似るな似るなといひて育ててきた息子
冷蔵庫にてあたまを冷やす
米川 千嘉子
たった一人の息子であるが、自分には似ないでほしいと思ってきた。だから、この歌を読んで、「あ、同じだ」としんとした気持ちになった。
生まれるまでは「私にどこが似てるかなー」と楽しみに待っていたが、子どもの自我がはっきりし始める頃、自分には全く似ないで育ってほしいと思うようになった。こんなにも欠点が多く、どうしようもない人間に似てどうするのだ。もっと大きくはつらつと、もっとやさしく伸びやかに生きてほしい。そう切実に願った。
この歌の作者も、そんな思いを抱いたのだろう。何冊もの歌集を読めば、作者が深く物事を見つめ、不器用なまでに誠実に生きていることがよく分かる。それは実に美しい資質なのだが、彼女自身は子どもにもっとかろやかに、自由に羽ばたいてほしいと思ったのかもしれない。
そう願って育ててきた「息子」は、「ああ、暑い、暑い」とどしどし台所へ歩いてきて冷蔵庫を開ける。庫内へ頭を突っ込んで「はぁ〜、涼しい〜」と茶目っ気たっぷりの息子を見て、作者は「何やってるの、あなたは!」と呆れて笑いながら、そんな底抜けの明るさをいとおしく思っている。冷蔵庫で頭を冷やすようなことは決してしなかった子どもの頃の自分を思い、作者は安堵するような、さみしいような、そんな気持ちを味わっているのではないか。
「似るな似るな」と願って育ててきても、何かの拍子に、自分の内面にあるのと同じものを子どもの中に見ることがある。その瞬間に感じる恐れとかなしみは、何ともいえない。
☆米川千嘉子歌集『滝と流星』(短歌研究社、2004年8月刊行)
*5日からしばらく旅に出ますので、コメントへのお返事が書けませんが、どうぞお許しください。
でも、全く似てないとさみしいんですよね。
わがままな、親心でしょうか?
旅行、気を付けて。
いってらっしゃい!
そうなんですよね、親心は複雑。
Lucyさん、
面白い旅になればいいのですけれど♪
私には2人の娘がいますが、
やはり自分には似て欲しくないと思います。
しかし、どういうわけか似て欲しくないところは、良く似てしまうようです。そのように、代々、自分のいやだと思う部分が受け継がれて行くのかもしれません。
旅に出かけられるとか。
どうぞお気をつけて、いってらっしゃいませ。
本当に不思議ですね。
似てしまうところって、一番自分らしいところなのかもしれません。
その反対に、今までは何も話さなかった子供が、自分の意思を言葉で表すようになるのを見て、子供もまた一人の人間なのだと感慨深かったりします。
しばらく旅に出るとのこと、お気をつけていってらしてください。
素敵な歌を楽しみに待っております☆
親の業を、背負うなよ背負うなよと、どれほど思ったことでしょう。
(似るな似るなといひて〜〜冷蔵庫〜)
なんだか、大地のような母を感じます。
旅に出られるのですね、しばらくさみしくなります。お気をつけて行ってきてください。無事なお帰りを待っております。
いろいろあったようですが、そろそろ元記事の本題を思い出し、その話題に戻してみませんか^^
松村さんが書かれている
=======================================
「似るな似るな」と願って育ててきても、何かの拍子に、自分の内面にあるのと同じものを子どもの中に見ることがある。その瞬間に感じる恐れとかなしみは、何ともいえない。
=======================================
の部分につきまして、あらためて、全くその通りだなぁと実感させれます。
同時に、感じるのは、やはり人間は自分自身の「良くないと感じる面」=「子供には似て欲しくないと思う面」のことは、良く理解できているのだと思います。
ぜひぜひ、自分の良い面ということにも目を向けて、子供の中にもそういう面が受けつがれているということも、感じてみたいものです。
お互いの、幸せのためにも^^。
松村さん、みなさん、
こういう考えは、楽観的すぎるでしょうか?
失礼しました^^