
河合蘭『卵子老化の真実』(文春新書)を読んでいて、思いがけないエピソードに出会った。
ある女性が出産直後、赤ちゃんにダウン症の疑いがあることを告げられたとき、小学生のころに読んだ、ダウン症の男の子、トビアスの日常を描いた絵本『わたしたちのトビアス』(偕成社)のことを思い出したというのだ。「頭が真っ白になって、何も考えられなかった」状態のなか、トビアスが家族みんなに愛されていた内容がよみがえり、彼女は夫と自分の親たちに事実を告げた。「あの本と出会っていたことは、私の心を強く支えてくれたと思います」という言葉に胸が熱くなった。
駆け出しの記者だったころ、先天性四肢障害児父母の会というグループを取材したことを思い出す。生まれながらに手足の指が欠損しているなどのハンディがある子どもたちを支える親のグループである。その会が作った絵本『さっちゃんのまほうのて』(偕成社)は、片方の手の指がない「さっちゃん」の悲しみと回復が描かれた内容で、出版されて25年で約65万部のロングセラーとなっている。
「トビアス」や「さっちゃん」が、どれほど多くの人を励まし、支えてきたことかと思う。それは、医療情報や育児書とは全く別のメッセージである。一人ひとり違った人格を備えた子どもたちの姿は、障害の有無で括ってしまうことの愚かしさを伝えている。
空席に誰かゐるらし駅過ぎて埋まらぬダウン症の子の右
早野 英彦
自閉ちやんダウンちやんといふ呼び方に馴染めず輪から
外れる、独り 東野登美子
一首目は、込み合う電車の中で、皆が遠慮したようにそこだけ空席になっている状況のかなしさが詠われている。ダウン症の子は特徴的な顔だちをしているから、ひと目で分かる。「あ…」と瞬間的にその隣の席を避けてしまうのは、きっとその人がいろいろな子ども、いろいろな人に出会った経験がないからだろう。ダウン症の子にとっても、そうでない子にとっても、一緒に遊んだり勉強したりする場は大事だと思う。
二首目の作者は、発達障害の子を育てている。同じ境遇の親たちは一番わかり合えそうだが、その集団の「おたくは自閉ちゃんなの?」などという言葉遣いにつまずき、「輪」から出てしまった孤独感が胸を打つ。
小さな子を育てる日常がどれほど大変か、ということさえ想像できない人が大組織には少なくない。まして、いろいろな子どもがいること、どんな子どもも幸せに生きていることを、知っているか知らずにいるかの違いは大きい。多様な子どもたちが登場する絵本は、本当に豊かな世界を見せてくれる。
*早野英彦『淡き父系に』(ながらみ書房、1995年2月刊行)
東野登美子『豊かに生きよ』(いりの舎、2012年6月刊行)
★先日、ご紹介した拙著『物語のはじまり 短歌でつづる日常』(中央公論新社)は、まだ手元にあります。
よろしかったら、どうぞご連絡くださいませ。