『雨の日の回顧展』
日常の風景が不意に歪み、何かがどろりと流れ出しそうな、そんな奇妙な感覚を味わう歌集。加藤さんの歌を読むと、いつも不思議な空間へ連れてゆかれるようで、ちょっぴり怖い。
ふれたなら幼い耳であるようにとれそうなノブ、ふれたのだろう
ひるすぎのひとりの部屋にテーブルの水面をめくるかなしみながら
器から器に移す卵黄のたわむたまゆらふかくたのしむ
ドアノブの変哲のない形と子どもの耳を重ねた一首目は、金属の冷たさと耳のやわらかさが奇妙に交じり合う感覚にぞっとする。二首目は、平らなテーブルの表面を水面に見たて、あろうことか本当にめくってしまう作者の魔術師めいた手つきに魅了される。三首目は、つやつやとした卵黄がその弾力を誇るかのようにたわむ瞬間を、高速度カメラでとらえたような作品である。下の句のやわらかく、なめらかな韻律にうっとりさせられる。
この歌集では、ロダンやカミーユ・クローデルなど芸術作品をモチーフにした歌が多く、これまでにない世界の広がりを感じた。
私が特に好きなのは、ゴッホを取り上げた歌が中心となる「黄色い家」という一連である。
農婦はも胎児のごときパン生地を竈の中に差し入れにけり
葡萄パン百の眼窩のくらぐらと療養院のゴッホの書簡
一首目には、冒頭のドアノブの歌に似た怖さがある。やわやわとしたパン生地は、パン生地のように見えるけれど本当にそうなのだろうか? かまどの中で焼いてしまっていいのだろうか……グリム童話の原型を思わせるような暗さが湛えられている。
二首目は、「おお、ここにも葡萄パンの名歌が!」とわくわくしてしまった。干し葡萄の黒さに眼窩を思い、さらに、晩年のゴッホが療養院から弟テオに宛てて送った書簡の、ちまちまとした筆跡を連想した作品、と読んだ。この重層的なイメージは全く素晴らしい。精神を病みながら最後まで絵を描くことをやめなかったゴッホ、何もかも見逃すまいと見つめ続けたその目、眼窩が思われ、悲しみが迫ってくる。
泣き叫ぶ線を見て居り糸杉のようにあなたは顔を歪めて
向日葵が裸のままで逃げてゆくナパーム弾の炎のなかを
「糸杉」の一首目は、めらめらと描かれた糸杉に画家の苦悩を見る作者の感覚が詠われている。「あなた」は、ゴッホその人ととってもよいし、作者と一緒にゴッホの絵を見ている恋人という解釈も成り立つと思う。描かれた作品に気持ちを同調させ、思わず美しい顔を歪める繊細な恋人、という設定は味わい深いのではないか。
「向日葵」の歌も、非常に優れた作品である。この歌を読んだ人はきっと、ベトナム戦争中、ナパーム弾で衣服を焼かれ、裸のまま空爆から逃げている少女の写真を思い出すに違いない。AP通信のカメラマンによって撮影された少女は、皮膚移植手術を受けた後、数奇な運命をたどるが、彼女のその後についてはデニス・チョン『ベトナムの少女』(文春文庫)に詳しい。
あの有名な写真の少女を「向日葵」と重ねたところが、秀逸としか言いようがない。苦しみつつ力強い筆づかいによって向日葵を描いたゴッホと、悲惨な目に遭いながらも生き延びた少女の生命力。少女の姿は、何度となく侵攻されたベトナムという国そのものの勁さをも思わせる。私たちの心を強く揺さぶる二つの事柄が、時空を超え、たった三十一文字に表現されているのは、本当に見事である。
☆加藤治郎歌集『雨の日の回顧展』(短歌研究社・2008年5月出版・3150円)
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キリコの絵みたい。
これはおそらく、作者が世界をそんな眼で、意識的に見ているんでしょうね。
藤原龍一郎さんの新歌集についても言ったんですが、この一首一首が醸す、いわば「まぼろし感覚」が、読者に限りない陶酔感を与えます。
ただ知識があるのではなく、心というのか、魂というのか、それらがきっとどんな時でも豊かに働いているのでしょうね。
松村さんはきっと芯の強い方だと思います。
ね! すてきでしょう?
森さん、
「まぼろし感覚」ですか! 美しい幻を見せてくれる歌なんですね。本当にうっとりさせられます。
すいふようさん、
う〜ん、芯は強くないと思いますよ。ただ、歌が好きなだけです(照)。すてきなものを皆さんと分かち合いたくて。
私にもようやく加藤さんの本当のよさが読み取れるように成長したのかもしれないと、ひそかに喜んでいます。
性愛の歌もいやらしくなく(私からするとですけど)よかったです。
連作の読み解き方、さすが松村さんですね。脱帽しました。
そして、私もすいふようさんのご意見と同じです。すいふようさんが書かれているように、松村さんの知識と、心の豊かさを私も感じます。
「そらいろ短歌通信」は、やはりとても素敵なブログです。
私も実は、今まで加藤さんのよき読者ではありませんでした。ちょっと難しくて。
今回の歌集は、一番理解しやすかったです。加藤さんの歌も少し変化したのだと思います。
KobaChanさん、
別のジャンルの作品を歌の中に取り込むのは、すごく難しいことなんです。でも、そういう試みは歌を豊かにすると思います。今回取り上げた歌は、加藤さんならではの素晴らしい意欲作だと感じました。