
新聞社には、合計で22年間勤めた。いまだに、歌集を読んでいても、新聞について詠った作品に「お!」と反応してしまう。
「新聞沙汰になる」が脅しとなるかぎりまだ新聞は健在である
松木 秀
届きたるままの折り目に朝刊がゆうべの父のかたわらにあり
藤島 秀憲 どちらも、この4月に出版された歌集に収められた作品。
松木さんの歌は、新聞記者にはイタイ一首だ。そういえば、「新聞沙汰」という言葉も、あまり聞かなくなった。ネット空間での誹謗中傷の方がはるかに怖いものになったことも勿論だが、新聞の部数が減り、社会への影響力がなくなってきたことは明らかだ。この歌自体が古びて、理解されなくなる時がいずれ来る。
藤島さんの歌は、介護が必要になった老父を詠ったものである。新聞を読む気力、好奇心がなくなった父を寂しく思う気持ちが、折り目のきれいなままの新聞に投影されていて切ない。夕暮れどきの心もとないようなさみしさが、一首全体を覆っている。
「新聞」以上に気になるのが、「新聞記者」を取り上げた歌である。
初対面の新聞記者に聞かれおりあなたは父性をおぎなえるかと
俵 万智
貯金使ひはたして逃げたと額を言へば素早くメモをとる気配あり
なぜ避難したかと問はれ「子が大事」と答へてまた誰かを傷つけて
大口 玲子 俵さんの歌は、シングルマザーとして生きることについて取材された場面だ。大口さんは、3・11後に起きた原発事故を受け、幼い子を連れ東北から九州へ移り住んだことについて取材された。
どの歌も、まるで自分が批判されているように突き刺さってくる。「初対面」の人に対して、ぶしつけな質問をしなければならないことがある。また、どんな記事でも数字という具体性が力をもつので、数字が出た瞬間に「素早くメモをとる」のが記者としての基本なのである(嗚呼!)。三首目の作者の思いも苦しく伝わってくる。自主避難したことについて胸の中にはさまざまな思いが渦巻くのだが、それを言葉にした途端に、言葉自体が一人歩きしてしまう。「子どもが大事だったからです」と答えながらも、「それだけではないんだけど…」という思いもあっただろう。そして、何よりも作者は、自分の言葉が、避難したくてもできない人、避難しないことを選んだ人たちを傷つける可能性をよく分かっている。幼い子をもつ母親たちが、記者という第三者によって分断されてしまうことが、痛ましく思えてならない。
これらの「取材される痛み」について読むとき、自分の記者生活を省みて、ただ深く頭を垂れるしかない。
*松木秀『親切な郷愁』(いりの舎、2013年4月刊行)
藤島秀憲『すずめ』(短歌研究社、2013年4月刊行)
俵万智『プーさんの鼻』(文藝春秋、2005年11月刊行)
大口玲子『トリサンナイタ』(角川書店、2012年6月刊行)
posted by まつむらゆりこ at 21:48|
Comment(7)
|
TrackBack(0)
|
日記
|

|