
この間、30代の友達が、パートナーとけんかした時のことを話してくれた。「おまえ、って言われてもう悲しくて。私にはちゃんと名前があるのよ!」と大粒の涙をぽろぽろこぼす彼女を見て、「ああ、私とおんなじだ」と思った。以前、こんな歌を作ったことがあるからだ。
両膝を抱えよ肩は寒くともお前と呼ばれる恋遠ざけて
何がイヤなんだ、と訊かれても困る。別に「対等な感じがしない」とか「ジェンダー的に…」なんて構えているわけではないのだ。生理的な嫌悪というのが一番近いだろうか。「おまえ」と同様、「あんた」も嫌いだ。20代のころ、恋人から言われた時に、「アンタって言わないで!」と金切り声をあげたことを覚えている。
しかし、すべての女が「おまえ」が嫌いなわけでは、勿論ない。
年下の男に「おまえ」と呼ばれいてぬるきミルクのような幸せ
俵万智『チョコレート革命』
「おまえとは結婚できないよ」と言われやっぱり食べている朝ごはん
俵万智『かぜのてのひら』
「おまえ」に何とも言えない温かみや親しみを感じる人も少なくないだろう。また、状況や口調、声音などが関わっていることは確かだ。同じ「バカだなぁ」というひと言だって、愛情たっぷりの睦言にもなれば、軽侮のこもった冷たい嘲りにもなる。
けれども、人それぞれの語感というものは抜き難くあり、「この言葉は嫌い」「これだけは言われたくない」というものがあると思う。難しいのは、そんな言葉を集めたリストみたいなものは存在しないので、「この人にこの言葉を言うと、それだけで傷つけてしまう」ということは、年月をかけて探るしかないことだ。その一方で、「その言葉、きらいなの」「そういう言い方はやめてほしい」と、大事な人に勇気を出して伝えることも必要だ。
私がつれあいから言われて、とてもショックだったのは、「おためごかし」という言葉である。自分の行為についてそう言われ、返す言葉がなかった。去年1回、そして、つい先日言われ、「あ、また…」とへこんだ。
今に至るまで、そのことを伝えられずにいる。かつて「アンタって言わないで!」と逆上したのは若さだったのかな、と思う。恋人はとても驚き傷ついただろうが、ああいうふうにぶつけられたのは幸せだったのかもしれない。
*松村由利子歌集『薄荷色の朝に』(短歌研究社、1998年12月刊行)
「あなた」に冷たさを感じる人もいるらしいですね。私はよく使うのですが……。二人称でさえ、こんなふうに感じ方がいろいろなのですから、本当に言葉は難しい!
毎日パートナーに「おかあさん」と呼ばれるのはいかがなものか。
「私はあなたのおかあさんじゃない!」とキレながら、相手に向かってつい「おとうさん」という私。
お互い今更別の呼び方もできなくなった。困ったものだ。今後変わるとしたら「おじいちゃん」「おばあちゃん」か…!?
あ、再開おめでとう。早く言ってよ〜。
ご無沙汰して、本当にごめんなさい!
「相手と状況次第」というのは全くその通り。それでも、「絶対口にしたくない言葉」「絶対言われたくない言葉」というのもあると思うのです。配偶者からの「お母さん」は、びみょ〜♪
でも、女のひとって、同じ言葉を使っても、
時と場合によって、喜んだり、怒ったり...。
とかく此の世は住みづらいと思います^^;
言葉自体でなく、相手とのコミュニケーションをよくすれば解決できる問題かな、と反省している今日この頃です……。
tokoro-11さん、
いや、ホントにそうかもしれません。お互い、気まぐれな生きものとして、笑って許し合うしかないのかな、と思います(^.^)
「おまえ」もですが、私は名前を呼び捨てされるのにもとても抵抗を感じます。父親不在だったので子どもの頃から名前を呼び捨てされることがほとんどなく、夫も私に向かっては「さん付け」で呼ぶせいか、20年ぶりに故郷に帰ってきて遠い親戚から呼び捨てで名前を呼ばれた時は、顔は笑っていましたが、心の中では「うっ!」って唸っていました(笑い)。
「おためごかし」というのも、本人に向かって直接言う言葉としては相当きつい言葉ですよね。
私は、たまに感情を発露させることはとても大事だと思っていますので、そういう時のことをさして、「ヒステリックになる」と言われると、とても心外な気がします。「私は理性的に考えて、たまに感情的になっているんだよ」と言いたくなります(笑い)。
呼び捨てにするかどうかは、育った文化、環境によりますね。私自身は呼び捨てにしない家庭で育ちましたが、いま住んでいる地域の子どもたちはみんな名前をそのまま呼び合い、よその子も自分の子のように呼び捨てにしています。それはそれで、とても温かい感じです。
ともあれ、家族って一番理解してほしい大好きな人だからこそ、ちょっとした言葉に「が〜ん」とショックを受けたりもするのだと思います。