2007年05月26日

ピアノ

KICX1086.JPG

どこまでが音であるのか一本の指の重さが鍵盤(キイ)になるとき
                       河野美砂子


 ドビュッシー研究でも知られるピアニストの青柳いづみこさんのエッセイ集『ピアニストは指先で考える』(中央公論新社)を読んでいる。
 ピアノという楽器は一番なじみがあるが、プロのピアニストの感覚や苦労は、とても想像しきれるものではない。青柳さんのエッセイは、指を曲げて弾くか、伸ばして弾くかという問題(私は「たまごをもつように」と曲げて弾くよう教わった)や、椅子の高さやタイプ、さまざまなタッチの弾き分けなどが具体的に語られていて、面白くてたまらない。 冒頭の一文から魅せられる。
「私の手は、小さい。親指と小指をえいやっとのばしても、ドからレまでしか届かない。ラフマニノフはドからソまで届いたのに。」
 私の手は、大きい。ピアノを「弾く」というのでなくて、うーんと伸ばすとドからミまで何とか届く。愛らしい器やらおひな様やら小さなものを愛でる日本においては、大女は背の高さ、足の大きさ、そして手の大きさを恥じて生きるしかないのだが、ピアノを弾くときだけは「大きい手でよかったなー」と思えるのである。
 以前、中村紘子さんのリサイタルを聴きに行き、「ああ、ピアノの鍵盤がもう少し小さかったら、あるいは小さいタイプのピアノが別にあったら、どんなにこの方のテクニックや奏法が生きることだろう」と口惜しいような気持ちになったことがある。手の小さい女性ピアニストたちは、ただ黙々と練習し続けるのだろうけれど。
 この歌の作者もピアニストである。指が鍵盤を押すときの精妙な感覚をとらえた名歌だと思う。

☆河野美砂子歌集『無言歌』(2004年、砂子屋書房)
posted by まつむらゆりこ at 15:11| Comment(16) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
ピアノは10年あまり習ったけれど、才能はゼロだと思う。指も一オクターブしか届かないし、細くて曲がっている。練習もむしろ嫌いだった。なのに何故習い続けたのか?といえば、ピアノの音が好きだったから。チェロも好きだけれど、今でもピアノの曲が一番好き。永遠に届かぬものへの憧れみたいなものかしら?
狭い書斎の一隅を占めて邪魔と思わぬでもないけれど、やはり捨てられない。
Posted by くらら at 2007年05月26日 18:41
くららさん、
私もピアノの音が大好きです。
ドビュッシーやラヴェルが特に好きなのですが、最近シューマンやリストもやっぱりいいなあ、と思うようになりました。
Posted by まつむらゆりこ at 2007年05月26日 22:13
松村さんは、フランス印象派が好きなのですね。
幻想的で透明な光のような音楽、、私も好きです。彼らの曲からは、いつも「モーヌの大将」というフランスの小説が思い出されるのですが。
好きな作曲家は数多いますけれど、ピアノだとショパンとベートーベン(って、あまりに違うかしら?)が最も好きかなぁ、私は。。
Posted by くらら at 2007年05月27日 12:36
ピアノとの出会いは、世の中意のままにはならないということを、初めて体感させられた出来事でした(笑)
相性も悪く、ふりむいてもくれないのに、宮廷貴族には奉仕を忘れないみたいなさみしさで、心は魅了されないままです。。。
それなのに、おしゃべりな中年女の歯のような飴色に鍵盤は変色しても、なぜか捨てられず、せまい部屋に堂々と鎮座しているのです。
Posted by スマイル ママ at 2007年05月28日 15:16
くららさん、
私はショパンもベートーヴェンも大好き♪

スマイル ママさん、
あー、同じですね。つれない存在ですよね。でも、長く付き合えば、それなりの結果が出るのでは……。

お二人ともちゃんとお部屋に鎮座しているところがすごいなー。うちは電子ピアノだもんなぁ……。
Posted by まつむらゆりこ at 2007年05月28日 16:59
うーん、いずみこかぁ。中学の同級生なのだ。中学のころから鼻柱が強く、世に出るのはいづみこが一番早いとみられていた。ピアニストなんだから鍵盤に向かっていればいいものを、最近は文筆家とも言われ、数年前やっていた朝日新聞の書評委員の仕事はだれも真似のできないものを書いた。幸い俺はクラシック音痴なので、彼女のコンサートに義理で出かけても寝てしまうだけだが、才能というのは偏在が許されるのだと思わざるをえないなぁ。
Posted by 冷奴 at 2007年05月28日 17:49
老後のたのしみにとってあります?!
指ももう動かないくらいに長い間弾いていないので、ハノンから始めないとダメですが。
松村さんは今も弾いているのですね。


Posted by くらら at 2007年05月28日 19:25
冷奴さん、
ひえぇぇ〜〜、憧れのいづみこ様と同級生だった、ですって??
いやー、世の中ってホント狭いです。
いつかコンサートにご一緒しましょうよ!

くららさん、
いえいえ、私も時たま思い出したように、十八番のワルツを弾くくらいで……。
Posted by まつむらゆりこ at 2007年05月28日 19:35
こんばんわ。
ピアノが弾けるということは、素晴らしいことですね。
私は残念ながら弾けません。
でも練習してみようかなぁ。
ご案内の歌は、音と指とのつながりを
表現されているのが興味深いですね。
「自分の指が鍵盤に・・・」
きっとピアノを弾かれる方のみが知る、独特の感覚なんでしょうね。
Posted by KobaChan at 2007年05月28日 21:22
KobaChanさん、
私は弦楽器全般に全くさわったことがありません。
ギターを弾きながら歌が歌えるなんて、素晴らしい♪
私も習いたいなぁ。
Posted by まつむらゆりこ at 2007年05月28日 22:43
ピアノ、また聴かせてね。ほんとに上手だものね!歌心のある人は、指先でも語れるのだなあ、と思いました☆
Posted by もなママ at 2007年05月30日 12:38
どーも、こんばんわ。
松村さんはピアノを弾かれるんですね。
ピアノが弾けるひとって、無条件で「スゲーッ。」って思ってしまいます、たとえ、弾く曲が「猫ふんじゃった」の速弾きだろうと、ショパンの「ノクターン」だろうと。

河野さんの一首。
この歌の韻律におけるポイントは「鍵盤(キィ)」の一音でしょう。
変な例えですが、猿の鳴き声とおなじで「キ」の音は金属的でするどいので、際立って聞こえます。
だから、この一音は、ピアノの鍵盤の音を表すのには、ぴったりなんです。
この歌だけで言っても、河野さんの、一音一語への非常に緻密な目配りを、ひしひしと感じさせられます。

ところで、僕は昔トランペットをやっていたんですけど、僕の場合は唇がマウスピース(トランペットに息を吹き込むところ。取り外し可能。)に触れるときを想像すればよいでしょうか。
トランペットも結構むずかしくて、高音が出せたときは、短歌でいえば、内容に適した言葉が出た時に似ています。
でも、トランペットは歌になりますかね?
ピアノがカ行音なら、トランペットはパ行音?
Posted by 森 at 2007年05月30日 20:55
もなママさん、
お宅のお嬢さんたちの方が数倍お上手ですよ!

森さん、
おお、トランペット!
高校時代は吹奏楽・命♪だったので、マウスピースの感覚、わかりますぞ!!
(私はフルートを吹いていました)
いつの日か音楽を歌で表現したいなあ、と夢見ています。
Posted by まつむらゆりこ at 2007年05月30日 22:01
あたしも吹奏楽部だった、って知ってた?☆

今度共演しよっか♪
Posted by Lucy at 2007年05月31日 10:34
僕は、心の花です。
といっても、心の花の歌人にはあまりお会いしたことがなく、かりんや短歌人の方は多少、存じ上げているという、おかしなヤツです。
Posted by 森 at 2007年05月31日 13:13
こんばんわ。
弦楽器ならば、チェロが好きです。チェロを弾く人も素敵に思える。現実には重くて大変だろうと思いますが、チェロケースを持って歩いているだけでも、あの人チェロ弾くんだなあと思って、憧れてしまいます。

弾く時のヨーヨーマは色っぽいと言ったら、私の周囲では総ブーイングでしたが、私はマさん、好きです。カザルスも好きですが、マイスキーよりマです。

サックスも好き。とくに、昔のスタンダードと言われるジャズの。「スリーピーラグーン」は普通トランペットで演奏するのかもしれないけれど、テナーサックスのもgood!
楽器ができてもできなくても、音楽は素晴らしいですよね。

音楽のような短歌が書けたらいいなあ、と思います。
Posted by くらら at 2007年05月31日 19:14
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