
先日、地元の小中学校で運動会が開かれた。
小学生11人、中学生2人という小さな学校なので、親以外の地域住民も積極的に参加する。子どもの出る演目ばかりだと、プログラムがすぐに終わってしまうし、疲れてしまう。子どもたちの「かけっこ」の次は、一般のおとなたちの「1000m走」、それから子どもたちの障害物競走のような趣向の紅白戦、そして、またまた一般参加の「グランドゴルフ」――という具合に、プログラムは組まれている。
13人が紅白に分かれると、同じ人数ではなくなる。紅白リレーで走る距離を案分したり、大縄跳びを取り入れたりと、人数の少ないことが不利にならないような工夫が凝らされていて感心した。綱引きや玉入れは、来場したおとなたちも加わった合同の紅白戦となる。
子に送る母の声援グランドに谺(こだま)せり わが子だけが大切
栗木 京子
栗木さんの歌は、都市生活者の感覚を偽悪的に描いていて、時代の雰囲気もよく表れていると思う(歌の収められた歌集は1994年に出版)。「わが子が大切」なのはいつの時代も同じだが、「わが子だけが大切」という本音をあらわにするのは憚られる。しかし、小学校受験などが熾烈になり、少子化が進む今、どんな親の心の底にも「わが子だけが」という少しばかり暗い気持ちが潜むことを、この理知的な歌人は鋭く表現したのだ。
ふだんからよその子を下の名前で呼び合っているこの地域では、自分の子以外の子どもも、かなり同じ大切さで思っているのではないだろうか。違う学年の子たちが協力し合って練習しなければ、組体操やエイサー踊りなど、どれ一つとして成り立たない。学年半ばでもっと大きな学校へ転校してしまう子もいる中、どの子も本当に大切な存在だ。
私は息子の運動会を、保育園のときしか見たことがない。昨年、地域の運動会を見に行ったときには、入場行進の段階で涙がこみ上げてきて困った。けれども、今年は自分の息子のことなどこれっぽっちも思い出さず、子どもたちの一所懸命な表情に時々胸が詰まるような感激を覚えつつ、一人ひとりに声援を送った。島に移り住み、「わが子だけが大切」でないことを経験できて本当に感謝している。
*栗木京子歌集『綺羅』(河出書房新社・1994年4月刊行)
あなたの「わが子だけが大切」でないことへの感謝を今の私も同感しています。私もひとり子を産んだのですが、子は私の病気により少年期に自立をしなければなりませんでした。その時の様々な感情を越えた今、私に近づいてくる幼子のほんの小さなことにも感動しています。そして、『桜森』の頃の河野裕子さんの「自分が母親である実感に乏しい」について、今、考えてみたいと思っています。今さらでは無駄でしょうか?
コメントくださって、どうもありがとうございます。子どもはたくさんの大人に見守られて育つものだと考えています。Noraさんの思いは、例えば三ケ島葭子の子どもの歌などとも共通するものかな、と思いました。どんなことを始めるにも遅すぎるということはないはずです。
「わが子だけが大切」でないことを経験できて本当に感謝している。
このような想いを与えられた時に、感謝が生まれてくるのでしょうね。
エッセイを拝見して、良い気分になりました。
こちらのブログを、私のはてなのアンテナに入れさせていただいているのですが、返信のコメントが入れられているのが載らないようで、前の記事に、どうもトンチンカンなコメントを入れてしまいました。
いつも温かいコメントをくださり、本当にありがとうございます。よその子どもと密接に関わらなければ、どうしても「わが子だけ」となりがちだと思います。
前回の文章で書いてくださったコメントへの私のお返事は、自分で「承認」するのを忘れていたため、ずっと載らなかったのです。こちらこそ失礼しました!
母なれば、それぞれの感慨を持って、この言葉をかみ締めることでしょう。
わが子がいじめを受けると「わが子だけが大切」になってしまいます。
わが子がほかの子供たちに混じって、団子になって転げまわって、笑顔を見せて、はじめてほかの子も大切になるんだな・・・と、過去を振り返って思います。
自分の子が幸せでないと、なかなかよその子まで…というのは本当ですね。そこまでは思い至りませんでした。子どもを育てることは実に大変なことです。
最近はちょっと違うか?)電車内などで子どもが泣き叫んでいるのを耳にすると、いったいどんなしつけをしてるんだと、ついとんがってしまいがちですが、「子どもは泣くのが仕事よ」とおおらかになりたいものですね。そうやって周りのみんなで子どもを育てていきたいものです。
本当にそうですね。発達障害(という分類もイヤですけど)の子が公共の場で大きな声を出したりしても、それは仕方のないこと、なんていうのも徐々に理解されるようになってきましたし。いろんな子がいるのが当たり前なんですものね。
。。。要はそれまで子ども好きじゃなかったんですね(汗)。
若いころの自分が今の私を見たら驚くかも(笑)。
ああ、それもまた真実ですね!いろいろな体験が私たちを育んでくれるのだなぁ、と感じ入ります。
それゆえ、罪深いのかもしれません。
引用歌は、「お盆」の起源となった釈迦の高弟
目連尊者とその母の逸話を連想しました。
角川「短歌」購入し、篠弘氏との対談記事を読みました。
先人たちから学んだものを、次の世代にどう伝えていくか
考えさせられました。
また、栗木京子さんのエッセイも楽しかったです、私も電車であの場所
を通ると、同じことを考えます、私のほうがずっと若いのに(笑)
そうですね!「わが子だけが大切」というのは、本能に近いのかもしれません。それを自他ともに受け容れたうえで、よその子への情愛が培われるのでしょう。
篠弘さんのお話、本当に興味深いことがたくさんあって、とても書ききれませんでした!