しずかなる医師のことばを聞いているわれは
ひかりを産んだのだろうか
江戸 雪
友人からの年賀状に「春には家族が増えます」と書かれているのを読み、嬉しくなった。しかし、ふと「大丈夫かな、大丈夫だとは思うけれど……」とも思った。お産には思わぬ事態が起こることもあるからだ。
臨月になって突然、胎児の心音が聞こえなくなったケースが身近にあった。早産や流産、死産を経験する人が少なくないことも取材で知った。当事者がつらい体験をあまり語らないため、それほど多いと思われていないだけである。
母親になる女性が、どんなに自分の健康に気をつけていても、悲しいことは起こり得る。それは恐らく、誰にもわからない、さまざまな条件が整わなかったのだ。けれども、女性たちはどれほど自分を責めることだろう。
この歌の作者は、死産という事実にただ茫然としている。一首に漂う、世界のすべてが止まったような静けさと奇妙な明るさが、読む者の心をもきりきりと締めつける。
春に出産する予定の友人は、会社勤めをしている。忙しい職場で、あまり仕事を減らしてもらえないと漏らしていた。男たちは、妊娠しさえすれば子どもは無事に生まれてくると信じ込んでいるふしがある。そんなことは決してない。いかに医学が進歩しても、周産期医療の現場には特別な厳しさがある。
「どうぞ、どうぞ、無事に生まれますように」。友達や会社の同僚たちが妊娠すると、いつも出産間際まで祈った。本人たちが知ったら「縁起でもない」と思うかもしれないが、お産の怖さを知る私は、最後の最後まで安心できない。春によい知らせがありますように、と祈っている。
☆江戸雪歌集『Door』(2005年、砂子屋書房)