2007年09月28日

母も育たねばならず

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 棘(とげ)だつものいくつもつけて帰り来しわが外出着(そとでぎ)に吾子よさはるな
                 五島 美代子


 家の外に出ると「棘だつもの」がいくつもいくつも、くっついてくる。だから、帰宅したばかりの自分に子どもが抱きつこうとしたとき、それを制するのである――。一首の意味は、大体こんなところだろう。
 作者は『母の歌集』などで緊密な母子関係を詠った歌人。長女を亡くした深い悲しみを詠った歌があまりにも有名なので、私は長らく「母子が一体になったような、愛情あふれる古いタイプの母」というイメージを抱いていた。しかし、この歌を見つけて「おや」と思った。
 確かに、やわらかで純粋な子どもを守ろうとする感じはあるが、どことなく外出後の自分にある猛々しさをよきものとして思う気持ちもあるように感じたからだ。「わが外出着」とあるが、ここは「われ」と同じと考えてよいだろう。
 これは、子どもに対する愛情の歌というよりは、むしろ自分と子どもとの距離を詠った作品ではないだろうか。子どもに触れられることを拒むような何かが、自分の中にあるという事実を見据えているように思える。

 子よ母も育たねばならずある時のわが空白に耐へて遊べよ

 作者にはこんな歌もあるが、まさにワーキングマザーたちの心を代弁したような内容である。子どもにとって、保育園に預けられている時間は「わが空白」かもしれない。でも、そこにはきっと別の「充実」もあるはずだ。そして「母も育たねばならず」なのである。母の「空白」は、仕事に限らず、いろいろな活動であって構わない。
 「母の歌人」と呼ばれる五島美代子に、新たな興味が湧いてきた。
posted by まつむらゆりこ at 11:45| Comment(8) | TrackBack(0) | 元気の出る子育て短歌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
こんにちは。
とても現実的な母子のお話として拝見しました。「子供との距離」という部分がとても印象的です。そして、その「距離」というものは、「愛情」と同じくらい大切なものなのだろうと感じました。
母子の繋がりの前提として、お互いの個としての自分を育てる大切さといったところでしょうか。そして、その部分については、たとえ子供といえども、あるいは逆に子供から見た母や父といえども、触れては欲しくない大切なものなのでしょう。
上手くまとめられませんが、母子(あるいは親子)の間には、「愛情」と同じくらい大切な「距離」があるということ、あらためて学ばせていただきました。
貴重なお話を、ありがとうございました。
Posted by KobaChan at 2007年09月28日 16:31
KobaChanさん、
「距離」が「愛情」と同じくらい大切だ、と解釈してくださったこと、とても嬉しいです。よい母であろうとして、距離を縮めすぎる人もいると思うのです。
Posted by まつむらゆりこ at 2007年09月28日 18:00
母と子では距離感に差があるかもしれませんね。私は距離がありすぎると思い、娘はなさすぎると思っているかもしれません。

自分の親との関係だと、それが逆転していることには苦笑せざるをえませんが。
Posted by もなママ at 2007年09月28日 21:17
美代子の夫、五島茂については、三省堂「現代短歌辞典」で「心の花」の大野道夫さんが執筆されているんですが、一首目の「刺」という表現は、夫の茂がきびしい批評家だったために、敵が多かったことにも起因する、と推測されます。
それはそれは、美代子も子供も苦労したことでしょう。
ちなみに、とは言えないほど重い事実ですが、娘の一人、ひとみを自殺によって亡くしているそうです。
それだけに、この娘の思い出ともなったであろう歌が、重くのしかかってきます。
二首目の歌。この気骨の強そうな感じは、松村さんの歌にも通じるものがあります。
ご自分の息子さん(←って、なんか変)を溺愛している女性歌人を、ふたり知っていますが、この歌を読むと、五島美代子の愛し方は、なにか、ふつうの母親とは違ってると思うんです。「寂しさに耐える。」あるいは「耐えさせる。」っていう愛し方もあるんですね。
松村さんの場合、ブログを読んでいると、やや放任的なのでしょうか。
育て方、愛し方もそれぞれで、おもしろいな。


長くなりましたが。
Posted by 森 at 2007年09月29日 11:37
はじめまして。短歌はまったくの独学で楽しんでいる者です。ここはいろいろな歌を松村さん流の解釈で紹介してもらえるところが気に入って拝読しております。

美代子の歌の解釈ですが、面白い視点から書かれておられるな、と興味を抱きました。一首目で、猛々しい自分をよきものとする感情を歌の中に感じとったのも、二首目の、不在の母の、言ってしまえば「自己肯定」も、松村さんの自己投影でしょうが、同時に、母なるものにも実は自分がある、という女の(人間の)真実をあぶりだすものだろうと思います。

母と娘、は、母と息子、や、父と子、とは、また違う関係でしょうが、美代子はひとみと机を並べて東大に学ぶなど、実は自己愛の強烈さを母性愛のエネルギーとしていた人なのではないでしょうか。ひとみの死は、あるいは自分と母の自我の葛藤の結果の、敗北というかたちを選んだ優しい愛、若い愛、だったのかもしれませんね。

また、楽しみに寄らせていただきます。
Posted by ホセ at 2007年10月02日 01:20
もなママさん、
自分と母の距離には思い至りませんでした。鋭いですね!

森さん、
五島さんのご夫君の存在をご指摘くださって、ありがとうございます! なるほどぉ。
ひとみさんを亡くした悲痛な歌の印象が強いので、今回ご紹介した歌は、私には少し意外だったのです。

ホセさん、
はじめまして!
おっしゃる通り、「自己愛の強烈さ」をもっていた人だと思います。そうでないと歌など作れないのかもしれません。葛原妙子の長女、猪熊葉子さんの文章など読むと、それをひしひしと感じます。
Posted by まつむらゆりこ at 2007年10月02日 09:16
ゆりこさん、こんにちは。
猪熊葉子さんの「児童文学最終講義」という本、読みました?面白かったですよねぇ。遺族からの回想は時としていろいろ評価が分かれますが、猪熊葉子さんは自分が文学者なので、葛原妙子を歌人として捉えている視点が面白かったです。
五島美代子とも葛原妙子とも親しかった森岡貞香さんに川野里子さんがインタビューなさったという話を聞きましたが、どこに出ているのでしょうか。ご存知ですか?
Posted by もりじり at 2007年10月03日 10:53
もりじりさん、
「児童文学最終講義」もちろん読みましたとも。私は、葛原妙子を知るよりも前に、ローズマリー・サトクリフやフィリパ・ピアスなどの翻訳者として猪熊葉子の名に親しんでいましたから!(歌人としてマズイのでは……)
森岡貞香さんへの川野里子さんのインタビューは、「歌壇」の2006年7、8月号に載っています。川野さんの連載「葛原妙子と世界」が終わってから掲載された特別インタビューです。
それにしても、あの連載は、どうして本にならないのでしょうか!! 私は「あとで本になるに違いないから」と思って、読み飛ばしていたのに〜〜(これまた歌人としてマズイよね、もう!)。
Posted by まつむらゆりこ at 2007年10月03日 15:50
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