父の字で私の名前が書いてある
『ももいろのきりん』のカバー思えり 藤田 千鶴
『ももいろのきりん』は、福音館書店から出版されている幼年童話。「ぐりとぐら」シリーズなどでおなじみの中川李枝子さんのおはなしに、ご夫君の中川宗弥さんが絵を描いた名作である。
おそらく、この歌の作者にとって『ももいろのきりん』は、幼い日に読んだ中でもとりわけ好きな本で、大切な存在なのだろう。その本に、父が自分の名を書きこんでくれたことで、さらに特別なものとなった。
私も『ももいろのきりん』(1965年7月1日発行の初版本)=写真=を持っているのだが、幼いころ両親や近しい大人から買ってもらった本には、特別ななつかしさがある。「多分この子は、こういうおはなしが好きではないかな」と選んでくれた、そのことが、大人になってしまった今、何とも言えずありがたく嬉しい。本の好みはそれぞれだから、大人になれば、人はもうなかなか本をプレゼントしてくれないものだ。
この歌は、作者が両親を伴って海外旅行したときの作品である。父親はがんの治療中という。作者は残り少ない時間を大切にしよう、と考えて旅を計画したのだ。旅の一連の中には「いずれ我を置いてゆくひと影うすくエメラルド寺院の階のぼりゆく」という胸に迫る歌も収められている。
そういう旅のさなかに、ふと『ももいろのきりん』を思い出す不思議さを思う。父が選んで買い求め、子どもの名を記し、何度も読んで聞かせた本は、父の愛情そのもののようだ。私も小学校高学年になるまで、買ってもらった本に日付と名前を父に書いてもらうのを常としていた。この歌を読み、いつか父と別れ、本だけが残される日が来ることを思って、じんわり悲しくなった。
☆藤田千鶴歌集『貿易風』(砂子屋書房、2007年7月刊行)
文庫で借りて、何度も何度も読みました。
そうしているうちに、その文庫の本でなければ、本当の『ももいろのきりん』でないような気さえしたものでした。
ボクの世代になると逆に、娘に買ってやった本を今、孫が見るようになって、これも嬉しいものです。
小さい頃、どんな本を、どれだけ、読んだか。これはずーっと影響しますね。まさに三つ子の魂百まで。小さい子が思い出を持てるような本を与えるのは、親の大事な仕事・責任ですね。(年寄りの説教癖が出ちゃったかな?!)
5歳くらいの私がしかめっつらをして本を眺めている写真があるのですが、その本が『ももいろのきりん』なんですよ♪
濱徹さん、
「小さい頃、どんな本を、どれだけ、読んだか」って、本当にそうですね!!
そのことは、本自体がなくなっても、自分にとっての宝物だなあ、と思います。
娘たちが小さい頃に、良く絵本を買ってきました。ポピュラーな昔話が収められた絵本でしたが。
その絵本を、今は姪っ子たちが遊びに来ると読んでいます。子供にとって、絵本を読むことは楽しいのでしょうね。そういう気持ちを大切にしてやりたいものです。
といっている自分は・・・
あまり本を読まない子供でした^^;
読み継がれる本はしあわせです!
そして、その本がお父さんとの思い出と密接につながているなんて、とっても素敵♪
『ももいろのきりん』と私の歌のこと書いてくださって、どうもありがとうございます。
オトナになってから子どものころに読んでいた本を読むのはまた楽しいものですね。
くれよんの木をひとりじめにしていたオレンジぐまのこと、ひどいくまだと思ってたのですが、あとでいいくまになるんですね。オレンジぐまと色のはげた白くまが同じくまだったって、ぜんぜんわかってなかったんです。
深いところは読めずに、くれよんの木なんていいなぁ、なんでも本物になる白い紙ってほしいなぁ、とうらやましがってばかりの子どもでした。
ようこそ!
私も「白い紙」が本当にあればいいのに!と思っていました♪
この歌は『ももいろのきりん』を読んだ人はもちろんですが、このタイトルのやわらかい響きによって、読んでいない人をも惹きつけると思います。