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はてしなきおもひよりほつと起きあがり栗まんじゆうを一つ
喰(たう)べぬ
岡本かの子
岡本かの子の歌には、何とも言えずふっくらとした味わいがある。
意味を詰め込みすぎない風通しのよさ、と言おうか。ことば一つひとつのしらべやイメージが、最大限に生かされている感じがある。歌というのは、本来こういうものなのだろうと思わされる。
「起きあがり」というから、作者はそれまで寝そべって物思いにふけっていたのだろうか。「はてしなきおもひ」という表現は、読む人がいろいろ想像できる広がりがあって楽しい。いとしく思う人のこと、世界の出来事、遠い昔の思い出……時空を超えて思いは果てなく広がっていたのだけれど、「ほつと」起き上がって、この人はおもむろに栗まんじゅうを食べ始めるのであった。
恋のことでもいい。戦争のことでもいい。さっきまで、そのことを真剣に考え涙ぐんでさえいたのに、今は「なんだかねぇ…」なんて言いながら栗まんじゅうを食べている姿の、何とも言えないおかしさ、かわいさ。私はこの歌を読むと、北杜夫の『楡家の人びと』に出てくる「桃子」を思い出してしまう。しもぶくれで、何かと大粒の涙をこぼす愛すべき人物である。人一倍夢見がちなくせに、妙に現実的なところもあって情が深い。かの子も、そんな人ではなかったかと思う。
ぎちぎちと意味が先行する歌でなく、ことばがゆったりとたゆたうような歌が作れたら、と願う。「栗まんじゆう」に限らず美味しそうな和菓子を見ると、「かの子のような歌が作りたいなあ」という思いから、つい買ってしまう私である。
歌壇でグルメというと、宮英子さん、松平盟子さん、大松達知さんあたりを思い浮かべます。
食べ物は舌という受容体で感受されるものですから、歌人によっては、かっこうの歌ネタになるんですね。といっても、これは「栗まんじゅう」を歌った、というよりは、日常をそのまま詠んだ感じですね。
歌のスケールの大きさ、あるいは垣間見せる「禍々しさ」が、かの子の歌の魅力だと思うんですが、「栗まんじゅう」にちょっと笑ってしまいます。
いきなり庶民的になるメリハリもまた、テクニックかな、と。
溢れんばかりの感情を枇杷、林檎、桜花などに込めたかの子にしては、意表をつかれた気がしました。
かの子の歌はまだ読んだことがないのですが、「風通しの良い歌」ということで興味がわきました。私もゆったりした歌が好きです。さっそく読んでみたいです。
そうですね、スケールというか身ぶりの大きさも、かの子の歌の魅力ですね。
おいしそうな歌を私も作ってみたいです。
いぶきさん、
あ、「起きあがり」は比喩ですか。
自分が寝そべって本を読むのが好きなので、つい本当に寝ころんでいたのかしら、と思ってしまいました。
栗饅頭(写真)はおいしかったですよ♪
器も重みのある、お似合いのショットですね!渋いお濃茶を一服そえましょうか?私だって、切り替え早いですのよ。。。
器は、Afternoon Tea(大好き!)で買いました。重みはあるかな?
とてもあたたかくて、ほっとする歌ですね。
こういう歌いいですね^^
おいしそうな歌、よろしくね!(笑)
はりつめた感じの歌もいいけれど、ほっとする歌、いいですよねぇ。
もなママさん、
栗まんじゅうは、この名歌があるからパス!!
別のお菓子で挑戦です♪
自分もまんじゅうが食べたくなるような歌です。
身近な食べ物をこのように魅力的に表現するのが、かの子の得意とするところだったのでしょう。
かの子は、歌だけでなく、短編「東海道五十三次」ではとろろ汁、「鮨」ではさんまの鮨
「家霊」ではどぜう料理を題材にして、読んでいると思わず食べたくなります。
特に「東海道五十三次」で、
「とろろの香りを消さぬよう、薬味の青海苔はかけない」
というあたりなどは、とてもいい。
私自身もとろろ汁を家でよくやりますが、薬味は極力かけずに、そのまま味わいます。
かの子は、食べ物にかぎらす、飾らない自然のままが好きだったのかも、次の歌があります。
力など望まで弱く美しく生まれしままの男にてあれ
「かろきねたみ」より
そうそう! 「鮨」は私もとても好きな一編です。
「力など望まで〜」の歌は、栗木京子さんの「雨降りの仔犬のやうな人が好き、なのに男はなぜ勝ちたがる」を思い出させます(あっ、反対か!)。
紅玉、栗、と季節物がつづきますね。
次は是非、松村さんご自身の、季節・食べ物を詠まれた作品を、紹介してくださいませんか。
総合誌などで探すのですが、なかなか松村作品にお目にかかれません。近作の発表号などのインフォメーションも載せてくださると、嬉しいです。また、特定の歌人研究評論には取り組まれておられますか?ご教示ください。
かの子のような歌が詠みたい、とは、ご自身の個性と反対方向への憧憬でしょうか。松村さんの散文的な歌に松村さんらしさを認めていたのですが。新聞記者時代の歌が印象深い自分としては、いまの松村さんの歌人としての立ち位置がわからないのですが、第三歌集にむけた作歌方針などもお聞かせ願えれば、嬉しいです。
こんにちは。いろいろ書いてくださって、ありがとうございます。
「総合誌などで、なかなか作品が読めない」とのこと、うわぁ、ごめんなさい。
また「歌人としての立ち位置がわからない」とのこと、これまた返す言葉がありません。
長年、新聞記者だったせいか、自分のことを書くのが苦手です(書くときは、だいぶ覚悟して書いています)。
このブログは、よい歌を紹介するのを基本としているので、子育て短歌以外で自分の歌を出すのは、あまり気が進みません。
というわけで「第三歌集にむけた作歌方針」「立ち位置」などは、今のところパスです。どうぞ「先のお楽しみ」ということでお許しください。
「今度こういう雑誌に私の作品が載ります」というお知らせも、気恥ずかしくて……。しかし、毎月むなしく各誌を探してくださっているかと思うと、申しわけなく思います。これから機会があれば、お知らせするようにします。
松村さんの歌は、現代の最先端をゆく女性の感性と情報のもりこまれた「よい歌だった」、と記憶しています。
いまは新聞記者はお辞めになったのでしょう?子育て短歌も、不躾ですが、破婚されるまでの松村さんの新婚時代のテーマだったのでしょう?
ご自分の今を、自信をもって、往年の文体でスピーディーに活写してほしい、と思う一我儘ファンです。栗木京子とも岡本かの子とも違う松村さんの個性が読めれば、本望です。