2007年12月14日

保育所の時間

KICX1574.JPG

  あめ、あめ、と子はつぶやいてこの雨を見ているだろう
保育所の窓に        松村 正直


 保育所へ送っていった朝は、まだ雨が降っていなかったのだろう。若い父親は、仕事中に降りだした雨空を見上げ、小さな子どものことを思う。二歳くらいだろうか。たぶん「あめ」は、その子にとって覚えたての言葉なのだろう。新しい言葉を使うのは子どもにとってわくわくすることだから、雨が降ると喜んで必ず「あめ、あめ」と親に教えてくれるのかもしれない。
 家にいたなら、「そうだねえ、雨だねえ。雨ふってるねえ」と一緒に外を眺めることができたのに。保育所の先生は、たくさんの子どもたちの相手をするから、一人のつぶやきを聞いて相づちを打つ余裕がないときもあるだろう。もしかすると、「○○ちゃん、そんなところで何してるの。ごはんの時間だよ」なんて言われているかもしれない。きゅんと切ない気持ちになり、この父親は降り続ける雨を眺めている。
 保育所に預けることは、子どものいろいろな場面を見逃すことである。学校に上がれば、どんな親も「見逃すこと」はどんどん増えるのだが、うんと小さい頃には親の状況による差が大きい。
 子どもが生まれて仕事を辞めた友人が、「私は子どもの『初めて』を全部見逃したくないから」と言ったことがある。初めてのたっち、初めてのあんよ……子どもの成長のさまざまな場面に、母親として立ち会いたいのだ、と彼女は微笑んだ。その気持ちはよくわかった。
 保育所に預けていれば、ほとんどの「初めて」の目撃者は先生である。会社から息せき切って迎えに行き、子どものクラスの先生から「△△ちゃん、今日初めて歩いたんですよぉ!」と笑顔で話しかけられたとき、私は口惜しさと寂しさでいっぱいになってしまった。「あ、そうですか、ふうん」なんて先生の顔もろくに見ずに気のない返事をし、子どもをかっさらうように抱き上げ保育所を出た覚えがある。全くおとなげなかった。
 子どもと離れている時間に子どもを思うこと、会える時間をうんと大切にすること。いつもいつも傍にいてやれなくても、「初めて」が見られなくても、きっと大丈夫なのだ。「あめ、あめ」というやわらかい初句に始まるこの歌を読むと、そんな思いが湧き上がってくる。

 ☆松村正直歌集『やさしい鮫』(2006年9月、ながらみ書房)

posted by まつむらゆりこ at 00:03| Comment(7) | TrackBack(1) | 元気の出る子育て短歌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
私には子供がいないので深読みができないのですが、小さな子供が窓辺で雨が降るのを見ている情景が、ありありと浮かんで来ます。いわさきちひろの絵のような。やはり、「あめ、あめ」がいいですね。
Posted by いぶき at 2007年12月15日 16:53
 松村さん、こんにちは。
「学校に上がれば、どんな親も「見逃すこと」はどんどん増えるのだが、うんと小さい頃には親の状況による差が大きい。」
本当にその通りなんでしょうね。
記事の中に登場される、「子どもの『初めて』を全部見逃したくない」と言われたご友人は、とても恵まれた方かもしれませんね。
 しかし、どうなんでしょうか。ずっと一緒にいることで、『初めて』の全部が本当に見られるのかなぁとも思いました。離れているからこそ気づくこと、まさに今回ご紹介いただいた歌で詠まれているような、単なる「雨の日」にさえ、親と子供の間には様々な想いが生まれ、それがドラマチックに展開されるのではないでしょうか。こういう想いは、離れているからこそ得られるものなんでしょうね。
 多分、いつも子供と一緒にいられなかった親には、いつも子供一緒にいられた親には気が付かない「初めて」にも、たくさん気が付き、見えていたのではないかと思います。ご紹介の短歌と記事を拝見しながら、そう思いました。
Posted by KobaChan at 2007年12月15日 17:58
いぶきさん、
「いわさきちひろの絵のような」は本当にぴったりです。この歌、水彩画のような雰囲気ですもの。

KobaChanさん、
「離れているからこそ気づくこと」、鋭いご指摘です!
Posted by まつむらゆりこ at 2007年12月16日 09:20
こんにちは。
このたびは歌を取り上げていただき、ありがとうございます。
松村さんの鑑賞を読んで、この歌を作った日のことがまざまざと甦ってきました。過ぎ去った時間というものは、短歌の中にだけ残っている気がします。早いもので、この子も来年の春から小学生です。
Posted by 松村正直 at 2007年12月16日 12:41
松村正直さん、
コメントありがとうございます。この歌、本当に好きです。
お子さん、来春は小学校に上がられるとは! 残り少ない保育園時代をどうぞ楽しまれますように。
Posted by まつむらゆりこ at 2007年12月18日 09:46
お邪魔します。『物語のはじまり』以来の読者です。
このたびの記事を読んで、保育園デビューした頃の思い出が噴き上がってきました。
蘇るのでは足りない鮮烈な思い出ってあるものですね。
我が家は一人っ子なので、保育園無しには得られなかっただろうと思う経験がたくさんあります。切ないこと苦いこともありましたが。
わが子の『初めて』を見逃さないのが贅沢なら、集団の中にいるからこそのさまざまな表情を見るのもまた贅沢だったと思います。

雨を見ていたお子さんは、他の子どもと一緒ににぎやかな日々を過ごしていて、その1コマ名に「あめ、あめ、」の静かな場面があるのでしょう。

クリスマス、子どもたちに祝福がありますように。

Posted by わくわくももこ at 2007年12月24日 11:02
わくわくももこさん、
「路傍の花」を拝見しました!
胸がきゅんとするお話ですね。
でもホント、一人っ子は特に保育園で得られるものが大きいと思います。私の一人息子も、保育園でだけでなく、保育ママさんのおうちの末っ子のようにかわいがってもらって、ありがたかったです。
Posted by まつむらゆりこ at 2007年12月24日 12:07
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。
※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。
この記事へのトラックバックURL
http://blog.seesaa.jp/tb/72688724
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。

この記事へのトラックバック

保育所の親子
Excerpt: 松村由利子さんの「そらいり短歌通信」記事を読んでいて、怒涛のように思い出したことがあります。 予防注射だったか検診だったかのために、いつもより早く保育園にお迎えに行きました。子どもたちはみんなお散歩..
Weblog: 路傍の花
Tracked: 2007-12-24 10:16
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。