クリスマス恒例なれど聖劇に幼き博士台詞たどたど
岩井 謙一
教会の日曜学校では、毎年クリスマスに聖劇が行われる。マリアのもとに天使が現れる受胎告知の場面に始まり、ヨセフと臨月のマリアが宿屋を探したり、天使の一群が野宿する羊飼いたちに「救い主がお生まれになった」と告げたり、けっこう盛りだくさんだ。最後は、イエスが誕生した馬小屋に3人の博士たちが訪れて祝うところでおしまいとなる。
私も子どものころ日曜学校に通っていたが、聖劇ではたいてい、単独の台詞のない「その他おおぜい」の天使の役だった。マリアやヨセフは、優等生の子がなるものである。
聖書の記述に従って作られた台本だから、それほど面白みはないのだが、唯一、宿屋の主人というのは味のある役だった。ヨセフたちに「泊めてください」と頼まれて、「だめだめ、もうどの部屋もいっぱいだ」なんて冷たく断る役なのだが、ちょっと芝居っ気のある子どもが演じたりすると、観客からは笑いが起こる。
大体どの子も台詞があるのがミソであり、年齢に応じて台詞の多い役へと移ってゆく。うんと小さな子どもたちは、台詞のないヒツジの役を割り当てられる。耳のついた帽子なんか被らされて舞台を這い回り、なかなかかわいいのだった。
自分が子どものころは何とも思わなかったが、大人になってから劇を見ると、受胎告知の場面で幼いマリアが「どうしてそんなことがあり得ましょう。私にはまだ夫がありませんのに」なんて言うのが、妙に恥ずかしい。「うーむ、こういう台詞を言わせていいのだろうか」と悩んでしまったりする。
この歌の作者はクリスチャンだろうか。毎年恒例の聖劇を見て、小さな博士がたどたどしく台詞を言うのを微笑ましく思っている。年々歳々、子どもたちの劇は同じように見えるが、「歳々年々人同じからず」といった心境かもしれない。
☆岩井謙一歌集『揮発』(雁書館、2007年6月)
それはそれは可愛いのよ(笑)♪
いやぁ、それはいいですねえ。舌足らずに「今はただ思い絶えなむとばかりを」とか言われても笑っちゃう。降誕劇にもそういうふうに楽しめる面がありますよね。
聖書の言葉には時々励まされることがあります。
クリスマスのこの時期に、また聖書を読んでみるも良いかもと思いました。
どうぞ素敵なクリスマスをお過ごしください。
雨が上がってよいお天気となりました。
目に見える贈りものもよいけれど、見えない贈りものを大切にしたいな、なんて思います。メリークリスマス!
博士はいい役ですよ。
女の子は、なぜかなれないし。
子どもの数が少なくて、仕方なく大人が博士の一人になったりすると、これがしらけるんですよねえ……。
演じてたのは小学生のお兄さんお姉さんだったのでしょう。
小中高は公立だったので演じる機会はありませんでした。
それにしても商業化されたクリスマスは好きになれません、もっと静かにすごしたい。
クリスマスになると読みたくなる童話が、ディケンズの「クリスマス・キャロル」です。
格差社会・拝金主義の今日こそ見直されてもいい作品と思います。
ディケンズの「クリスマス・キャロル」、私も好きです。あのイギリスの冬の雰囲気がいいです。クリスマスの精神をみんなで分かち合いたいですね!
「松村由利子さんファン掲示板」に素敵な投稿が寄せられました。
皆様にも是非ご覧いただけたら嬉しいと思い書き込みしました。
「12/23の読売新聞にある年末恒例「今年の良書はこれ!」のコーナーで、白幡洋三郎氏(国際日本文化研究センター教授)が、松村由利子さんの『物語のはじまり』を取り上げておられました。」という内容です。
松村由利子さんファン掲示板」はここです。↓
http://www.style-21.jp/bbs/torionna/
松村由利子さんのファンの一人として嬉しいクリスマスプレゼントの記事として読みました。
松村さんのさらなるご活躍をお祈りいたします。