲れというよりは足の疲れが理由なのだ、女性の場合は。
この歌の作者も、足が変形した人と会う場面があったのだろうか。健康な形の足は誇るべきものでもあるだろうに、作者はハイヒールで闊歩して働く人生があったかもしれないことを少し寂しく思っている。「歪まざるまま老いてゆく」ことの“歪み”を見つめているような屈託がかすかに感じられる。
女たちの隠された足の形を思うとき、須賀敦子『ユルスナールの靴』の冒頭部分がよみがえる。「きっちり足に合った靴さえあれば、じぶんはどこまでも歩いていけるはずだ。そう心のどこかで思いつづけ、完璧な靴に出会わなかった不幸をかこちながら、私はこれまで生きてきたような気がする。――」
二十数年会社勤めをした私の足は、そこそこハイヒールに痛めつけられたものの外反母趾にはなっていない。今は毎日ビーチサンダルを履くのでよく日焼けしているのだが、鼻緒に隠れる部分がくっきりと白く残っているのがご愛嬌である。
*米川千嘉子歌集『あやはべる』(短歌研究社、2012年7月刊行)
あっ、本当にそうですよね。どうして、あのスタイルが日本に定着しないのか不思議…という私もそうする勇気がありませんでしたが。
私もそうですが、男性は踵に水がたまって痛くなりやすいです。
それで、短歌に転向…というわけです。
おお、男性も場合によっては足の悩みを抱えるのですね。ちっとも知りませんでした!教えていただいてよかったです。しかし、社交ダンス→短歌、という転向、かっこいいですね。
あるブロガーさんの句を本歌にして作った句なのですが、ブーツが冬の季語になくて、最近、
ヒール高きサンダル脱いで星キララ
に変更。
若い頃は高いヒールの靴を履いていましたが、150cmという身の丈に合わせていつの間にかベタ靴になりました。家の中にいることの多い私の足は、外反母趾とは全く無縁の足です。
でも、娘の足は子どもの頃から外反母趾の様相を呈していました。ワーキングウーマンという言葉はあまり似合わなかったけれど働き通しだった母の足は凄まじい外反母趾でした。娘の足は隔世遺伝かな、と。
足の形、そして変形しやすさにも遺伝があるのですね。日ごろ隠れているところなので、外反母趾の足を見ると、どきどきしてしまいます。あっ、南の島ではみな裸足なんですけれどね。
「耐えかねて夜の電車にそっと脱ぐパンプスも吾もきちきちである」を覚えていてくださり、嬉しいです。
纏足について思いを馳せるワーキングウーマンは少なくないと思います。
「靴をはくパパラギ(白人)の足は死にかけている」というくだりを。
「文明」というしがらみから解放された南の島の暮らしがうらやましいです。
欧米の人も外反母趾に悩むらしいですね。それでなくとも、高温多湿の日本では革靴は不快なのに…と思います。
短歌っていいなぁ〜
私もよめるようになりたいと思います。
読む人に想像の余地を与える、
控えめなところが素敵。
私も最近、ヨガ教室で外反母趾の人が
あまりに多いのに驚いていたところです。
なんで、こんなになるまで、
ハイヒールやパンプスをやめなかったんだろう、どんな事情があって、あんな靴を履き続ける理由があったんだろうかと、
なかば悲しくなってしまいます。
私も昔はストッキングにパンプス、
はいていましたけど、
痛いほどのは履きませんでした。
交通事故で足を負傷してからは、
めったなことではパンプスは履きませんが、
それもまた、女を放棄したようで、
やや悲しかったりして、
ここぞというときは(笑)
痛くなるのを覚悟の上、履きます。
「パンプス」は「鳥女」の中で見出しになっていましたね。
わかるわかる! 苦痛だけど、履かないと「女を放棄したよう」な気分になるって、ジェンダーの根深さなんでしょうかねえ。結局それがあるので白髪を染めたり体重を気にしたりしちゃうんです……
KobaChanさん、
古い作品を思い出してくださって、本当に感激しています。「鳥女」のころ、自分でもなつかしいです!