慈しむ手間を母より奪い去り八朔をむく三歳の「自分」
この歌は、子どもが「自分」を連発するようになった三、四歳の頃に作った。ついこの間やっと立って歩き始め、まだ何にも一人でできないくせに、ことあるごとに「ジブンで」「ジブンで」と主張する生きものには呆れた。「ジブン」という言葉の響きを初めて聞いたような不思議な感じがした。
柑橘類は私の好物である。中でも好きなのが八朔(はっさく)で、春先はせっせと買って食べる。編み物や刺繍などの手仕事は苦手だが、誰かのために八朔の皮をむいていると何だかまめまめしい働き者になったようで嬉しくなる。
だから、子どものために八朔をむく時間というのは私にとって、とてもやわらかで心落ち着くひとときだった。歯みがきや着替えは、いずれ一人でできるように仕向けなければならないが、八朔をむくのは「愛情深い母」を演出するうえでも、結構気に入っていた作業だった。「これも自分でやりたいって?」とがっくりしながら、私は「あ〜、子どもは本当にすぐ大きくなっちゃうんだ。親がしてやれることなんて、わずかなんだなあ」と思った。
店先で明るいオレンジ色の果実を見ると、子どもの幼かった頃を思い出す。あんなに小さいうちから、自立心というものは育ち始めるのだ。そして、人はみな一人で生きなければならない――いろいろなことを、あの小さな男の子から教わったなあ、と思う。
☆松村由利子歌集『薄荷色の朝に』(短歌研究社)
子供が大きくなると、
ちょっと寂しいという気持ちも、
私も良くわかるような気がします。
今日、私は次女(小6)の「6年生を送る会」を
見てきました。
娘たち6年生は「よさこいソーラン」を踊り、
家の娘も頑張って踊っていました。
「本当に大きくなったんだなぁ。」と
嬉しい思いがある反面、
ちっちゃかった頃が懐かしかったり。
まつむらさんの八朔の思い出と、
似たような思いにひたっていたかもしれません。
八朔の皮を剥くというささやかな行為にも人の生き方が見えるのかもしれませんね。
バースデイケーキのろうそくに火を灯しながら
この一本一本が今までの1年なんだと思い
感慨深かったです。
「じぶん」っていいますよね〜なつかしい。
うちは牛乳をつぐときに「じぶんぶんっ!」
ってこぼされたことが何度もあります(^^)
いやー、なぜか私はカニに関してはおっくうになってしまいます。不思議!
ようこさん、
おお、7歳! まだまだ黄金の子ども時代ですね。うらやましい。
「じぶんぶんっ!」ってかわいー♪
こんな私でも、母は「巣立っていくのがさびしい」と思ってくれたのでしょうか。
娘達のために果物をむくのがめんどくさくてたまらない私。
こんな私でも、子供たちが巣立っていくときは泣くんでしょうか。
めんどうくさくても「むいてあげるだれか」がいるのは素敵だなと、私は思いますが。。。。