譜面台に吹く秋風の軽(かろ)さもてわが四十代めくられてゆく
栗木 京子
誕生日が嬉しかったのは、いつ頃までだったろう。年齢を重ねることで得られるものがある、なんて言われても、実際には失われるものの方がはっきりと自覚される。女は特にそうだと思う。肌の肌理、髪の艶、顔の輪郭……もう以前の自分ではないことを嘆いても仕方ないが、一抹の寂しさは感じてしまう。
この歌では、「秋風」と「四十代」が重ねられることで、多くの人の共感が得られやすくなっている。「四十代」は若くはない。もう人生の「秋」に入っている、という諦念、かなしみがある。
しかし、注意深く読むと、作者の思いはむしろ「軽さ」に込められているようだ。四十代から五十代にかけて、女性は激動の時期を迎える。子育てが一段落し、夫や親との関係がシビアになってくる。閉経前後には、身体のあちこちにトラブルが発生する。重苦しく、憂うつな時期であるはずなのに、「秋風の軽さもて」と涼しく言い放ったところに、この作者の美意識があるのではないだろうか。
譜面台に置かれた楽譜が、風に吹かれてぱらぱらとめくれてゆくように、私の年齢も重ねられてゆく。それはまことに自然なことであり、その光景は美しい――。
歌集の刊行時期からすると、この歌が作られたのは作者が間もなく五十代を迎えようとする頃である。心身の変わり目を迎える不安はあったに違いないが、敢えて「軽さもて」と表現したところに、年齢を肯定的にとらえようとする気持ちが表れている。楽譜に喩えられた人生の、何と味わい深いことだろう。風に逆らって楽譜の前のページを開こうとしても、いいハーモニーは生まれない。いま開いているページの旋律を、美しく奏でなければ。
☆栗木京子歌集『夏のうしろ』(2003年7月、短歌研究社刊)
とあるお店のママさん(計算するとどう考えても60台後半)に40、50は洟垂れ小僧…と言われ、まぁそんなものかも…と思う今日この頃ではあります。
お誕生日おめでとうございます!
いやー、誕生日を祝っていただいて恐縮です(照)。
女性の老いの自覚がかなり早いことは、近・現代の歌人たちの作品をチェックすると明らかになります。
こんど「女性の老い」というカテゴリーを
作ろうかしらん。
この歌は、40代を寂しいけれどさわやかに過ぎていく、と肯定的に歌っているのですね。松村さまの解釈を読んで、歌のイメージの美しさがよくわかりました。人生を楽譜に喩えている、って素敵ですね。
それから、作者は時の流れのはやさも感じていますよね。わたしにとって、40代はとくにあっというまに終わってしまいそうです。
だからこそ、時の流れにさからわず、今開かれているページに集中して旋律をできるだけ美しく奏でる努力をすべきなんですね。
わたしなんか、いつも愚かにも前のページを懸命に開こうとしていますけど、風にさからっちゃあだめですね。
この歌のようにさわやかに軽やかに残りの40代をすごしたいものです。
とてもいい歌です、大好きになりました。わたしはまだ、鑑賞力がないので、ひとりで読むと素通りしてしまうのですが、このブログのおかげでこのような素敵な歌に出合えてとてもうれしいです。紹介してくださってありがとうございます。
私の好きな言葉に、「年を重ねるのは、悲しいことではなくて幸せなこと」というのがあります。
重ねてきた歳月と、これから訪れる素晴らしき日々に乾杯!!
先輩歌人がこういう歌を作ってくださっていると、心強いものです。
山野いぶきさん、
作者が「時のながれのはやさも感じて」いる、とのご指摘、さすがです!
40代は特に速く過ぎてしまうとのこと、1日ずつ大事に過ごしますね。
もなママさん、
そうですね♪ 年齢を重ねたくても重ねられない人たちのことを考えなくては。
メッセージ、本当にありがとうございます。
お誕生日おめでとうございます。
初めてお便りします。
私も40代ですが、パリで、独身で、
この春に娘を生みました。
臨月の頃、松村様の「物語のはじまり」を出産のお祝いに頂きました。
それ以来、HPも拝見させていただいています。私は声楽家ですから秋風に楽譜をめくられたりしたら、たまりません。しっかり洗濯バサミでとめて、自分でめくりたいです。でも光陰矢の如し、あわれ、月日は去ってゆきますね。
誕生日おめでとうございます。
今回は女性ならではの、誕生日の捉え方をされている記事だったので、男性の私としては少々コメントに戸惑いましたが(^^)、お祝いはお祝いとして、シンプルに「おめでとう」を言わせてください。
「譜面台に置かれた楽譜が、風に吹かれてぱらぱらとめくれてゆくように・・・」
確か栗木さんは「観覧車」の短歌の作者でしたよね?
40代の誕生日を、季節感と重ね合わせて、短い歌の中に見事に表現されていますね。
やっぱり短歌ってすごいですね。そしてもちろん、こういう素晴らしい歌を作られる栗木さん、松村さんをはじめとされる歌人の方々に尊敬の念を抱きます。
松村さん、これからも素敵な短歌をたくさん作って下さいね。
本当に、おめでとうございます。
はじめまして!
コメント、とても嬉しく拝見しました。
自分の本が出産祝いに贈られるなど、想像もしていませんでした。なんて素敵なことでしょう。
これからもよろしくお願いします。
KobaChanさん、
あたたかいお祝いの言葉、ありがとうございます。
昨日はやや感傷的になっていたかもしれません。
健康で楽しく年齢を重ねられることを、謙虚に心から喜ばなければ、と今日は思っているところです。
九月の誕生石はサファイア、「誠実」「慈愛」の象徴だそうです。
九月十四日の誕生花はサルビア「紫花」。
濃い紫のサルビアは格調高い花姿が美しく松村さんのようです。
人生は季節と色にたとえられます。
青春、朱夏、白秋、玄冬。
女が四十代を越える頃はまさに人生の秋。
朱夏をすぎ白秋を迎えるころ。
嘆きのセレナーデなどでなく、「白秋麗々」と軽やかにハミングしたいものです。
一生(ひとよ)という楽譜の中で、一日(ひとひ)というページの旋律をすこやかに奏でられればそれは歓喜の歌に繋がるような気がいたします。
この歌と松村さんの解釈をしみじみ味わいました。
いいなー
そうですか、お誕生日でいらっしゃいましたか。
おめでとうございます♪
思いますに、「四十代」を過ぎたころからわたしの中には、鬼が棲みつきはじめました。この身をのっとられぬよう、日々小さく葛藤しています。
誕生日の花があり、自分のそれがサルビアだとは知りませんでした!
「一生という楽譜の中で、一日というページの旋律をすこやかに奏でられれば」という言葉、とってもいいです。
スマイル ママさん、
「鬼」はあるときは怖いけれど、あるときは憎めない存在だったりしますよね。
上手に飼いならし、共存していきましょう!
「夏のうしろ」は9.11テロや、北朝鮮拉致事件など、現代社会がひとつの大きなテーマになっていますが、こういった歌にも惹かれますね。
ご自分のほんとうの心境を語らず、卓抜した比喩表現でうたうところが、いい。自分という楽譜がめくられてゆくという結句に、またまた、眩暈がしてしまいました。
僕はといえば、いまこの時を、のんべんだらりと生きていますが、自分が四十代になったときのこと……、か、考えたくねぇ〜。
まだまだ未熟者ですから!!
それから、送ればせながら、お誕生日おめでとうございます。
気の利いたことばとか、思いつかないんですが、とにかく、お互い何歳になっても、しなやかに生きられたら、と思います(←ちょっと、ナマイキでしたか)。。。
『夏のうしろ』は何度読んでも新たな発見のある歌集です。
自分を楽譜に喩えるなんて、何十年かかっても私にはできないような気がしますが、「しなやかに」頑張ります!
メッセージありがとうございました♪
私も40代になり、未来よりも過去を思うことが多い自分に、ドキリとしたりすることがあります。
そんな中でも、自分の中に10代のころと変わっていない部分を発見したりして、可笑しさを感じたりしてます。
まだまだ暑い日が続いてますが、この季節はやはり、年齢を重ねていくことに、センチメンタルになります。
秋風が吹けば、栗木さんの歌のような境地に達することができるか・・・
今日も蒸し暑い一日でしたね!
涼しい秋風が恋しくてなりません。
ご一緒に楽しく豊かに年齢を重ねてゆきましょう。
「お誕生日おめでとうございます。」
この一年も、まつむらさんにとって実りの多い素敵な年になりますように!
確かに年を取ると、しみや皺など気になりますがこれも長生きしたからであって、ある意味神様からのプレゼントですよね。
「更年期すぎておんなは晴れ晴れと」、だと思います。(ヘンな句みたいになってしまいました。^^;;)
私の友達などはみな、ポジティブに受け止めていて、軽々としたと言うか、さっぱりしたというか、思いのほか(?)いいもんです。(笑)
わぁ〜、メッセージありがとうございます!
「更年期すぎておんなは晴れ晴れと」って、いいなあ♪
これから、更年期をテーマの1つとして、積極的に女の加齢を詠っていきたいと思っています。励ましてくださって本当にありがたいです。勇気凛々です。
「更年期」・・・嫌なものです。真冬にひとりで汗をかいたりして、恥ずかしかった…など。でも幸い、心中したいほど好きなものがあったので、なんとか自分をごまかしているうちに逃げ切りました。
でも、つくづく思うのですが日本が戦争中の母親たちの更年期はどんなだったかと。やはり女性ですから身体的な悩みはあったでしょう、かてて加えて息子たちは戦争にかりだされ、食べ物はなく、爆弾はおちてくる、明日をもしれぬ日々を送っていて「更年期」のほうはどうだったのかしらと。都会では空襲警報が鳴ると、身の引き締まる(政治家の常套句ではありません)おもいがしたのですから、現代の私たちが経験するようなものとは違ったのではないかと思えるのですが。
私も、いまは人生のカデンツにさしかかっています。楽譜のお話から、カデンツに思いいたりました。簡単に済ませる楽聖もいればエンエンとつづける楽聖もいてすごいモンですが(楽聖さんごめんなさい)私もエン、エンにならないようにと思いますが、さてさて。
「人生のカデンツ」という美しい表現に、あっ、これ歌にしたいなぁ、と思ってしまいました。楽譜にない部分であり、これまでのパッセージを愛でつつ変奏する聴かせどころ……更年期をそうとらえれば、何だか張り切ってしまいます!