
久々のマイブーム到来!――というわけで、野口英世関連の本を続けて読んでいる。
たまたま古書店で手に取った『野口英世とメリー・ダージス』(飯沼信子著、水曜社)に始まり、『遠き落日 上・下』(渡辺淳一著、角川文庫)、そして、『野口英世は眠らない』(山本厚子著、集英社)まで読んだ。一番読み応えがあったのは、吉川英治文学賞を受賞した『遠き落日』である。渡辺淳一は伝記的小説のめっぽう巧い人で、与謝野晶子・鉄幹を追った『君も雛罌粟われも雛罌粟』、早逝した中城ふみ子の生涯を描いた『冬の花火』も優れた作品だが、野口という破滅型の学者の実像に迫った『遠き落日』は出色だ。
浪費癖など数々の欠点にも関わらず、私が野口に惹かれるのは、2つの点においてである。
1つは、語学のセンスに優れ、若いころにドイツ語、英語、フランス語を学んだばかりか、中国へ行くときには中国語、エクアドルへ行くときにはスペイン語、と必ず現地のことばをある程度習得して、人々の信頼を得たというところだ。山本厚子は特にこの点を高く評価し、野口を真の国際人と称える。私も同感である。渡辺淳一は、福島出身の野口が東北弁に対するコンプレックスを抱いていたことが、外国語の習得に向かわせた要因と見ているが、それだけではないように思う。
そして、もう1つは、野口が実験の下準備を決して人まかせにせず、試験管の滅菌作業などを自分でやったということだ。『遠き落日』には、手伝いを申し出た後輩に、野口が「せっかくだが断る。俺は自分のやった仕事しか信用できないんだ」と言う場面があるが、実際に彼は何から何まで自分で行う完璧主義者だったらしい。科学研究の大半がプロジェクトチームを組んで行われるようになった現在では、そんなやり方は到底不可能だし、当時もそのことで研究仲間に嫌われたようだ。しかし、梅毒スピロヘータの純粋培養に成功したのは、そんなこだわりがあったからに違いない。
試験管のアルミの蓋をぶちまけて じゃん・ばるじゃんと洗う週末
永田 紅
ああ、今も研究者たちは野口英世のように試験管を洗うのだな、と興味深く思う。「じゃん・ばるじゃん」という擬音がユーモラスで、作者の元気で明るい気持ちが伝わってくる。大切な実験に使う試験管を洗う心はすがすがしい。これから行う実験、それに続くデータ解析……どんな結果が出るか、今からわくわくする。同じ作者の歌に、「誰に見せる顔でもなくて自らの作業へ向けたる集中ぞよき」という一首もあるが、きっと野口英世も一心に作業しているときはよい顔をしていただろうと思う。
*永田紅歌集『ぼんやりしているうちに』(角川書店、2007年12月刊行)
「じゃん・ばるじゃん」、最近映画を見てきたところです。『31文字の中の科学』で紹介されていた永田紅さんの短歌も、とても印象に残っています。
ところで、猫のことを調べていて、猫の肝臓はアロマオイルを解毒できないということを知りました。どうぞお気をつけください。
野口英世の伝記、最近は浪費癖のことも隠さずに描かれていてびっくりします。「レ・ミゼラブル」は私も観ましたよ♪
猫のことでご教示くださり、どうもありがとうございました!
野口英世自身も短歌を詠んでいたようで、とても興味深く思います。それにしても、野口が今の世の中にいたら、どんな成果を出したでしょう。組織では「任せる」度量が求められるんですよね…。
そうなんですよ!福岡氏の本を読んだときは、野口英世について「ふーん」と思っただけで特に興味をひかれなかったのです。本との出会いは、実にさまざまであり、タイミングも大事なんだなあと思います。