君は今小さき水たまりをまたぎしかわが磨く匙のふと暗みたり
河野 裕子
恋をすると、想像力がたくましくなる。
私は悲観的に考える癖があって、待ち合わせ場所に相手がなかなか現れないときなど、「もしかすると事故に……」「ああ、もう二度と彼に会えないのかも」などと悪い方へどんどん考えが及び、相手が「ごめ〜ん」なんて現れる頃には、へとへとになってしまうのであった。そこまで行かなくても、「あっ、私ってば、待ち合わせ場所を間違えてる?」なんて焦ってうろうろし、後で相手から「何で君は、ちゃんと決めた場所にいないの!」と怒られたこともあった(携帯電話がない時代ですね)。
この歌の作者は、カトラリーのいくつかを磨いているとき、ふっと恋人のことを思った。日が翳ったのだろうか、匙の表面が暗くなったように感じた作者は、その表面と、恋人がまたいだ(かもしれない)小さな水面を重ね合わせたのである。
グリム童話などを読むと、離れた場所にいる大事な人の姿を映し出す魔法の鏡が出てくる。この歌に何となくヨーロッパ的な雰囲気を感じるのは、そのせいかもしれない。歌の場面では、恋人は「小さき水たまり」をまたいだに過ぎないが、もっと大変なことが起きた場合、彼女はきっとそれを感知し、彼のもとに駆けつけるに違いない。そんな一途な恋ごころを感じさせる美しい一首である。
☆河野裕子歌集『ひるがほ』(短歌新聞社・1976年)
スプーンを磨きながら相手を案じる恋ごころというのは、携帯電話がある時代でも変わらないと思います。
でも、つい「元気?」なんてメールしちゃいそうですね。
「恋をすると、想像力がたくましくなる」。
ほんとにそうだと思う。
ドキッとしてくださいましたか?
だから、恋をしないといい歌が作れないんですよ!
いや、そういう問題じゃなくて、ここは恋する女性の美しき想像力を楽しんでくださればよいのです。こういう想像力は、「わかめ」であろうと「人魚姫」であろうと、豊かに持ち合わせているものだと思います。