2007年10月19日

花山周子さんの歌集

『屋上の人屋上の鳥』

KICX1403.JPG


 日常が独特の手ざわり感で描かれた、若々しい歌集である。

  見上げれば空をかきむしる木立なり一歩の距離がわからなくなる

 二十代の若さが、「一歩の距離がわからなくなる」によく表われている。恋人ができたり、友達と自分を比べたりすると、たちまち自分の歩幅がわからなくなった覚えが私にもある。自分は自分の一歩を重ねるしかないのだ、とわかるまでは、無理に大またで歩いたりちょこちょこ歩いたりして疲れてしまう。葉を落とした裸木が「空をかきむしる」ように見えるのも、青春特有の痛みだろう。

  その人と擦れ違うときわれの鼻膨らんでゆくをマフラーで囲う
  尖りたるわれの鼻先焦げゆける吾の鼻先夏空の下


 「鼻」が詠われた二首には、奇妙な味わいがあって、特に惹かれた。ゴーゴリの『鼻』や、芥川龍之介の『鼻』を思い出させられ、自意識というものを非常にクールに見つめるまなざしに感心する。
 一首目は、想う人から何とか「鼻」を隠そうとする歌。二首目の「鼻」はプライドだろうか、自分の気持ちとは別にどんどん尖り、無残に焦げてゆく様を淡々と詠う。こんな若さで、これほど自分というものを突き放して見ることができるのは、十代から短歌を作ってきたことで獲得したものだろうか。
 歌集には「水野さんの指先にわが自画像の鼻先修正さるるを見おり」という歌も収められており、「水野さん」と作者の関係を、いろいろ想像してしまう。

  人間は骨格だけでできている母の頬骨は露わなり風に
  夏の日の漂う水の匂いなりエドゥワール・マネみどりに描くは
  美術館を巡り巡って落ちゆけるわが内臓は深海にある


 美術大学に通った人らしく、母の骨格をとらえた歌や、色彩や質感への鋭さを見せた歌にいい歌が多い。「母」や「水野さん」といった登場人物が、次第に読む者にとっても気になる存在になるのは、八六〇首という、第一歌集にしては多い歌数によるところかもしれない。短歌的に高らかに詠い上げないのは、若者世代に共通する羞恥心からかな、と思うが、この作者の場合は、のっぺりとした独りよがりの歌にはならず、きちんと世界とつながっている。

☆花山周子歌集『屋上の人屋上の鳥』(ながらみ書房・2007年8月出版・2625円)


posted by まつむらゆりこ at 09:11| Comment(10) | TrackBack(2) | 歌集・句集の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
この歌集、ご本人の装丁ですが、青と白のバランスが良いと思いました。白が大きいようだけど、海を飛ぶ鳥と波の白とうまく意思の疎通ができている。そして、表紙をめくったところの光沢のあるグレーがなんとも表と合っている気がするのですよね。
Posted by もりじり at 2007年10月19日 22:56
松村さん、ご無沙汰しています。

今日、紹介されている花山周子さんの短歌、どれも私は、いいなと思います。

身体(からだ)の様子に、うまく揺れ動く心のあり方を投射しているように見えます。
松村さんの深い解説の手助けのおかげで、そこまで感じることができるのだとは思いますが…。

この歌集を入手するにはどのようにすればよいでしょうか。おわかりでしたら、ご教示ください。

それから、そろそろ『物語のはじまり』に続く、短歌エッセイ第2弾の話はないのでしょうか。ファンの一人として、待望しています。
Posted by 拓庵 at 2007年10月20日 00:16
「空をかきむしる」
もろくて儚くて、でもアンテナの向きだけは確かに定まっていた、そんな頃があったなー

”美術館を〜〜内臓は深海にある”
まさに、鉛を飲み込んだような思いに、とらわれることがあります。
シャープですね!
Posted by スマイル ママ at 2007年10月20日 11:09
もりじりさん、
本当にすっきりした装丁で、作者の潔さというものを感じます。

拓庵さん、
おお! 歌集の件は花山さんに連絡して、後ほどメールします。

スマイル ママさん、
「美術館」の歌、いいですよね♪
Posted by まつむらゆりこ at 2007年10月20日 16:01
「空をかきむしる」かあ…。

こういう言葉に出会い、感情移入してしまう瞬間…「これだっ!」っていう爽快感と、「してやられた!」みたいな悔しさが入り混じりますね(笑)。


日本語ってすごいですね。
この歌、上の句にものすごく引き込まれます。
Posted by Lucy at 2007年10月20日 20:46
Lucyさん、
「空をかきむしる」に胸かきむしられている人が多いですね!
私はどちらかというと下の句のあてどなさに惹かれたのですが。
どっちにしても、いい歌だってことです♪
Posted by まつむらゆりこ at 2007年10月20日 21:57
花山多佳子さんの娘さん、さすが才能感じますね。二世歌人にいい人が多いですね。それにしても歌数が多いんですね、ふつうの4冊分ですか!

鼻や、空と樹木、そういった素材や、若さゆえの自意識は、正直なところ珍しくはない。が、表現水準が立派に歌人のそれですよね。松村さんご指摘のとおり、根っこに安心感がある。世界とつながるということは根本に肯定感があるということだから。だからこそ悩みながらも凡庸に若さを喪失してゆくんじゃないか、と危惧する面もあるにはあります。梅内美華子さんにも似ているでしょうか。ゆくゆく何を素材に歌ってゆくのか。お母さんのようなユニークな歌人としてねばりづよく歌壇に位置を占めていくと、嬉しいですね。若くしてこれだけ分厚い歌集を出すのですから、なりわいとしてやってゆくおつもりなんでしょう。

布団から片手を出して苦しみを表していたら母に踏まれた、というような一首がたしか収録されてますよね?あれが可笑しくて好きな歌で、この人を浮かび上がらせているシンボリックな一首でもあると思います。
Posted by ホセ at 2007年10月23日 23:55
花山さんの歌集とは、直接関係なくて恐縮ですが、
10月の岩波新書の新刊『新折々のうた9』(大岡信著)に、松村さんの短歌が『薄荷色の朝に』と『鳥女』から一首ずつ取り上げられています。
このブログのコメント欄でも、「折々のうた」がきっかけで松村さんを知ったという方がいらしたと思います。

私のブログでも、紹介させていただいたので、トラックバックさせていただきます。
Posted by 拓庵 at 2007年10月24日 21:57
一歩の距離がわからなくなる。私もこの言葉に強く惹かれました。ついこのあいだまでは私もぐらぐらしていました。でも還暦近くなるとぐらぐらしたくとも、開き直る自分が見えてきます。良いのか悪いのか、おばさんは悩みます。
ところでおいしそうな栗饅頭、どちらで求めましたか?私も今栗饅頭にはまっています。
Posted by はなはな at 2007年10月25日 20:51
ホセさん、
「蒲団より片手を出して苦しみを表現しておれば母に踏まれつ」ですね!
これ、本当に面白い歌です。最愛の母にさえ、苦しいときに踏まれる、という状況の認識。う〜ん、この若さでこの認識。

はなはなさん、
実のところ、私も一歩の距離がわからないままです。
栗饅頭は千葉市のイトーヨーカドーで買いました。有名ブランドとかじゃないですよ。お店の名前を忘れてゴメンナサイ!
Posted by まつむらゆりこ at 2007年10月25日 21:06
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Tracked: 2007-10-24 21:58

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