もどかしく抱きしめる腕をすり抜けて夕方の子は他人の匂いす
松村由利子
夕方、息せき切って保育園に飛び込む。こちらとしては、ちょっと劇的な再会みたいな感じで子どもを抱きしめようとするのだが、今まで別の遊びに興じていたのか、照れくさいのか、子どもは身をよじって抱擁から逃れる。その瞬間、知らない家の匂いがして、私は置いてきぼりにされたような気持ちになった。
家には、それぞれの匂いがある。自分の家にも勿論あるのだが、気づくことはできない。それに慣れきっているからだ。毎日同じものを食べていることも関係するだろう。昼間、別々のごはんを食べて、10時間(!)も別のところにいれば、親子であっても匂いが変わる。
「あ、知らない子の匂いがする」。そう思う瞬間、本当にさみしかった。
いま思えば私も、知らない女の人の匂いをさせて、子どもを迎えに行っていたのだろう。職場でしみついた煙草やコーヒーの匂いや、ほこりくささをまとって。
それにしても、改めて時間を計算してみて愕然とした。朝9時に預けて、延長保育の終了する19時まで、10時間! 長い。長すぎる。片道1時間の通勤だったから、仕方ないといえば仕方ないが、幼い子どもにとって、それは何とも耐え難い長さだったに違いない。しかも、私は夜の取材をするために、二次保育のベビーシッターさんに頼むことも少なくなかった。仕事はいつでもできるのに。子どもはすぐに大きくなってしまうのに。
☆『薄荷色の朝に』(短歌研究社)
わたしも保育園が閉園するギリギリまで子供を預けていました。いつも最後から2番目くらいの常連で保育園のにおいがしっかり服にしみついたのを思い出しました。
後にテレビで保育園でお迎えをまつ子供を取材したドキュメンタリーをみて、あんなに長く待たせてかわいそうなことをしたと思いました。
「はやくおむかえこないかな」という絵本をその後読んでまたぐっときました。
女性が子供をもち仕事をするということは何もかも理想どおりというわけにはいきませんね。
一回り以上はなれた姉の子の世話をしていた高校生時代。幼稚園の運動会にもでられない姉に代わってにわか高校生ママは玉ころがしをして大奮闘。それなのに夕方になると明かりもついていない自分の家に帰ろうとする姪。どんなことがあっても実の母を慕うものなのだなあとさみしかったり安心したりしたものです。ちょうど松村さんのこの歌と正反対の気持ちを経験した私でした。
仕事をしながら子育てをするお母様方は、本当に大変なんだろうなあと思います。私の家内も、そうでした。そして私の職場にも、小さなお子様を育てながら勤務されている方が、たくさんいます。保育園に預けたお子様が熱を出したら、どんなに仕事が忙しくもお母さんのところには、電話がかかってきますね。しかたがないので、おじいちゃんやおばあちゃんに迎えに行ってと頼んだり、それさえも出来ない場合は、職場に後ろめたい思いを残しながら、早退せざるを得ませんね。今は、企業が人に優しい時代ではなくなっていますから、そういう時は余計に辛いでしょうね。
と、お母様の事情を書いてきましたが、松村さんがおっしゃるように、長い時間待たされるお子様も、寂しいかもしれませんね。でも、延長保育やベビーシッターさんのおかげで、その時間はそれなりに楽しく過ごせたのではないでしょうか。いつかお子様も、「お母さんは自分のために、一生懸命仕事をしてくれたんだ。」とわかる時が来るでしょう。いや、もう大きくなられていますから、わかっているはずですよ。今は本当に働いている女性も多いですかねぇ。10時間は確かに長いかもしれませんが、ずっと一緒にいられる方も、少ないと言えば少ないかもしれないし、その場合は、それなりの辛さもあるかもしれませんね。
お子様が大きくなられてからも、このようにお子様のことを歌を通して語ることが出来る、きっとこれが松村さんとお子様の絆の証、大きな財産だと思います。
慰めのお言葉は嬉しいけれど、やっぱり10時間は長いと思います。男女とも今よりも短く働く社会になった方が絶対いいですって!
yoyoさん、
保育園の匂いなんですよね、「うちの子」じゃなくて。でも切なかった思いはいつか子どもに伝わると信じています。
ろこさん、
姪っ子のかわいさってありますね。
高校生の頃に「小さいおかあさん」を経験なさったこと、微笑ましく読みました♪
KobaChanさん、
あなたみたいに職場でそっと見守っていてくれる同僚や上司がいること、それが働く女性たちの大きな支えだと思います!
「男女とも今よりも短く働く社会になった方が絶対いいですって!」っていうのはその通りです。男女ともに働く時代(性による役割分担の時代に戻れ、と言ってるわけではないので、誤解なきよう)、どこかにしわ寄せが行ってしまうことのない、働きやすい社会を作ることは必要です。
でも、娘夫婦なんか見てると、ボクらの頃には考えられなかったぐらい、若い父親の意識は確実に変わってきてますね。最初に「これって男の考え方?」って書いたけれど、「昔の」と付けるべきだったかな?
コメントいただき、ドキッとしました。自省の念強く^^
コメントをいただいて気付いたのですが、私自身は、働くお母様方に対して、あまり理解を示していない人間になっていたようです。
企業が人に優しい時代ではなくなった、というのは私自身の感想かもしれません。まあ、さまざまな構造改革がありました。そんな中で、色々なことがあり、まずは人より自分が大切となり、働くお母様方に対しても、人として最低限必要な配慮を持つことすら、忘れてしまっていたような気がします。そんなことを思い、反省しました。
昨年、自分自身が体調を崩し、人の心のありがたさを知ったのは、そういうことも思い出しなさいということだったのかもしれません。
「企業は人なり」と言う言葉もあります。企業が人にやさしい時代ではなくなった、といいつつも、その企業を構成するのは、われわれ一人ひとりであるという原点に戻り、もっと人を大切にできる人間になりたいと思います。
ということを学ぶためにも、働くお母様の気持ちを表現している、この歌を拝見出来て、とてもよかったです。ありがとうございました。
結局家で育てた長女は、今、社会人一歩手前。十歳年下の妹の世話をしながら、「働くお母さん」になるべく、一生できる仕事を模索中。さて、ほとんど保育園&姉の手で育った三女は十年後に何と言うか…。
今のところ、三人とも同じように育っていて、嬉しい母だけど。
いつも楽しみに読ませて頂いています。
私の母も、共稼ぎの片割れとして、私を毎朝近所の知人の家に預けて出勤しました。私は家の柱にしがみついて号泣し、その知人の家に着いてからも泣き叫んでいたそうです。私も母が迎えに来た時、他人の匂いがしていたのかもしれません
ただ、何れも長じてから母に聞いた話で、本人に一切の記憶、自覚は無し。何らかの人格形成に影響したのかもしれませんが、特段問題のない大人になったつもり(異論があるかな)です。時折爪を噛む癖は直りませんが。
最近、わが職場では、男性も「保育園のお迎えがあるので遅れます/帰ります」と言う者が増えました。自分が幼い子の父だったころの無自覚を恥じつつ、「行っといで、なんかあったら呼ぶから」と答えるようにしています。若い人は、変わりつつあるようです。
3人の娘さんたちがどのような母になるのか、あるいは母にはならないのか、とっても楽しみですね!
dourouさん、
おお! お父さんのお迎え。世の中は少しずつ変わってゆくのですね。
しかし「家の柱にしがみついて号泣」には泣けます。朝の号泣には「後ろ髪を引かれる思い」という表現がぴったりの心境で職場に向かったものです(うちの子の場合、母親の姿が見えなくなると、けろっとして遊び始めていたらしいですけどね)。
恋愛・結婚・子育て等々私の体験とは随分と様変わりしていますが何事も<人と較べない>をモットーにしています。独自の開き直りかもしれませんが(笑)。今、子供達はそれぞれ離れてすんでいますが、お正月だけ帰るように指示(お願いかも)し、後は子離れしたふりを貫いています。
<人と較べない>のがモットーというのは、本当にすてきです。
自分自身の納得さえあれば、という言葉には、胸が熱くなりました。
親子の情も男女の情も、泣きたくなるほど深いのがいいんじゃない?自分の子どもに「他人の匂い」を感じるほどの愛に感動した☆
そうですね。藤沢周平の小説なんか読むと、情の深さというものにしみじみして、「あー、私の愛情って何て薄っぺらいんだろう」って思っちゃいます。