はつなつのゆふべひたひを光らせて保險屋が遠き死を賣りにくる
塚本 邦雄
先日、大手生命保険会社に取材に行ったとき、この歌をふと思い出した。
保険商品をすすめるというのは、要は「不測の事態」を想像させる仕事である。働き手である夫が早く亡くなってしまう。大事故に遭い、命はとりとめたものの体が不自由になってしまう……。こうした事態への備えとして保険の内容を説明するとき、憂鬱になることもあるだろうな、と思う。
取材のときは、仕事だから意地の悪い質問もする。「病気になっても、医療費が一定額を超えた場合は、高額療養費で戻ってきますよね」「夫が死亡しても、子どもが18歳になる年度末まで遺族年金が出るので、それほど多額の保険は必要ないのでは?」……。
取材に応じたファイナンシャル・アドバイザーの男性は落ち着いた態度で、ある程度の貯蓄があれば保険は必要ないという考え方もあること、最近は貯蓄性のある保険はほとんどないので「保険は保険、貯蓄は貯蓄」と割り切るのが大切だということなどを、淡々と話した。
そういえば、会社に勤めていた頃は、保険外交員の女性たちが職場にやってきて、ミニ新聞みたいなものとキャンディーを配っては保険加入をすすめていた。からっとした元気のいい女性に対しては何とも思わないのだが、少しおどおどした感じの女性を見ると妙に苛立った。駆け出しの頃、所轄署の刑事課や交通課を回り、遠慮しいしい「何か(事件や事故は)ありませんか?」と声をかけていた自分を思い出させられたからだろうか。何のネタも取れなかった日々の惨めさを思い出すと、キャンディーを受け取るとき、もう少しあたたかな声で話せばよかったなぁ、と申しわけなく思う。
とても考えさせられるお話しです。
私は、人間関係が得意ではなく、
ついつい人に強く当たるという、
悪い癖があります。
常に、人との会話を大切にするよう、
日頃から心掛けたいと思います。
今日の記事を拝見して、
そのように思いました。
『すれ違う 人とのわずかな 会話にも
暖かさを込め 我を癒さん』
「人に当たる」ということ、ありますよね。
自分でも何だかよくわからなくて。
同じ「あ、どうも」でも、あんなに冷たく言わなくてもよかったのに! 私ってイヤなやつ! と激しく後悔しています。
ところで、そちらのブログにも時々お邪魔していますよ♪
お仕事、あまり頑張りすぎないようにしてくださいね。
昨日、『物語のはじまり 短歌でつづる日常』を読み終えました。
今日は、『かりん』2月号が届き、
まつむらさんの知的な7首を堪能しているところです。
『かりん』にも記載がありましたが、
購読している新聞にも、まつむらさんの
現代短歌新人賞受賞の記事があり、
なんだかここしばらく、まつむらさんの
世界にどっぷり浸かっている気がします。
ブログも今日から読み始めましたが、
読むのを楽しみにさせていただきます。
いろいろなところで読んでくださって、どうもありがとうございます。
ブログも楽しんでいただければ嬉しいです。
平凡な日でも、つまらない日でも、それが物語の一部に思えるようになる本なんだもの☆
もしも、インタビュー番組に出演するのなら絶対に見るからね。
ところで、言い方や声のトーンによって感情のありようが伝わるということありますよね。
優しく接しようと思っていても、仕事や人間関係で神経が尖ってしまって、ついきつい言い方をしてあとで猛烈に後悔したり、反対に、相手の心のありようもそれによって感じ取れて悲しくなることもありますよね、この人今私に苛立っているんだなあって。
言葉は「生き物」だから、やはり気をつけて扱わないといけませんね。
去年暮れからの懸案事項、まだ先になりそうだけれど、春はこれから、気長に行きましょうね。