2007年09月21日

ハムとまぶた

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 ハム薄く切りつつぞをりちひさなる豚の瞼のごときも切りたり
                      葛原 妙子


 日常にふっと兆す怖さというものがある。
 優れた詩人は、その怖さを常にひしひしと感じることのできる人だと思う。
 この作者がハムの塊を丁寧に切りながら、「あっ、いま私が切ったのは、まぶただったかもしれない!」と思ったことには、ぞっとさせられる。この怖さは、決して昨今の、肉まんなど加工食品に何が入っているか分からないという不安感ではない。豚の原形をとどめていない美しいピンクのハムから生命を想像する力の、何という強靭さだろう。
 ここには「哀れ」だとか「悲しい」といったことばは全くない。ハムを切っている自分の残酷さ、恐らくはまぶたも尻尾も腹部も寸断された豚の死の無残さがあるばかりだ。そこに、作者の誠実さというか、思い切りのよさを感じる。「ハムから豚の死を想像する私って、何て繊細でやさしい人なんでしょう」というような甘ったるい感傷は、たぶん作者にとって最も卑しむべきものなのだ。
 旅で訪れた沖縄やスペインの市場には、豚や仔ヤギの頭が並んでいた。しっかりとまぶたを閉じたその頭部を思い出す。「ちひさなる豚」の「耳」でも「鼻」でもなく、「瞼」であるところにも、この歌のすごさが潜む。歌を作る過程で、あるいは最初に「瞼」がひらめいたのかもしれないが、「どの部位が一番残酷で効果的かしらねえ……鼻? う〜ん、耳? ありきたりねえ。耳塚なんてものもあるし……まぶた。そう、まぶたよ! 一番ぞくぞくするのは」というような流れがあったのではないかと想像すると、葛原という歌人の怖さがまた改めて思われるのであった。

☆『葛原妙子全歌集』(1987年7月、短歌新聞社刊)
posted by まつむらゆりこ at 12:00| Comment(8) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
一瞬、何の脈絡もなくビアズリーのサロメが、頭をよぎりました。

手を汚すことなく善人ぶることの空しさ歯痒さ、そんなことを強く感じました。
Posted by スマイル ママ at 2007年09月21日 17:28
スマイル ママさん、
おお! その連想はきっと葛原妙子が喜ぶに違いありません。
Posted by まつむらゆりこ at 2007年09月21日 18:13
生きたままの姿をつきつけられると顔をしかめるくせに…切り身だけ買ってよろこんでる方がよっぽどグロテスクなんでしょうね、ほんとうは。
Posted by Lucy at 2007年09月22日 08:09
Lucyさん、
そうそう、私もつい切り身ばかり買ってしまうのですけれど。
Posted by まつむらゆりこ at 2007年09月22日 22:34
ハムの中の木の節のような模様を見つけたのでしょうか。それを瞼だと感じるのは鋭い感性ですね。日常われわれはハムを食べるとき、それが豚だとは意識していない。子供らはハムはハムという食べ物で、それが生きていた豚だったとは、知らないのでは?
牛や豚のとさつの場は絶対テレビで映されないタブーだと夫が言っているが、そうやってわれわれは残酷な現実に封印をしている。
その代償に生き物に対する感謝の念が失われているのではないでしょうか。それがいのちを軽んじる風潮にも通ずるような。。
ところでこの写真はどこで撮ったのですか?
Posted by 山野いぶき at 2007年09月23日 11:04
山野いぶきさん、
撮影したのは那覇市の公設市場です。最初は驚きましたが、「ミミガー(耳)」とか「テビチ(豚足)」を「おいしい、おいしい」と食べている自分を考えると、ちゃんと見なければなぁ、と考え直した次第です。
Posted by まつむらゆりこ at 2007年09月23日 11:42
こんにちは。
詩歌の魅力を深めるためには、日常のあらゆる場面において、さまざまな思いをめぐらしながら、感性を磨くことの大切さを感じました。
あるいは、すぐれた詩人や歌人の方々には、生まれながらにそのような感性が備わっているのかもしれませんね。
食事をする時に、生き物の命をいただくありがたさを感じることは、とても大切なことですね。ただ、食べる時に、あまりにも怖さの部分に思いが行ってしまったら、それもまた日常生活に支障があるような・・・。
今度、ハムを見た時に、何かとても怖くなりそう^^;
でも、そういう感覚もとても大切にしてみたいと思いました。
Posted by KobaChan at 2007年09月25日 16:35
KobaChanさん、
せっかく美味しいハムを食べるときに、怖くなったりしませんように!
そのへんは本当に難しいですねえ。
スペインで見かけた仔ヤギの頭はかわいくて、複雑な気持ちになりましたもの。
Posted by まつむらゆりこ at 2007年09月28日 11:49
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