街をゆき子供の傍を通る時蜜柑の香せり冬がまた来る
木下 利玄
ぐんと寒くなった。寒いのは苦手だが、この歌を思い出すと冬もいいものだと思える。
教科書にもよく掲載されている歌なので、なつかしく思う人も多いだろうが、歌自体のイメージが非常に鮮明で魅力的なのである。少し乾いた冷たい空気の中に、ふっと柑橘類の香りが漂う。それはすれ違った子供から香ってきたのだ。「ああ、もうすぐ冬だ」という思いは、晩秋の寂しさや冬支度への心づもりなどがないまぜになったものだろう。
木下利玄という人は、子供が好きだったんだろうな、と思う。「遠足の小学生徒有頂天に大手ふりふり往来とほる」といった生き生きとした表現を見ると、子供の様子をよく観察していることがわかるからだ。
「蜜柑の香」のする子供に出会うことは、今ほとんどない。電車の中でガムを噛んでいる子供の口から、人工的なブルーベリーやヨーグルトのフレーバーが強く匂ってきてたじろぐことはあるが、利玄のようなさわやかな経験はなかなか出来ない。街の中に、さまざまな匂いが溢れかえっていることもあるだろう。JR総武線のある駅では、ファーストフード店が近いのか、電車の扉が開くと必ず揚げ油の匂いがうわーっと車内に流れ込む。そういえば、私はコンビニエンスストアのおでんの匂いが苦手で、冬になるとおでんを販売する店には入らないことにしている。
数日前、散歩の途中で小学校の脇を通ったら、枯れ葉と濡れた土の混じった匂いがしてなつかしかった。日の傾きかけた校庭で、子供たちはいつまでも駆け回ったり鉄棒で遊んだりしていた。私にとって最も晩秋を思わせる匂いというのは、あの匂いなのだ。
寒くなってきましたね。いつも楽しみに読ませていただいてます。
「枯れ葉と濡れた土の混じった匂い」とても良くわかります。小学生の子供が「ただいま〜!」と元気良く家に帰ってきた時も、小さな体全体からこういう匂いがします。ふわっと外の新鮮な空気を持ち帰ってくる気がします。
運動靴にも校庭の砂や土をつけてきますが・・・。
この時期、給食のデザートはいつも蜜柑が多いそうですが、学校に参観に行けば、蜜柑の香りのする子供たちに出会えそうです。
(子供の通う小学校は、毎日、いつでも、
参観自由なんです)
それでは、またお元気で。風邪などひかれませんように。
はなやいだ器の中で、おみかんたちが喜んでいるみたいです。
前回の蛇口の絵は、どこまでも虚飾を削ぎ落とされ、凛としていて近寄れませんでした。
おかげさまで、いそいそと冬支度ができそうです。
小学生のお子さんがいらっしゃるって、いいですね! 蜜柑の香を漂わせている子供たちに会いに行きたくなりました。
冷奴さん、
ええっ! 私は匂いのある夢を見ることが時々ありますよ。最近では何があったっけ……思い出しておきます。
スマイル ママさん、
器をほめていただいて恐縮です。
でも、模様を見せようとして、縁の欠けているところが真正面にきてしまってました!
というか、自分がそうだったような気がします(笑)。
そうそう! だいたい今の子は、手のひらが黄色くなるまでおみかん食べたりしないでしょうねえ。
高京華さん、
お励まし、どうもありがとうございます。
「ほんわかする解説」と言っていただけて、とても嬉しいです。
ご案内の作品は教科書にも良く掲載されるとのことなので、文藝春秋社の「教科書でおぼえた名詩」という本を見てみました。
木下利玄という方は、明治から大正にかけて活躍された方なのですね。しかし、拝見した作品の言葉は、とてもわかりやすくて、もっと最近に作られたものではないかと思ってしまいました。こういう作品って、いいですね。
また、松村さんがご覧になった校庭のご様子、お話しを伺っているだけで、なぜかとても懐かしいような気持ちになりました。どうやら自分も、同じような風景の中で、子供時代を過ごして来たようです。
もうそろそろ、「コタツにミカン」もいいですねえ。
ところで、私も松村さんや冷奴さんと同じで、冬のコンビニのおでんの匂いが苦手です。なぜ、コンビニでおでんなのか、未だに理解しかねます。以前は、某大手チェーンだけだったように思うのですが、最近は追随するところも現れたようで閉口してしまいます。
コンビニはとりあえず日常生活に必要なものが揃うということがコンセプトのはずで、陳列されているそれぞれの商品が、あまり強烈な自己主張はしていないので、こちらも気楽に店に入れると思うのですが、この季節のおでんだけは、あの匂いで強烈に自己主張しており、店もコンビニではなく「おでんや」に看板を掛け替えた方がよいのではという気がしてしまいます。
しかし、売れない商品はすぐ消えていくコンビニの中で、毎年、消えることなく売られているということは、それなりに売れているということなのでしょうね。
利玄は、本家の跡取りとなるために、5歳のときに両親と別れ、家庭を持ってからも、3人の子を幼くしてなくしたために、「親子」「子供」「子供時代」というものに思い入れがあったのでしょうか。
利玄の初期作品に
夕方に子供の遊ぶころとなり
街にも下る蒼きうす靄
というのがありますが、利玄自身「この歌を歌会でほめられ、作歌に心を寄せるようになった」と自著に書いています。
みかんの歌には時間帯はありませんが、やはり日が傾いたころが似合いそうです。
そしてみかんの匂い、やはり晩秋から冬のものです。おでんもね(笑)
ところで「電車のドアが開くと油くさい駅」ってどこでしょうか
私の知るかぎりでは船橋駅のような気がします。あれは駅構内の立ち食いそば屋の揚げる天麩羅の香りだと思いますが。
(ローカルネタでごめんなさい)
やっぱり季節感のある果物とか、季節感のある歌、っていいですよね!
拓庵さん、
「コンビニのおでん苦手」派の意外な広がりに、ちょっぴり嬉しくなっています。コンビニの商品はあまり自己主張していない、という観察は面白かったです。
SEMIMARUさん、
利玄の生い立ちまでは詳しく知りませんでした。教えてくださってありがとうございます!
「油くさい駅」は船橋駅?、というのは当たりです。そっかー、立ち食いそば屋かぁ……。