こんなところでだけアルバイトといわないでほしい あなたは何したの今日 山内 頌子
長らく会社に勤めたから、契約社員やアルバイトの女性たちの誠実な仕事ぶりはよく知っている。そして、彼女たちがどんなに不安定な立場にいるか、どれほど薄給で雇われているかも。
作者は若い。そして凛として働いている。この歌は、たぶん来客か部外者の前で、「この子はアルバイトだから……」のような屈辱的なことを言われた状況を詠ったのだと思う。正社員と同じように働かされ(給与からすれば、それ以上に働かされ)、そんなことを言われる筋合いはない。
自分は安泰な立場にいて、さげすむように「アルバイト」と言った人物に対して、作者は激しく攻撃したい気持ちにもなったかもしれない。けれども、そこを抑えて「あなたは何したの今日」とやんわりと収めたところが見事だ。
激しい怒りは、そのまま形にしても人の心に届かない。こんなふうにやわらかく、品よく述べることで、読む者にもわなわなと震えるような憤りが伝わってくる。五七五七七を大きくはみ出した破調の迫力というか、どこで切れるか分からない呪詛のような詠いぶりに魅了される。
この歌を読んで、かつて私の職場にいた数人のアルバイトの女性たち一人ひとりの顔を思い浮かべた。電話の応対が実にしっかりしていて、笑顔のいい人ばかりだった。
☆山内頌子『うさぎの鼻のようで抱きたい』(ながらみ書房、2006年12月出版)
ご案内の歌の、歌われる側の人にならないよう、気をつけたいと思います。
意識しなくても、人を大切にする振る舞いが出来るようになりたいものです。
そんな日常の鬱憤さえ歌にするって、すごいことだね。愛とか恋とかじゃなくても歌になるんだ…。
歌にしたら、何でも昇華できちゃうような気がする。歌詠みって素敵だなあ☆
「歌われる側の人にならないよう」と考える時点で、もう既にKobaChanさんは大丈夫です!
Lucyさん、
共感してくださいましたか!
こういう口惜しい気持ちを味わった経験がある人の、どんなに多いことでしょうね。
うちの専任には、松村さんのように、パートに同情してくれたり、評価してくれたりする、心優しい人は、残念ながら見当たらず、使えるだけ使おう、という態度です。この「ぶーぶー」をこの方のように短歌に昇華できればすーっとするだろうなあ。
フリーターやニートが問題になっていますが、この歌に共感する若者も多いのでは?
ただ、「あなたは何したの今日」のところは、強すぎる言い方だと批判する人もいるのではないでしょうか。。。
一ヶ月足らずの夏休み、それでも、こんなに夏休みが取れるのって教員だけですよね、短歌や俳句に親しみたいです。
職場の悩みはそれぞれですね。
ご指摘の通り、「あなたは何したの今日」に反感を抱く方もいるようです。
制度の問題もあるけれど、いろいろな働き方があることへの理解と尊重が大事なのではないかと思います。