猫にもの言ひつつ深夜の水をのむ人とつらなる蛇口をあけて
三井 ゆき
しんと静かな、さみしい歌である。家族といえるのは猫だけのようだ。蛇口をひねって水を出す行為が他者と連なること、というとらえ方に、はっとさせられる。
そして、大岡信の詩「地名論」を思い出した。冒頭の「水道管はうたえよ」という1行がとても好きなのだ。
この詩は、さまざまな地名の響きやイメージがテーマであり、2行目から「御茶の水は流れて/鵠沼に溜り/荻窪に落ち/奥入瀬で輝け」と続くのだが、私には、地名そのものの持つ力よりも、地中にくまなく張り巡らされた水道管があちこちで歌っているイメージの方が強く迫ってくる。だから、「人とつらなる蛇口」にも、地面の下の水道管の様子をありありと感じてしまった。
地下に走る水脈――その豊かさと不思議さ。人工的につくられた水道管であっても、そこには水脈と似通った何かが存在する。
この作者は孤独感にさいなまれつつも、傍らの猫に語りかける優しさと、見えない空間に存在する他者への信頼を保っている。そこから、詩が生まれる。私の蛇口は開いているだろうか。人と連なっているだろうか。
☆三井ゆき歌集『天蓋天涯』(2007年10月、角川書店刊・税別2667円)
水道だけでなく、電気、ガス、電話、など、人工的につくられたラインが、なぜか人間の神経や血管を、あるいは同じ時間を生きている他者とのつながりを、意識させるのはなぜでしょうか。
だから「ライフライン」というのかも?
私自身はというと、水道・ガスのような「管物」より、電灯線・電話線のような「線物」に惹かれていました。
子供のころ、電線がつながっていない建物(物置・納屋など)を見ると、その建物は「生きていない」ような気がしました。
線にしても管にしても、その中を「消えてゆくもの」が流れていくからでしょうか。
そういう捉え方に、とても興味深いものを感じました。
水道管・・・日常生活には無くてはならないライフラインの一つだと思いますが、人との繋がりとなると、電話やインターネットを思い浮かべてしまいます。
しかし、水道管を通しても、人と人とが繋がっているのですよねぇ。それは、決して「水臭い仲」というわけではなく^^;
うーん、やはりとても興味深いお話でした。
「蛇口」ってコワイ名前ですよね!
命名したのはどんな人でしょう。
もなママさん、
そうですよ♪ ぴたぴた、じゃーじゃー、こんばんは。
KobaChanさん、
電話回線とかでなくて水道管に人とのつながりを感じる、というところに、ぐっと来ますよねえ。
princesselierreさん、
「Paris」に隠された意味を知りませんでした。地霊というもの、いろいろ想像力をかきたてられます。
いぶきさん、
三井ゆきさんは「短歌人」に所属なさっている方です。この歌集には、数年前に亡くなったご夫君の歌人、高瀬一誌さんを想う気持ちが直截的にではありませんが、いくつも詠われています。
万物の素「水」!
蛇口から出てくる水が冷たくなってきました。風邪など召しませんように。
おお! 水道管だけでなく、水は地球上のどこへでもつながっているのですね。
日本の料理は本当にじゃぶじゃぶ水を使うので、時々遠くまで水汲みに行く人たちを思って申しわけなく思うことがあります。
お疲れじゃないですか。
のぞくたびにそう感じます。(笑)
人とつながりたがる人とそうでない人がいるように思います。むしろつながらない人が、本物の歌人・詩人質ではないでしょうか。(この歌と少し離れますが)
それにしても孤独な歌人は水道にさえそこまで想いますか。水は命に関わりますし、これは人への希求?でも、実は「いま蛇口をあける、この先には人がいる(つながるというよりは、つらなる、つまり、あくまでも接点がある、までの感覚)、でもここには猫がいる」と、なんだか猫で満足しているありようがうかびあがる気がするのですよ・・・。
言ってること伝わるかなぁ。孤独な人は、心が松村さんのようには水道管を「進んでいかない」んじゃないか、ということです(笑)。あくまで人は向こうに感じられるまでで。蛇口開いても、ね。
それからもう一点。優しさと信頼から詩が生まれる、という読みが、どうも孤独者をとらえちがっているように思うのです。でもその読みがいつも松村さんらしいところです。これもうまくニュアンス伝わりますかね?
ではまた。楽しくがんばってください。
コメントありがとうございます。特に疲れているというわけではありませんので、どうぞ心配なさらないでください。
最後に「そこから、詩が生まれる」と書いたのは、この歌に関して私がそう思ったのであって、すべての詩がそういう状況から生まれる、という意味ではありません。
私個人では多くの歌集を読む機会がないのでこうして名歌(名句)をピックアップしてご紹介くださると大変嬉しく毎回楽しみにしています。
今回の三井ゆきさんの歌。
蛇口の向こうに繋がる「人」へのひたひたとした想いに打たれました。猫に物を言いながらもやはり「人」と繋がるものを希求する心。それはまぎれもない孤独ではあるけれど、蛇口の向こうには水を媒介として「人」がいると云う思い。そこには松村さんがご指摘のように「見えない空間に存在する他者への信頼」が存在する。
それがこの歌を「孤独」のままにしておらず白眉だとおもいました。
いつも松村さんの味わい深い読み解きに導かれ名歌(句)を堪能しています。
風邪などめしませぬように。
「ひたひたとした想い」という表現に、とても共感しました。この作者の心のありようが、私たちを惹きつけるのでしょうね!