2007年10月12日

栗まんじゅう

KICX1397.JPG

                             、、、、、
  はてしなきおもひよりほつと起きあがり栗まんじゆうを一つ
喰(たう)べぬ
                       岡本かの子


 岡本かの子の歌には、何とも言えずふっくらとした味わいがある。
 意味を詰め込みすぎない風通しのよさ、と言おうか。ことば一つひとつのしらべやイメージが、最大限に生かされている感じがある。歌というのは、本来こういうものなのだろうと思わされる。
 「起きあがり」というから、作者はそれまで寝そべって物思いにふけっていたのだろうか。「はてしなきおもひ」という表現は、読む人がいろいろ想像できる広がりがあって楽しい。いとしく思う人のこと、世界の出来事、遠い昔の思い出……時空を超えて思いは果てなく広がっていたのだけれど、「ほつと」起き上がって、この人はおもむろに栗まんじゅうを食べ始めるのであった。
 恋のことでもいい。戦争のことでもいい。さっきまで、そのことを真剣に考え涙ぐんでさえいたのに、今は「なんだかねぇ…」なんて言いながら栗まんじゅうを食べている姿の、何とも言えないおかしさ、かわいさ。私はこの歌を読むと、北杜夫の『楡家の人びと』に出てくる「桃子」を思い出してしまう。しもぶくれで、何かと大粒の涙をこぼす愛すべき人物である。人一倍夢見がちなくせに、妙に現実的なところもあって情が深い。かの子も、そんな人ではなかったかと思う。
 ぎちぎちと意味が先行する歌でなく、ことばがゆったりとたゆたうような歌が作れたら、と願う。「栗まんじゆう」に限らず美味しそうな和菓子を見ると、「かの子のような歌が作りたいなあ」という思いから、つい買ってしまう私である。
posted by まつむらゆりこ at 08:27| Comment(13) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
朝早くからの更新、ご苦労さまです(たまたま見ていました)。
歌壇でグルメというと、宮英子さん、松平盟子さん、大松達知さんあたりを思い浮かべます。
食べ物は舌という受容体で感受されるものですから、歌人によっては、かっこうの歌ネタになるんですね。といっても、これは「栗まんじゅう」を歌った、というよりは、日常をそのまま詠んだ感じですね。
歌のスケールの大きさ、あるいは垣間見せる「禍々しさ」が、かの子の歌の魅力だと思うんですが、「栗まんじゅう」にちょっと笑ってしまいます。
いきなり庶民的になるメリハリもまた、テクニックかな、と。
溢れんばかりの感情を枇杷、林檎、桜花などに込めたかの子にしては、意表をつかれた気がしました。
Posted by 森 at 2007年10月12日 09:22
いい歌ですね。「ほっと起き上がり」が特にいいです。もの思いにふけっていたのにはっと気づいて、という比喩なのでしょう。よくぼんやり考え事をしてははっとわれに返ることの多い私ですが、こんなたとえはとても浮かびません。栗まんじゅうを持ってきたのも、「ほっと」に合っていますね。最近特に和菓子党になった私、栗饅頭食べたくなりました。
かの子の歌はまだ読んだことがないのですが、「風通しの良い歌」ということで興味がわきました。私もゆったりした歌が好きです。さっそく読んでみたいです。
Posted by いぶき at 2007年10月12日 13:10
森さん、
そうですね、スケールというか身ぶりの大きさも、かの子の歌の魅力ですね。
おいしそうな歌を私も作ってみたいです。

いぶきさん、
あ、「起きあがり」は比喩ですか。
自分が寝そべって本を読むのが好きなので、つい本当に寝ころんでいたのかしら、と思ってしまいました。
栗饅頭(写真)はおいしかったですよ♪
Posted by まつむらゆりこ at 2007年10月12日 13:28
栗饅頭おいしそ〜♪
器も重みのある、お似合いのショットですね!渋いお濃茶を一服そえましょうか?私だって、切り替え早いですのよ。。。
Posted by スマイル ママ at 2007年10月12日 15:49
スマイル ママさん、
器は、Afternoon Tea(大好き!)で買いました。重みはあるかな?
Posted by まつむらゆりこ at 2007年10月12日 17:58
こんばんわ。
とてもあたたかくて、ほっとする歌ですね。
こういう歌いいですね^^
Posted by KobaChan at 2007年10月12日 21:19
由利子さんの栗まんじゅうの歌、楽しみにしています♪

おいしそうな歌、よろしくね!(笑)
Posted by もなママ at 2007年10月12日 23:11
KobaChanさん、
はりつめた感じの歌もいいけれど、ほっとする歌、いいですよねぇ。

もなママさん、
栗まんじゅうは、この名歌があるからパス!!
別のお菓子で挑戦です♪
Posted by まつむらゆりこ at 2007年10月13日 09:17
こんばんは、かの子の「栗まんじゅう」の歌、読んでいるだけで
自分もまんじゅうが食べたくなるような歌です。
身近な食べ物をこのように魅力的に表現するのが、かの子の得意とするところだったのでしょう。

かの子は、歌だけでなく、短編「東海道五十三次」ではとろろ汁、「鮨」ではさんまの鮨
「家霊」ではどぜう料理を題材にして、読んでいると思わず食べたくなります。
特に「東海道五十三次」で、
「とろろの香りを消さぬよう、薬味の青海苔はかけない」
というあたりなどは、とてもいい。
私自身もとろろ汁を家でよくやりますが、薬味は極力かけずに、そのまま味わいます。
かの子は、食べ物にかぎらす、飾らない自然のままが好きだったのかも、次の歌があります。

力など望まで弱く美しく生まれしままの男にてあれ
「かろきねたみ」より
Posted by SEMIMARU at 2007年10月14日 22:06
SEMIMARUさん、
そうそう! 「鮨」は私もとても好きな一編です。
「力など望まで〜」の歌は、栗木京子さんの「雨降りの仔犬のやうな人が好き、なのに男はなぜ勝ちたがる」を思い出させます(あっ、反対か!)。
Posted by まつむらゆりこ at 2007年10月14日 22:34
こんばんは。

紅玉、栗、と季節物がつづきますね。

次は是非、松村さんご自身の、季節・食べ物を詠まれた作品を、紹介してくださいませんか。

総合誌などで探すのですが、なかなか松村作品にお目にかかれません。近作の発表号などのインフォメーションも載せてくださると、嬉しいです。また、特定の歌人研究評論には取り組まれておられますか?ご教示ください。

かの子のような歌が詠みたい、とは、ご自身の個性と反対方向への憧憬でしょうか。松村さんの散文的な歌に松村さんらしさを認めていたのですが。新聞記者時代の歌が印象深い自分としては、いまの松村さんの歌人としての立ち位置がわからないのですが、第三歌集にむけた作歌方針などもお聞かせ願えれば、嬉しいです。
Posted by doro at 2007年10月17日 03:26
doroさん、
こんにちは。いろいろ書いてくださって、ありがとうございます。
「総合誌などで、なかなか作品が読めない」とのこと、うわぁ、ごめんなさい。
また「歌人としての立ち位置がわからない」とのこと、これまた返す言葉がありません。

長年、新聞記者だったせいか、自分のことを書くのが苦手です(書くときは、だいぶ覚悟して書いています)。
このブログは、よい歌を紹介するのを基本としているので、子育て短歌以外で自分の歌を出すのは、あまり気が進みません。
というわけで「第三歌集にむけた作歌方針」「立ち位置」などは、今のところパスです。どうぞ「先のお楽しみ」ということでお許しください。
「今度こういう雑誌に私の作品が載ります」というお知らせも、気恥ずかしくて……。しかし、毎月むなしく各誌を探してくださっているかと思うと、申しわけなく思います。これから機会があれば、お知らせするようにします。
Posted by まつむらゆりこ at 2007年10月17日 08:59
今後お知らせしてくださるとのこと、感謝します。リクエストしてみるものですね。偶然見つけるのも嬉しいものですが。

松村さんの歌は、現代の最先端をゆく女性の感性と情報のもりこまれた「よい歌だった」、と記憶しています。

いまは新聞記者はお辞めになったのでしょう?子育て短歌も、不躾ですが、破婚されるまでの松村さんの新婚時代のテーマだったのでしょう?

ご自分の今を、自信をもって、往年の文体でスピーディーに活写してほしい、と思う一我儘ファンです。栗木京子とも岡本かの子とも違う松村さんの個性が読めれば、本望です。
Posted by doro at 2007年10月17日 18:27
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