若きらとパスタ食みつつ口にせしシュプレヒコール花の名のよう
河本 惠津子
会社の後輩とのランチだろうか。何かの話題で「シュプレヒコール」という語が出て、若い後輩たちから「ナンですか、それ?」と尋ねられでもしたようだ。
作者は「そうか、そんな言葉、もう知らないのね」と感慨深く思いながら、もう一度「シュプレヒコール」という語を口にする。初めて出合う言葉のように発音してみると、それはまるで花の名のような響きをもっている。若かりし頃、デモで「シュプレヒコール!!」と叫んだときには、昂揚した気持ちをさらに高めた言葉なのに、奇妙な感じである。けれども、ここには年齢を重ねた寂しさよりも、若い人の知らない、いろいろな言葉を花束のように持っている自分を誇らしく思う気持ちがあるように感じる。
自分のよく知っている言葉を、若い人が知らないという事実は、さまざまな感慨を抱かせる。新聞社にはそれでなくとも現場の符丁めいた言葉がたくさんあるのだが、技術革新で廃れたものも少なくない。私の場合、鉛の活字が残る職場で働いた経験があるので、「鉛版削り」だの「象嵌(ぞうがん)」といった言葉がなつかしくてならない。鉛版は、活字を組んだものを原版として紙型を作り、それに鉛など合金を流し込んで作る印刷用の複製版である。もう鉛版ができあがってから、印刷する直前に記事の間違いや誤字が見つかった場合、その部分だけ削ってしまう、というのが「鉛版削り」。その誤字部分を削った後に、修正した活字を挿入するのが「象嵌」。
「ゾーガン」という響きは相当好きなのだが、意味が特殊すぎるし、歌にするのは難しい。「パスタ」と「シュプレヒコール」を響かせ合って、おしゃれにまとめた作者の技量はなかなかのものだ。
☆河本惠津子歌集『giraffe』(短歌研究社、2004年7月出版)
「シュプレヒコール」という言葉を聞くと、私はすぐに中島みゆきさんの「世情」という歌を思い出します。
あの金八先生の、2回目のシリーズの中で使われた曲でもありました。その話も、かれこれ四半世紀前のことになります。
鉛の活字のお話し、とても興味深く拝見しました。
もうお彼岸だというのに、寒いですね。
ところで、「象嵌」は、私の身近な世界では術語で生きています。・・というか、知らないとヤバイ!です。
美術工芸において、「象嵌」は繊細な文様や絵をはめ込むことが多いので、この2つの濁音にも関らず、私は文字から文様をイメージして、どこか繊細なものを思います。
象(かたち)を嵌めるという言葉については、巧くできているなあ、と感心しますし、「見た目」にも好きです。
ただし、松村さんのおっしゃるように、歌の言葉として用いるのには、「ぞーがん」は難しい音(4音であることと、二つも濁音が入っているため)だとは思いますが。
で、この「象嵌」、美術展の題箋上、技法の説明の箇所に載っていると、「象がどこかに描いてあるのかしら?」と言っている声をたまに耳にして「あれれ???」と思うことがあります。確かに、日常では使われることが少ない言葉ですものね。
活字を組む工程でもこの言葉が用いられていたのを今回初めて知りました。
ようこそ! 「ン十年前」なんて人聞きの悪い。はっきり二十年前と書いてくださいよ!!
KobaChanさん、
そうか、中島みゆきという連想もあり、ですね。
くららさん、
「象がどこに描いてあるのかしら?」には笑いました。私は美術用語としての「象嵌」より先に印刷用語としてのことばに出合ったので、相当ヘンなやつだと思います。
日本の印刷技術は世界でトップクラスのものだと聞いたことがあります。科学技術の進歩によって手業が失われていくにつれて、それを表していた言葉も失われていくということでしょうかしらね。
先日の主人と娘の会話です。
父「パパ、昨日はグロッキーでバタンキューだったよ。」
娘「ナニそれ?意味わかんない。」
死語と知りつつ、懐かしさがこみ上げてきて思わず笑ってしまう私。意味わかる方いらっしゃるでしょうか?
あゆさん、それが「死語」であることにショック。「バタンキュー」なんて、意味、類推できるんじゃ……(あきらめ悪い)。