絵巻物右から左へ見てゆけばあるとき烏帽子の人らが泣けり
中津 昌子
郷里の福岡で数日間、過ごしてきた。九州国立博物館で「国宝大絵巻展」が開催されているというので見てきたが、とてもよかった。太宰府市にある博物館で、福岡市内からは電車で40分ほどで行ける。
京都国立博物館が所蔵する国宝9点、重要文化財14点を含む豪華な展覧会である。彩色が美しく、内容が面白いのはもちろん、絵巻に添えられた書もたいへん素晴らしかった。百鬼夜行図などの御伽草子の世界は、畠中恵さんの「しゃばけ」シリーズを思い出しながら楽しんだ。
絵巻と言えば、この中津さんの歌である。発表された頃からずっと愛唱してきた歌だが、自分がどこに魅了されたか改めて考えてみると、動きのあるところではないかと思う。絵巻は当時の人たちにとって、今のアニメーションのようなものだっただろう。連続的に話がどんどん進んでいく面白さは、一枚の絵を眺めるときと全く違ったものだったに違いない。歌は、作者が昔の人と同じような心もちになって絵巻に見入っているうちに、突然「烏帽子の人らが泣けり」という場面に遭遇したことを、過不足なく表現している。ゆるゆるとテンポの遅い上の句から、ドラマティックな下の句へ展開するところがいい。読む者も一緒に「一体なにが起こったのか!」と絵巻の物語世界をいろいろに想像させられる。また、下の句は簡潔でありながら、柔弱な貴族がさめざめと泣いている様子を髣髴させ、雅やかな雰囲気を漂わせている。
今回、私は初めて絵巻物をじっくり見たのだが、ガラスケースの中に広げて置かれた展示物を眺めつつ、「ああ、『右から左へ見てゆけば』だな!」と嬉しくなった。会場には、絵巻の模型も置いてあった。取っ手を回すと絵が少しずつ動いてゆく仕掛けになっているのだ。何でもない表現のようだが、「右から左へ見てゆけば」というのはなかなか巧いなあ、と思った。
☆中津昌子歌集『風を残せり』(短歌新聞社・1993年)
静止画なのに、動きやストーリーがあり、「信貴山縁起」などはよくCМにも引用されます。
中津さんの歌の「烏帽子の人らが泣けり」というのは勝手な想像ですが、「北野天神縁起」の道真(の従者)が恩賜の御衣を前に身の不運を嘆き泣く場面のような気がします。
(太宰府からの発想)
絵巻は左がわを開いて見て、見終わった部分は右がわに巻き取っていきますが、時の流れが未来→現在→過去と流れるような気がします。
そうそう! 見終わって巻き取るときの感慨というものが、またいいんですよね。
中津さんが何の絵巻を見たのか、私もあれこれ空想して楽しんでいます。
絵巻をご案内いただき、
機会があればじっくりと見てみたいと思いました。その時には「右から左へ」を思い出したいと思います。そして、その際は、決して流行の「左へ受け流す〜♪」を付けないように注意したいと思います^^;
冗談はともかく、ご案内の歌の中にも動きとテンポの変化があるということ、ご説明を受けてから読んでみると、「なるほど、そういうことなんだ。」と感動しました。短い言葉の中に、時のリズムを変えてしまうような表現が出来る短歌、そしてその様な歌を作る歌人のみなさんは、本当に素晴らしいなあとあらためて感じました。
時が一枚の中にはいっています。SFの世界ですよね。
その後千葉の市立美術館でも絵巻を見る事ができ、その時はジブリの高畑さんの講演も聞く事ができました。
今日はとても寒くて、せっかく伸びたチューリップが足踏みをしています。桜の花はもつでしょうか。
お元気ですか!
「受け流す〜♪」は実は、私も連想してしまいました。でも、長らく愛唱してきた歌なので、そのメロディーは押し込めることができます。
「あるとき」という展開部分がすごく好きです。
会留府さん、
「時が一枚の中にはいっている」という表現、とても素敵です。
週末は京都へ行ってきました。桜はまだ五分咲きにもなっていませんでした。