
従軍慰安婦問題について、時々考える。90年代の前半、元慰安婦の韓国人女性が2人来日した際、私も取材したことがあった。
インタビューはとても難しかった。デスクから「彼女たちの話を全部、本当と思うなよ」と言われて、取材に赴いたのを覚えている。国家賠償を求める韓国の団体から吹き込まれた後付けの情報、主張も交じるだろう、ということであった。そして、彼女たち自身が無意識に塗り替えた記憶もあるに違いなかった。誰だって自分が一番大切だ。思い出したくもない悲惨な出来事によって心身が傷ついたとき、そこから回復するためには、記憶の書き換えが必要なのだと思う。自分の物語を語るとき、「騙る」という要素が入るのを誰も責めることはできない。
来日した元慰安婦の韓国人女性2人は、シンポジウムなど公的な場で非常に淀みなく語った。するすると言葉が紡ぎ出される様子に、どこからどこまでが本当の話なのか、私には分からなかった。だから、通常の新聞記事と違って、すべてをカギかっこの中に入れる形でしか書けなかった。
そんな中で、「あ、これは彼女の本当の気持ちだ」と思う言葉があった。それは、慰霊祭のために沖縄へ旅立つ慰安婦たちと同行した際、空港の売店で韓国人スタッフが「何か飲みますか? 牛乳とか?」と声をかけた時だった。1人の元慰安婦が顔をしかめて、「牛乳は大嫌い。精液を思い出すから」と言ったのだ。通訳を通じての言葉だったが、大きな衝撃を受けた。そして、これこそ事実に違いないと思って原稿に書いた。
昨年5月に出版された朝井さとるさんという女性の歌集を読んでいて、次の歌に出会い、とても驚いた。
語られて書かれて残る 牛乳は飲めないあれを思ひ出すから
朝井さとる
私の記事を読んだ人が、こんな形で20年近くもその痛みと衝撃を共有してくれた――そのことに感激した。もしかすると、他社の記者も記事にしていたかもしれないが、それはどちらでもよい。記録は多い方がいいに決まっている。
フランス語のhistoire という語には、「歴史、史学」という意味のほかに、「物語、話」という意味もある。起こった事実は1つでも、その人、その国によって作られる物語は異なる。そして、それが歴史というものなのだ。他国と歴史認識を共有することの難しさを改めて思う。
生臭き牡蠣をずるりと飲み込んで孤立無援の慰安婦思ふ
古川 由美
この歌は、93年に発表されている。20代の作者は、従軍慰安婦問題に割り切れぬ思いを抱きつつ、「ずるりと飲み込ん」だ。「ずるりと」に込められた不快感、もどかしさ、嫌悪感と共に、史実に向き合うしかないのだと思う。
*朝井さとる歌集『羽音』(砂子屋書房、2012年5月刊行)
古川由美 「かりん」1993年3月号
*拙著『物語のはじまり』はお蔭様で、残部がなくなりました。たくさんのお申し込み、どうもありがとうございました。
私も実は牡蠣が少しばかり苦手です。それはともかく、古川さんの歌、いいでしょう? とても才能のある方でしたが、小説の方へ行かれ、歌集はないのです。素晴らしい歌がたくさんあったのに……。
私も慰安婦だった方のお話をお聞きしたことがあります。牧師の娘だったという方でしたが、その方は一言語られる毎に汗を拭われるようにして話され、聴いているこちらも本当にしんどかった記憶が今でも残っています。
この記事を拝見して、自分の言葉として語ることと背後にある国家や団体の思惑との間で葛藤しながら言葉を選んでおられたのだろうかと思ったりしました。
私が聴いたのは教会関係の集会でしたので、赦せざる思いと赦しとの間での葛藤であったかもしれませんが。
私は牡蠣は大好きなのですが(しかも生が)、たぶんこの後も嫌いにはならないと思います。でも、あたると嫌なので、いつもほんの少しだけ戴くことにしています。
ゆりこさんの記事はその核心のところをついていたのでしょう。
オンタイムで読まなかったわたしも今ここで心に留め置くことにします。
国家と国家の関係と、個人と個人の関係は違うことを踏まえなければならないのでしょうが、それでも個人の心情に寄り添う外交であってほしいと思います。
ロールパンさん、
いや、「核心」なんて突く記事は書けなかったと思います。報道なんて、事実の周辺を遠巻きにぐるぐる回っているようなものではないでしょうか。
大変リアリティにある言葉で、その分、ずんと心に来ました。
御本、ありがとうございました。
大切にします。
いずれにせよ、このご婦人が何らかの形で過去の忌まわしい想いを消化できることを祈ることしか私たち民間人には出来ないのではないかと思うのです。
はじめまして。コメントをくださって、ありがとうございます。
私にとって忘れられない重い取材でした。この小さなエピソード1つが史実として残れば、と思います。
こうして、数年前のブログの記事を読んでいただける幸せを思うと、今年はちゃんと再開しなければいけないな、と反省の気持ちも抱きます。
これからもどうぞよろしくお願いします。