2011年01月21日

帽子の力

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  新宿に赤き帽子を選びおり別の私のための帽子を
                     草田 照子


 石垣島は小さな島だが、おいしいパン屋さんがいくつもある。ここ数年でぐんと増えたようだ。2003年秋から毎年訪れてきたが、初めのころには、あまりパン屋さんを見かけることはなかった。相棒と移住計画を話し合うようになって、私は「引っ越してもいいけど、パン屋さんがないのはさみしいよぉ〜」とごねるほど、パンに執着心があった。
 おいしいパン屋さんがなければ自分で開こうか、などという野望も抱いていたのだが、引っ越してきたら、何のことはない、素敵なお店がいくつもあった。その一つが、美しい景観で知られる川平湾の近くにある「南国パン屋 ピナコラーダ」(http://pclkabira.exblog.jp/)である。このお店には、帽子や小物が並べられたコーナーがあって、とても魅了される。お姉さんがパンを焼き、妹さんが帽子を作っているという、かわいいお店である。
 最初にパンを買いに行ったときには、帽子のコーナーに惹かれつつ、我慢してパンだけ買って帰った。しかし、次のときには、メロンパンが焼けるのを待つ間、ついに誘惑に負けてベレー帽を注文してしまった。オーダーしても値段は変わらないというのだから、本当に魅力的だ。この帽子屋さんの名前は「couni(コユニ)」(http://couni.ocnk.net/)、ネットで買い物もできます。
 この歌の「赤き帽子」を選ぶ作者は、少し元気になりたい気持ちを抱いているようだ。赤い帽子を小粋にかぶった「別の私」は、たぶん現実の自分よりも、ちょっとばかりお茶目で明るいのではないかと思う。帽子には、そんな力がある。
 与謝野晶子がパリを訪れたときの詩に、「巴里より葉書の上に」という短い作品がある。

  巴里に着いた三日目に
  大きい真赤な勺薬を
  帽の飾りに付けました。
  こんな事して身の末が
  どうなるやらと言ひながら。

 初めてパリを訪れた興奮が、帽子に真っ赤な飾りに象徴されていると感じる。つば広の帽子をかぶった晶子の写真が、私は大好きである。自信に満ちて、美しい。
 帽子をかぶる歓びというものは、確かに存在する。

☆草田照子歌集『天の魚』(本阿弥書店、1992年10月)

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2011年01月14日

ムーチー

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  餅のかび百合の根などのはつかなる黄色もたのし大寒の日々
                        佐藤佐太郎


 1月11日は「ムーチー」の日だった。旧暦の12月8日である。
「ムーチー」は沖縄で「餅」のこと。といっても本土の餅と違い、もち粉を練って蒸し、月桃の葉で包んだものをそう呼ぶ。正確には「鬼餅=ウニムーチー」という。五月の節句に食べるちまきに、ちょっと似ている。この餅で鬼退治、厄払いするという言い伝えがあり、健康を祈願する行事とされる。
 これはもともと沖縄本島の行事だったが、次第に八重山でもムーチーが作られるようになったらしい。写真は、ご近所さんの手作りのムーチーである。昔はシンプルな白か、黒糖を混ぜた茶色しかなかったが、最近はけっこうカラフルなのだという。紫色のムーチーは紅イモフレークを使うからとか。私は月桃の葉の香りが好きで、ぱくぱく食べてしまう。
 この歌の「餅」は、本土のふつうの餅を指すのだろう。「餅のかび」というのが実になつかしい。今の市販の餅は真空パックになっているけれど、子どものころの餅はすぐにかびが生えるのが常で、年が明けてしばらくすると、母は瓶に水を張って水餅にしていた。それでも怪しげな黄色や青、黒のかびが生えてきて、食べるときはその部分をこそげ取って、焼いたり煮たりしたものだ。あの「黄色」は確かに「はつかなる」色だったなあと思う。
 もうすぐ「大寒」である。沖縄でも最も気温が低くなる時期で、ムーチーの日前後の寒さを「鬼餅寒(ムーチービーサ)」と呼ぶ。千葉から引っ越してくるとき、「もう暖房器具は要らないね」と、灯油ストーブやこたつは処分した。しかし、「もしかしたら…」と持ってきた遠赤外線ヒーターが、こんなに役立つとは! 島の若い設計士さんが「1年のうち、10日くらいはこたつが欲しい日がありますよ」と言っていたのは本当だった。

☆佐藤佐太郎歌集『冬木』(1966年8月、短歌研究社)

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2011年01月07日

お正月

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  桜咲いて沖縄(うちなー)正月賑やかに公設市場に豚肉(ぶた)を購う列                       渡 英子

 初めて島でお正月を迎えたが、別にどうということはなかった。スーパーのおせちコーナーはかなり地味である。ご近所さんがお手製の黒豆を分けてくださったので、あとはお餅やきんとん、かまぼこでお正月気分を味わった。大みそかまで原稿を書いていたので、思いっきり手抜きのお正月である。
 おせちコーナーがそれほどにぎやかでない理由のひとつには、旧正月を祝うから、ということもあるらしい。この歌の「うちなー正月」は「旧正月」のことと思われる。「桜」は、ソメイヨシノではなく、1月から3月にかけて花を咲かせるヒカンザクラである。作者は夫の転勤で那覇市に移り住んだことのある人だ。旧暦の正月の時期には、沖縄本島の公設市場は賑わうのだろう。石垣島の公設市場はどうなのか、ウォッチしてみたい。
 ところで、石垣島の冬の風物詩といえば、サトウキビの花である。ちょうど、暮れからお正月にかけて咲く。いつだったか観光で冬に石垣を訪れ、最初にサトウキビの花を見たとき、私と相棒は「ふーん、島にもススキがあるんだね」と言い合ったものだ(赤面……)。花が咲く時期が収穫時期でもあるので、島の製糖工場の操業開始は12月である。工場の煙突から勢いよく白い煙がもくもくと出ていると、「あー、冬だ」と思うようになった。

☆渡英子歌集『琉球 レキオ』(2005年8月、ながらみ書房)
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2010年12月31日

今年を振り返る

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  し残せる事の幾つか思ひつつ湯舟にて聞く除夜の鐘の音
                        神作 光一


 激動の2010年が終わる。万感こもごもの歳晩である。
 今年の私のトピックスは、
@沖縄・石垣島に引っ越した
A9月からツイッターを始めた
B第三歌集『大女伝説』を上梓した
――の3つだろうか。
 「し残せる事」は本当にたくさんあって、自分が怠け者であることを反省するばかりなのだが、それは来年の目標ができたということでもある。今年の自分よりも、少しでも進歩できるように努力を重ねようと思う。
 番外編のトピックスとしては、西日本新聞の書評委員になったことだろうか。これは本当に楽しい仕事で、それを理由にいつも以上に新刊をたくさん買ってしまった。

 私のお薦めは……
・科学       近藤宣昭『冬眠の謎を解く』(岩波新書)
           柘植あづみ『妊娠を考える』(NTT出版)
・メディア論    佐々木俊尚『電子書籍の衝撃』(ディスカバー携書)
・小説       池上永一『テンペスト』(角川文庫・全4巻)
・哲学・思想    高橋哲哉『殉教と殉国と信仰と』(白澤社)
・ノンフィクション 関千枝子『広島第二県女二年西組』(ちくま文庫)
           斎藤友佳理『ユカリューシャ』(文春文庫)

 新刊をわさわさ読んだ割には文庫が多いが、人にも本にも出会うタイミングというものがある。
 今年は親しい人やかつての同僚が若くして亡くなり、死というものを改めて考えた年でもあった。「いつか〜〜しよう」と先延ばしにするのはやめようと思う。会いたい人には会いに行き、やりたいことには挑戦したい。人生において「し残せる事」は少ない方がいい。

 ☆神作光一歌集『冴え返る日』(2001年、短歌新聞社)
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2010年12月24日

聖誕祭

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  街は聖誕祭(ノエル)のさざめきなりき予感なく君が言葉を受け      とめし日も                     今野 寿美

 さわがしく街に流れるクリスマスソングに、へきえきしつつ、やっぱりクリスマスが好きだ。人々が喜びを分かち合い、大いなる存在に感謝を捧げるのが、クリスマスという季節の幸せだと思う。
 子どものころ、クリスマスの朝プレゼントを置いてくれるのが両親だと知ってはいたが、それは目に見えるものを信じないということにはならなかった。幼い一時期「サンタクロース」を信じる経験をした子どもは、心のどこかに見えないものを信じるスペースを抱くようになる、という松岡享子『サンタクロースの部屋』(こぐま社)は、とても好きな本である。
 だから、小さな息子に「サンタさん、何をもってきてくれるかな?」と訊ね、彼が首をぶんぶんと横に振って「いや、ママがいいの。ママがちょうだい」と言ったときには、何とも言えない気分を味わった。あれは、私からの愛情に飢えていたのかな、と今も思い出すと胸がきゅっと詰まるような気がする。
 最近はクリスマス本来の意味を知らない若者もいるそうだ。「え、クリスマスってキリスト教と関係あるの? それって宗教じゃん、いやーん」と言っている女子高生がいたとか……。
 この歌では、クリスマスを「聖誕祭」と意味が分かるように表記し、ルビに「ノエル」とふっていることで、聖なるイメージ、静かな雰囲気を出している。華やかな街のさざめきに心を奪われていた若い女性が、思いがけなく愛の告白を受けた驚きと喜びがとても清らかに感じられるのは、初句が「クリスマス」でなく「聖誕祭」だからだと思う。「予感なき」「受けとめし」には、まるで大天使からみごもりを告げられたマリアのような、慎ましさと幸福感があふれている。

 ☆今野寿美歌集『花絆』(1981年4月、大和書房)
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2010年12月17日

天文台

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  胸に庭もつ人とゆくきんぽうげきらきらひらく天文台を
                        佐藤 弓生


 「天文台」という言葉を最初に知ったのは、小学校低学年のころである。学校で見ていた教育テレビの番組のテーマ曲に出てきて、その弾むような感じが好きだった。 
 ♪ 山のてっぺん 天文台 天文台 ♪
 冒頭のこの部分しか覚えていなくて、「えーと、動物の人形がいろいろ出てきてたから、道徳の番組だったのでは」と思っていたが、ネットには理科の番組だったという情報があった。うーむ、私の記憶では、動物たちがけんかしたり、仲直りしたり、という内容だった気がするのだが……。歌詞は「大きなドームが笑う/ドームは月の話をする/大きくなってロケットで/広い宇宙へ行く話」と続くらしい。
 それはともかく、この歌によって、天文台とは山上にあるものだというイメージがインプットされてしまったので、初めて石垣島の天文台へ行ったときは、「おお、ここはまさに『山のてっぺん』ではないか」と感激した。天文台のある前勢岳は標高197mと、それほど高くないのだが、小さい山なので案外と道路のカーブがきつく、自分で運転しているのに車酔いしそうなほどだ。「石垣島のいろは坂」と呼びたい。
 東京・三鷹の国立天文台は「山のてっぺん」にはないが、科学記者のはしくれだったころは取材に行くのがとても楽しかった。遥かな宇宙についてレクチャーを受けるのは(難しかったけれど)、慌ただしく過ぎてゆく日々のなかで本当に心が躍ることだった。
 この歌には、何か澄明な喜びがあふれている。「胸に庭もつ人」は、sense of wonder を知っている人だと思う。「庭」は現実の庭と違って果てしがない。そして、いつも何かしら種が蒔かれ、いろいろな花が咲いたり、実がなったりしている。だから、結句の「天文台」ととても美しく響き合うのである。
 天文学者に限らず、科学者にはとても謙虚な人が多い。未知の世界が広大無辺であることを知っているからだろうか。人間や地球の小ささを知ると、人はやさしくなるのかな、と思う。

(写真は石垣島天文台の105cm光学赤外線望遠鏡)

☆佐藤弓生歌集『眼鏡屋は夕ぐれのため』(2006年11月、角川出版)
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2010年12月10日

寒さ

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  陽光が地上に割れる音のしてこの冬いちばんの寒い日となる
                        菊池 良子


 12月9日付けの八重山毎日新聞の新聞に、こんな記事が載った。
「石垣島地方は、大陸から入り込んだ寒気の影響で8日の最低気温が14・8度と、平年を3・4度下回る、この冬一番の冷え込みを記録した。街中では、長袖を重ね着する市民や観光客の姿が目立った」
 うーむ、14・8度で「この冬一番の冷え込み」なのである。実は、その前日、夕方のローカルニュースで、地元のアナウンサー2人がこんな会話を交わしていた。
「明日の予想最低気温は14度です」
「(うわ、という表情で)寒いですね!」
「(悲しげに)14度ですからねえ」
 東北や北海道の人が聞いたら、怒ってしまうのではないかと心配してしまった。
 他県から沖縄へ移り住むと、だいたい最初の冬は「あったか〜い」と嬉しくなり、寒がっている県人をあきれ顔で見る、というパターンらしい。そして2年目の冬からは、寒く感じるようになるというのだが、私はなぜか早くも20度を切ると「さむっ」と思うようになってしまった。順応性の高さなのか、もともと軟弱者なのか……。
 そんな中、6月にお隣さんからいただいたバナナが、ついに第1号の花を咲かせ、小さな実ができた。冬のバナナは夏に比べると実が小さいというが、かわいくてならない。花房ができてから120日くらいたたないと食べられないというから、楽しみに待とう。
 冬が快適なのは、昆虫諸君の活動がめっきり減ることである。湿度も低いので、あまりカビやサビの心配をしなくてよい。虫が減ったせいであろう、わが家のヤモちゃんことヤモリの諸君の姿を見ることが少なくなったのは、少しばかり寂しい。
 この歌の「陽光が地上に割れる音」というのは、ふつうに読めば、地面の水たまりが凍って、朝の光を鋭く反射している光景だろう。誰かが踏んで氷の割れる音がして、寒さを余計に感じさせる……。しかし、そうではなく、実際には聞こえない音を鋭敏な作者の耳がとらえた、と解釈してもいいかもしれない。ぴしりと緊まった大気に「割れる音」を感じても、妙ではないと思う。英語のcrisp は、晩秋から冬にかけての乾いた冷たい大気の状態も指すし、ぱりぱり、かりかりした食感のことも指す。私の好きな言葉である。

☆菊池良子歌集『河』(1996年3月、短歌新聞社)
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2010年12月03日

ショパンと指紋押捺

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<生まれたらそこがふるさと>うつくしき語彙にくるしみ閉じゆく絵本
                        李 正子


 ショパンは昔から好きな作曲家だが、崔善愛(チェ・ソンエ)著『ショパン――花束の中に隠された大砲』(岩波ジュニア新書)を読み、いっそう心ひかれるようになった。
 この本の著者は、在日韓国人として日本に生まれ育ったピアニストである。「はじめに」には、ショパンが祖国ポーランドを離れる直前に友人へ送った手紙が紹介されている。「二度と祖国に帰れないかもしれない」という悲痛な思いが綴られた文面を読んだとき、著者は非常にショックを受けたという。なぜなら、かつて彼女は、外国人登録に必要とされていた指紋押捺を拒んでいたため、「もう日本に戻れないかもしれない」という不安を抱え、北九州市から留学先のアメリカへ旅立った経験をしていたからだ。
 「指紋押捺拒否? 北九州?」……私は記憶を探った。最初に入った新聞社で校閲記者をしていたころ、ちょうど在日韓国人の指紋押捺拒否や氏名の読み方を巡る裁判があり、その中心的な人物がこの本の著者の父、崔昌華さんだった。留学中だった善愛さんも、指紋押捺を拒否し、1985年に出た判決で罰金1万円の有罪となった。再入国許可を申請しても受け入れられない状況となってしまったのだ。それは、侵略され続けていたポーランドを離れようとするショパンが味わったのと同じ悲嘆だったという。
 この歌の作者、李正子(イ・チョンジャ)さんも在日韓国人だ。「半島を越えきしものの息づきか烙印かゆびしめらせて指紋を押しぬ」という指紋押捺の歌も作っている。「生まれたらそこがふるさと」だと単純に考えられない状況、自分の生まれ故郷と祖先の生きた地が異なることへの複雑な痛みが込められている。
 私は押捺拒否の運動や裁判を直接取材することはなかったが、サツ回りのころ、放火現場に近づきすぎて所轄署で指紋をとられたことがある。「念のため」ということだったし、周りで捜査員たちも笑いながら見ていたのだが、あんなにも嫌なものだとは実際に経験するまで分からなかった。
 「革命」のエチュードやロ短調のスケルツォは、ワルシャワ蜂起が失敗に終わったころに作曲されたものである。そこには、“con fuoco”(烈火のごとく)という発想記号が書かれており、ショパンの絶望や怒りを読みとることができる。「ピアノの詩人」と称されるが、彼の音楽は決して抒情的なばかりではなく激しい情熱と苦悩がこめられているのだ。評論家の才もあった同時代のシューマンは、それを「花束の中に隠された大砲」と表現した。
 崔善愛さんの「ショパンの悲しみが自分の悲しみとして響いてきました」という言葉は重い。指紋押捺は撤廃されたが、歴史を乗り越えた解決はまだ実現していないと思う。

 ☆李正子歌集『ナグネタリョン――永遠の旅人』(1991年5月、河出書房新社)
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2010年11月26日

視覚と聴覚

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  ほの紅き兎の耳のびくびくと大きな声の男恐るな 

 岡南著『天才と発達障害』(講談社)を読み、ああ、自分が人の顔を覚えられないのは、視覚よりも聴覚が優位だからかもしれないと思った。本のサブタイトルは、「映像思考のガウディと相貌失認のルイス・キャロル」。先日のブログで、アスペルガー障害など発達障害の人と自分はそう変わらないと書いたが、この本は「だれにでも認知の偏りはある」というスタンスで書かれていて深く共感した。
 人によって感覚器の感度は違うが、ふつうはそれをあまり意識せず社会生活、家庭生活を送っている。しかし、視覚優位の人と聴覚優位の人では、同じ状況に置かれても感じ方がだいぶ違うというのだ。テレビの音量が大きいと感じるか否か、部屋の明暗や色調に敏感かどうか……著者の岡さんは「認知の違う人が同じ空間にいる場合には、互いの認知の偏りや違いを、具体的に理解することが必要になります。夫婦はもちろん、親子、兄弟姉妹の中にあっても、認知の違いはかなりあるものです」と述べている。
 で、どちらかというと私は音に敏感な方だと思う。絶対音感はないけれど、音程をはずしたコマーシャルソングなど聞くと気持ち悪くてならない。地下鉄のホームで、車輪と線路が擦れ合う音に思わず耳をふさぐことも多かった。また、テレビの音が大きいとそれだけで不愉快になってしまうし、駅頭で男性の怒号が聞こえると足がすくむ。この歌で「大きな声の男恐るな」と言っているのは、実際にはとても恐れているからなのだ。声の大きな人に悪気はないのだろうが、私は圧倒されてしまう。テレビの討論番組や国会中継を見ていても、声を荒らげる人は発言内容とは関係なく嫌いになる。
 その半面、他人がすごく気になるのに、私は平気ということも多々あるに違いない。この本では、視覚優位の人は映像で思考するため情報の同時処理が得意で、他人の理解が自分よりも遅いことに苛立つ傾向があると指摘されている。こういう人は空間認知についても得意だから、自分を含めた前後左右の空間を瞬時にとらえるのも簡単だ。
 ということは、視覚情報の処理が不得意な私が、運転中に相棒から「寄りすぎ、寄りすぎ!」と怒られたり、「さっきの標識、見てなかったの?!」と驚かれたりするのも当然なのである。相棒にいらいらさせられる一方で、私も向こうをかなり不愉快にさせているのだろう。気をつけなくちゃ! 普通の人同士のコミュニケーションも、互いの思いやりや我慢や忍耐で成り立っていることを思うと感慨深い。
 認知の仕方が違えば、学習や記憶の方法も異なるということも考えさせられた。学級崩壊のような事象は、小さい頃から膨大な視覚情報にさらされ、耳を澄ませて聴く訓練をあまりしていない子どもたちが増えたことによるのではないだろうか。子どもによって効果的な学習方法が異なるということを、もっとうまくクラス分けなどに応用できればいいのにな、と思う。
 皆さんは視覚、聴覚どちらが得意ですか? あるいは嗅覚??

☆松村由利子歌集『薄荷色の朝に』(1998年12月、短歌研究社)
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2010年11月12日

お名前、何と…

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 お名前何とおっしゃいましたっけと言われ斉藤としては斉藤とする
                        斉藤斎藤


 今月7日、京都で開かれたシンポジウム「ゼロ年代の短歌を振り返る」の」パネルディスカッションに参加した。非常に盛りだくさんで、刺激的な内容だった。
 しかし、このシンポジウムのことはさておき、その後に私がとてもショックを受けたのは、「人の顔」に関する自分の認識力、記憶力があまりにも弱いことである。つまり、シンポの始まる前に、あいさつを交わして名乗り合ったにもかかわらず、その後の懇親会で「お名前、何とおっしゃいますか」なんて言ってしまい、激しい自己嫌悪に陥った。
 相貌失認かアルツハイマーの初期症状か、という感じである。捜査課の刑事になれないのはもちろんだが、私がもし鹿鳴館時代の社交界にデビューした上流婦人やヒラリー・クリントンのように、一晩のうちに知らない人数十人に会い、それを次の邂逅において見事に活かさなければならない立場だったら、致命的な欠陥になるはずだ。
 発達障害についての本を読んでいると、私にはそういう診断を受ける人が自分とあまり変わらないような気がする。ディスレクシア(失読症)も自閉症も、自分とちょっと方向が違うだけだ。人の顔がすぐ覚えられる人にとっては、私のような失敗は信じられないだろう。たぶん、私に二回も「お名前、教えていただけますか?」と訊かれてしまった人だってそう思ったに違いない。でも、本当なのだ。映画「グッド・シェパード」のマット・デイモンをディカプリオと思い込んでいたなんて序の口である。先日もYouTubeで「アメリア 永遠の翼」の予告編を見ていて「あっ、ハリソン・フォード?」と思ったら、リチャード・ギアだった。
 今回の失敗で、自分が洋服などを手がかりにして人を認識しているらしいことも分かった。ある人が懇親会の後にコートを羽織っただけで、数時間前にあいさつし合った人と同一人物だと分からなかったのだ。ああ!
 逆に私が得意なのは、漢字とか英単語のスペルを覚えることだ。大体ぱっと見て覚えてしまうので、学校の先生が「書いて覚える!」としつこく言うのが不思議でならなかった。多分そのせいだろう、きちんと記憶された人の顔は名前の文字と常にペアとなっていて、めったに間違えることがない。このため、自分が「村松」や「由里子」などに間違われると激怒するという悪い傾向もある。人の顔が記憶できない方がよほど問題なのに、他人の認識について自分を基準に考えてしまっている。
 そういうわけで、これからはもっと注意深く人の顔を観察しようと思っているが、引き続き失敗もするに違いない。どうぞ、そのときは「ああ、あの人はそういうたちだから」と許していただきたい。
 私が一番恐れるのは、何か重大な犯罪を目撃することである。犯人が「あっ、あの女に顔を見られた!」と目撃者の抹殺を目論むのが何よりもコワい。私はその人が何もしなくても十中八九忘れるのだし、別の服を着てしまえばもう絶対に分からない。どうかそんなことに巻き込まれませんように。

 ☆斉藤斎藤歌集『渡辺のわたし』(BookPark、2004年7月)
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2010年11月05日

ピアノ

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  切り揃ふ爪でなければ気が済まずピアノを遠く離れたいまも
                       松本 典子


 ネイルアートを美しく施した女性を見ると「素敵だなあ」と思うけれど、自分には絶対無理だと思う。私も、この歌の作者と同じように、爪を短く切り揃えていないと気が済まないたちなのだ。だいたい0.5ミリくらいになると切ってしまう。
 爪が伸びると気になってしまうのは、最初にピアノを習ったとき、指先で鍵盤にタッチするスタイルをよしとする先生についたからかもしれない。この弾き方だと、ちょっと爪が伸びると鍵盤と触れあってカチカチいうので、どうしたって気になってしまうのだ。
 ピアニストであり、優れた文筆家でもある青柳いづみこのエッセイ集『ピアニストは指先で考える』(中央公論新社)の冒頭は、「曲げた指、のばした指」と題した一篇だ。音大の学生やピアノ講座の受講生に、どちらのスタイルで習ったかを訊ねると、「のばした指3:2曲げた指」くらいの割合だという。手を鍵盤にのせたとき、「手のなかに卵が入っているような形にしなさい」と教わった私は、紛れもない「曲げた指」派である。
 青柳氏も指摘しているが、バッハやベートーヴェンを弾く分には、「曲げた指」はクリアな音が出しやすくてよい。ところがドビュッシーやショパンを弾くときには、断然「のばした指」の方が弾きやすい。広い音域を素早く移動するパッセージや1オクターブ以上の分散和音をなめらかに弾こうとすると、「曲げた指」では追いつかないし、音質も指の腹で鍵盤をタッチする「のばした指」の方がやわらかくなる。
 子どものころに楽器を習ったのに、大人になってからは遠ざかってしまったという人は多い。ピアノのような比較的ポピュラーな楽器でもそうだと思う。この歌の作者は、そのことを寂しく思っている。下の句のしんみりした思いに共感する人は少なくないだろう。私もずっとピアノと疎遠の生活だったが、今春引っ越してから少しずつ触れるようになった。弾いている音はまだまだ音楽にはほど遠いが、楽譜を見て指を動かし、耳で音を確かめるという作業は、脳のトレーニングのようで楽しい。
 この歌の作者も、いつかピアノが再開できますように。

☆松本典子歌集『ひといろに染まれ』(2010年11月、角川書店)
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2010年10月29日

本と子ども

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  子どもらと何話したか君が手に赤いインクのらくがきありて
                       奥山 恵


 昨日、地元の小学校で子どもたちに話をする機会があった。読書月間を締めくくる集会で、「本って楽しいよ」と題して、いろいろな本を紹介してきた。子どもたちの親も参加しての集会だったので、ちょっと緊張した。
 1年生から6年生まで14人の小さな学校である。何か訊ねると、すごく熱心に「はい!」「はい!」と手を上げてくれるのが、うれしくてたまらなかった。一番うれしかったのは、終わってから1人の女の子が「きょう、遊びに行っていい?」と話しかけてくれたことだ。「いいよ!」と返事したが、脇からその子のお母さんが慌てて「こんな嵐の日に…」とたしなめていらしたので、「お天気のいい日に、いつでもおいで」と言い直した。
 ああ、「きょう、遊びに行っていい?」という言葉の、何とまぶしいことだろう。小学校時代を思い出すと、思い出されるのは遊んだ記憶ばかりだ。自分の家に来てもらうのも楽しかったが、友達の家に行って、それぞれの家に違った匂いがあること、おやつもさまざまであることを知るのも面白かった。
 この歌には、「君はせんせい。初めての低学年担当。」という詞書が付いている。小学校教諭の「君」の手に何か書かれているのを見た作者が、学校での様子を想像した歌なのだ。子どもたちに慕われている若い男性教諭のやさしさと、彼を見守る新婚まもない妻の思いがこの上なくあたたかく表現されている。
 駆け出し記者だったころ、初めて小学校の取材に行ったときのことは、とてもよく覚えている。「あっ、小学校の匂いがする!」と感じたのだ。それは十数年ぶりに嗅ぐ、何とも表現できない甘酸っぱいような匂いだった。
 思い返せば、小学校の先生になりたい時期があった。いろいろあって新聞記者になったのだが、こんな形で子どもと関われるのは本当にしあわせなことだ。小学校の卒業文集に収められた私の作文「将来の夢」には、「本と子どもにかかわる仕事」と書かれている。思わず小学生の自分に「おまえが“子ども”だろう!」と突っ込みたくなるが、それはそれとして、会社を辞めて当時の夢を実現しつつあることに不思議な感慨を抱く。
 この歌の作者は、高校教諭として勤めながら、長らく児童文学の評論を書いてきた人だ。今春、学校を辞め、10月初旬に児童書専門店「ハックルベリー・ブックス」(http://www.huckleberrybooks.jp/)を開いた。「ゼツボウという言葉世にあるなれど「ラ」をかさねればひとは歌える」という、何度読んでも胸がきゅっと詰まるような、いい歌を作る歌人でもある。「本と子どもにかかわる仕事」の仲間になれたことが、照れくさくもうれしいのであった。

 ☆奥山恵歌集『「ラ」をかさねれば』(1998年12月、雁書館)
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2010年10月22日

台風

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  台風が近づく夜更けペンをとる 僕は闇でも光でもない
                   千葉 聡


 台風13号が日本から逸れてくれて、本当によかった。一時は中心気圧が900hPa(ヘクトパスカル)を下回ったのだから恐ろしい。21日16:30発表のデータで945hPaだが、まだまだ油断できない。
 今回の13号の名前、メーギー(Megi)は韓国語で「鯰」という意味だそうだが、本当に時代は変わったものだ。「キャサリン台風」「ジェーン台風」なんて、英語の女性名は昭和のノスタルジーを感じさせる。女性の名ばかりなのは不公平だということで、男性名と交互に命名されるようになったのは1979年だが、もうこの時点で無理に命名することをやめてもよかったのではないか。2000年からは、北西太平洋または南シナ海で発生するものについては、日本など15か国が加盟している世界気象機関(WMO)台風委員会がアジア名を付けることになっている。人の名だけではないので、「たんぽぽ」「虹」「スズメバチ」など、何だかよく分からない状況になっている。
 島に移り住んでから、まだ大きな台風を経験していない。9月の11号のときは、幸か不幸か仕事のため東京にいたのである。台風シーズンなので、家の雨戸をすべて閉めて出かけていて正解だった。テレビを見てもほとんど状況が分からず、隣人に電話をかけては、「えっ、その辺一帯が停電してる?」「うわー、うちのブーゲンビリア、根こそぎ飛ばされた?」と騒いでいた。
 島の人の話だと、大きな台風が来るという情報が入ると、たちまちスーパーからパンやおにぎりがなくなり、次いで野菜や果物、そして加工食品がなくなってゆくという。会社が休みになると、なぜか盛り上がって飲みに出かける人たちもいるというから可笑しい。大きな木や電柱が倒れ、乗用車がひっくり返る様子を見れば、自然の脅威の前にひれ伏すような思いを味わうだろう。それは、経験したことのない人には分からない謙虚さではないかと思う。
 この歌では、台風という強大なエネルギーの接近をひしひしと感じつつ、自分の小ささを思う青年像が詠われている。「闇」と「光」は、人間の邪悪な面、善い面のように読んでよいかもしれない。自然は善でも悪でもない。ただ、そこにあるだけだ。卑小な人間の優れたところと欠けたところなんて、取るに足りないものである。しかし、青年は自分が「光」ではないことに対する悲しみを抱き、「いっそ闇になってしまえれば」とさえ思う悔しさに苛まれる――そんなふうに読んだ。
 ここ数日、台風接近による雨を心配する方たちからメールや電話をたくさんいただいた。思いがけないことだった。小さな「光」は、さまざまなところに点在している。

 ☆千葉聡歌集『微熱体』(2000年、短歌研究社)
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2010年10月08日

隣人

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  蒟蒻をさげて隣人のきたる朝まだあたたかく蒟蒻はづむ
                   前 登志夫


 私が一番好きな沖縄の言葉は、「イチャリバチョーデー(会えば、きょうだい)」である。
 初めて聞いたとき、胸がじーんとした。それを聞かせてくれたのは、私が石垣島に住む前から、そして今も一番お世話になっている人である。自宅に招いてごちそうしたり、あちこち案内したり……見ず知らずの人間に、どうしてここまで親切にしてくれるのだろう、と不思議に思っていたときだったから、よけいに響くものがあった。
 「遠くの親戚より近くの隣人」というが、島の人の親切なことといったら、今まで経験したことがないほどだ。先日も、お昼ちょっと前にお隣さんが訪ねてきて、湯気の立っているご飯と炒めもの(写真)を届けてくださった。ちょうど昼食の準備を始めようかというタイミングだったので、実にありがたかった。
 別のお隣さんは数年前に移り住んだ方たちだが、こちらも朝早くに焼きたてのパンを分けてくださったり、草取りを手伝ってくださったり、と実のきょうだい以上に親切にしてもらっている。
 今週、本島に住む知人から本が送られてきた。先日、那覇で開かれた小さな読書会で会った方である。「面白い本があるから、送りましょうね〜」と言われたのをすっかり失念していた。『おきなわルーツ紀行』(球陽出版)という本なのだが、このサブタイトルが「聖書でひも解く沖縄の風習」。決してトンデモ本ではない。クリスチャンである沖縄の女性と、北海道出身のノンフィクションライターが、ごくごく真面目に沖縄の年中行事を、聖書の内容と突き合わせたものである。
 この本に、新約聖書にあるイエスの言葉、「神のみこころを行う人こそ、私の兄弟、姉妹、また母なのだ」は、「イチャリバチョーデー」そのものだと書かれた箇所があって面白かった。確かに、教会ではお互いを「兄弟姉妹」と呼びかける。筆者らは、沖縄では親戚でなくても「ニーニー(兄さん)」「ネーネー(姉さん)」と呼ぶことを思い出させると書いている。
 前登志夫の一首は、できたての蒟蒻の温かみが人情と重なり、何ともいえない味わいがある。蒟蒻という、ずっしりした重みも効いている。そして、「はづむ」のは蒟蒻だけでは勿論なく、作者自身の心がゴムまりのように弾んだに違いない。
 「イチャリバチョーデー」はどこにでもあるのに、千葉に住んでいたときの私は気づかなかっただけかもしれない。心をゆったりと開放していると、人との関係も風通しがよくなる。そして、いまツイッターが面白いと思うのは、見知らぬ人同士であっても、いろいろな情報を惜しみなくやりとりする関係が成り立っていることだ。インターネットによって出現した新しい形の「イチャリバチョーデー」が知識や情報の共有を生み、何かの力になってゆくのは、本当に豊かな進化だと思う。

☆前登志夫歌集『落人の家』(2007年、雁書館)
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2010年10月01日

葉書

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 いちまいの葉書きを君に書くための旅かもしれぬ旅をつづける
                           俵 万智


 楽しく本を読んでいるときにも誤植が気になってしまうのは、性格の悪さだろうか。はたまた前職の名残だろうか。
 たぶん性格が悪いのだ。おまけに、数十回に一回ほど、出版社宛てに「既にお気づきかもしれませんが、この本の〇ページ〇行目に、こんな誤植がありました」と葉書を出す癖がある。
 白水社のある本について誤植を指摘した際には、恐縮してしまった。非常に丁重な返信が届いたうえ、お礼(?)に隔月刊の「出版ダイジェスト・白水社の本棚」が毎号送られるようになったのである。数年間ありがたく読んできたが、あまりにも申しわけないと思い、今春引っ越したのを機に他社の情報も含めた「出版ダイジェスト」の定期購読を申し込んだ。
 そして、今年7月。買ったばかりの岩波現代文庫『オノマトピア 擬音語大国にっぽん考』を読んでいた私は、「いかん、いかーん!」とペンに手を伸ばした。岡本かの子の「句集『欲身』」という箇所が許せなかったのである。
 「歌集『浴身』」ではないでしょうか」という葉書を出してひと月ほど経ったころだろうか。一通の封書を受け取った。知らない人からである。「先日は誤植のご指摘ありがとうございました」……。なんと『オノマトピア』の著者、桜井順さんからの手紙だった。
 ワープロの変換ミスだったことなどを詫びる文章の最後に、「拙著をご購入いただいたキッカケは何でしょうか?教えていただければ幸いです」とあったので、慌てて返信をしたためた。
 調べてみると、桜井さんは有名なCM作曲家(「富士フイルム・お正月を写そう」「石丸電気の歌」など多数!)で、歌謡曲や子どものための歌も作曲していられる。返信の返信として送られてきた私家版CDは、俵万智歌集『チョコレート革命』の43首に曲をつけたもので、ピアノと女性ボーカルによる素晴らしい作品である。私はすっかり感激してしまった。
 そして、再び桜井さんのことを調べてみると、「とんでったバナナ」「ツッピンとびうお」の作曲者であることが分かり、大きな衝撃を受けた。というのも、この2曲は幼稚園児だった私が、当時最も愛する歌だったのだ。今も歌えるし、名曲だと思う。
 わが悪癖も時に思いもよらぬ出会いをもたらす。一枚の葉書から世界がこんなに広がり、幼年時代と現在が円環のようにつながるとは。
 ひとつだけ言いわけしておくと、私が誤植を指摘するのは、その本がものすごくいいものであるとき、その出版社をとても信頼している場合に限られる。『オノマトピア』は、古事記の「コヲロコヲロ」から石川啄木の「たんたらたら」、三橋鷹女の「きしきし」まで、実に幅広く取り上げた楽しい一冊である。

 ☆俵万智『もうひとつの恋』(1989年5月、角川書店)
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2010年09月17日

つぶやき

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 われよりも背のたかき生徒にぶつかればむにゅとつぶやき顔あげず    ゆく                  玉井 清弘 

 ツイッター(twitter)は「つぶやき」と訳されているけれど、小鳥のさえずり、くすくす笑いなどの意味もある。私は、tweetと聞くとどうしても、ワーナー漫画の可愛いキャラクター、トウィーティー(Tweety)を思い出してしまう。
 それはともかく、先週からツイッターを始めた。きっかけは仕事である。縁あって今月、早稲田大学のワークショップで科学ジャーナリズム概論の授業をすることになったのだが、30代の女性研究者と打ち合わせをしていて、彼女が「いやぁ、最近は私、ツイッターでしか情報を取ってないですね」と言うので驚いた。「そ、それはどういうこと???…」
 講義の準備をしながらも、その言葉がずっと気になっていた。そして既成ジャーナリズムの弱点、ソーシャルメディアなど新しいメディアの可能性についてあれこれ考えているうちに、「やっぱりツイッターも知らないで、こういうことは話せないだろう!」と登録するに至ったのである。
 初めは勝手がわからず戸惑ったが、だんだん面白くなった。英語の140文字よりも、日本語の140文字は圧倒的に情報量が多い!(表意文字の勝利だな) そして、日本のブログは匿名のものが多いのだが、ツイッターはほとんど相手の名前が分かるのがいい。内容はもちろん大事だが、誰の発言かということが大きな意味を持つ。
 顔の見える関係だということはかなり重要で、eHow.com で見てみると、初心者向けに「プロフィールには、あなたが真面目なユーザーだとわかるように書くこと」「プロフィール欄にはあなた自身の写真を付けること。でなければ、少なくともあなたの好きなものの写真を」などとアドバイスしてある。
 自分の興味のある人を検索して探すのもいいし、知人のフォローしているリストを見て、「おおっ、こんな人もツイッターをしているとは」と発見するのも楽しい。全く知らない人のプロフィールや発言を見て、その人をフォローすることも多い。
 脳科学者の茂木健一郎さんのツイートは、本当に愉快だ。140字の制限を発展させた形の「連続ツイート」は、茂木さんの発案したものである。彼に倣って1つのテーマに関する「連ツイ」を利用する人も現れた。「判断」や「プラグマティズム」などに関する連続ツイートは、茂木さんのブログ「クオリア日記」(http://www.kenmogi.cocolog-nifty.com/)でも読めるので、ぜひどうぞ。社会を変えようとする熱意と好奇心にあふれた言葉は、人を動かすと思う。
 それにしてもつくづく思うのは、「ああ、新聞はもう終わりかも……」ということだ。ブログもツイッターも、個人の責任で発言するものだ。新聞はどうしたって、安全なところに身を置いた発言にならざるを得ず、そらぞらしさが漂ってしまう。私もさんざん誰に向けて書いているのか分からない記事を書いてきたから恥ずかしいのだが、不特定多数に受け入れられるような主張というのはあり得ない。「客観報道」という名の下で、当たり障りのない両論併記ばかり書いても、誰も見向きもしないと思う。ツイッターのタイムラインを眺めていると、新しい情報発信、そして、情報の共有による連帯がすでに始まっていると感じる。

 ☆玉井清弘歌集『清漣』(1998年9月、砂子屋書房)
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2010年09月10日

参政権

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 歯を見せて笑ふ政治家のポスターを吾は好まずその政治家も
                       清水房雄


 島は選挙の季節である。石垣市議選は今月5日告示され、12日に投開票が行われる。転居して4か月余り、私にとって初めての選挙なので、街に貼り出された候補者のポスターを眺め、わくわくしている。
 ところで、今週、調べものをしていて、面白い発見があった。与謝野晶子の評論に出てくる「バンカアスト夫人」というのが、イギリスの婦人参政権運動家、エメリン・パンクハースト(Emmeline Pankhurst、1858〜1928年)らしいことが分かったのである。
 彼女は少女時代にパリで学んだ急進的な人で、ハンガーストライキをするわ国会突入を試みるわ、何度も逮捕されている。婦人参政権のシンボルのような存在らしい。これだけなら、志のある偉い人だったんだなあ、ということで終わるのだが、私が英語版のウィキペディアを見ていて、目を丸くしてしまったのは、そこに「メアリー・ポピンズ」という文字があったからだ。
 自分の好きな本が映画になるのは、大抵の場合、複雑な思いを味わうものだが、P.L.トラヴァースの『メアリー・ポピンズ』シリーズと、ディズニー映画の場合、なぜか全く別々の作品として自分の中にインプットされており、あまり痛みを感じず両方を楽しんできた。1つには、この映画がよく出来ていることが大きい。どの歌も完成度が高く、主演のジュリー・アンドリュースの歌声は実に素晴らしい。また、もう1つの理由は、映画を観たのが本を読むより先だったこともあると思う。
 しかし、名曲揃いの映画の中で、唯一あまり好きでなくて、「は?」という感じが否めなかったのが、「Sister Suffragette(婦人参政権論者の同志よ)」という歌である。本の中のバンクス夫人(ジェインとマイケルのお母さんですね)は、こんな参政権運動には関わっていなかったし、イメージ全然違うよぉ、と内心憤慨していた。
 ところが! この歌になんとパンクハースト夫人が登場しているのであった。

 Political equality
 And equal right with men
 Take heart for Mrs.Pankhurst
 Has been clapped on iron again

 映画の中でバンクス夫人は、参政権運動に熱心になるあまり子どもたちをナニーにまかせっ放し、という設定だったから、この歌詞にも揶揄が含まれているのだろう。しかし、それにしても十代のころサントラ盤のレコードを繰り返し聴き、今はCDを持っているという私が、パンクハースト夫人についてなぁんにも知らず、与謝野晶子全集を読んだことがきっかけで、ここに至るとは……。他の歌は、だいたい歌詞を覚えているのだが、この歌だけは飛ばして聴いていたので、こんな固有名詞が挿入されていたとは知らなかった。人生、いくつになっても驚くことが多い。
 日本の女性が参政権を得たのは、第二次世界大戦後のことだから、まだ百年とたっていない。今度の日曜日には、パンクハースト夫人のことを思いつつ投票所へ赴くことにしよう。

☆清水房雄歌集『老耄章句』(1999年9月、不識書院)
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2010年09月03日

三ヶ島葭子

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  鈴の音も子どもも子どもを産むことも透きとほりゆく三ヶ島葭子
  のうた              米川千嘉子


 三ヶ島葭子は、埼玉県入間郡三ヶ島村(現所沢市)に生まれた近代歌人である。同時代の原阿佐緒や原田琴子などと比べると、やや詠風が地味だが、しっかりと暮らしをとらえた視点に魅力がある。
 この歌には、詞書として葭子の「鈴ふればその鈴の音を食はむとするにやあはれわが子口あく」が添えられている。離乳期の子どもだろうか、親に食べさせてもらっているくらいの幼い子の愛らしい姿が浮かぶ。
 葭子は病弱だったため、一人娘を夫の両親に預けなければならなかった。「一日にて別るる吾子のほころびを着たるままにてつくろひやれり」など、淡々と詠まれている中に哀切な思いがあふれている。
 意志の強い人で文学的な野心もあったから、最初この歌を読んだときは、「透きとほりゆく」がぴんと来なかった。しかし、葭子の歌を繰り返し読むうちに、心ならずも子どもを手放し、この世を去った薄幸の歌人が、少しずついろいろなものをあきらめた過程は「透きとほりゆく」という境地ではなかっただろうか、と思うようになった。
 今月26日(日)午後1時半から、葭子の出身地、所沢市の三ヶ島公民館ホールで「晶子と葭子――その思想と暮らし」と題して講演する。与謝野晶子に憧れた葭子の歌歴や、実際の晶子との接点、二人の歌の共通点などについて紹介したいと思っている。
 講演はいまだに苦手で、9月はこのほかにも人前で話す仕事がいくつかあるのが憂鬱だ。原稿の締め切りも山のようにあり、ヤモリやアリの動静を探る余裕もなくなってきた。さあ、仕事、仕事!

 ☆米川千嘉子歌集『衝立の絵の乙女』(2007年9月、角川書店)

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2010年08月27日

猛暑

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拭へどもしたたる汗に悩みつつ猛暑まだまだいつまで続く
         小澤知江子


 石垣島に住むようになり、自分が誤解されているらしいことに気づいた。
 1つは、「働いていない」という誤解だ。4年前に会社は辞めたが、フリーランスのライターとして働き続けている。百万長者で変わり者の大伯母が、唯一かわいがっていた私に莫大な財産を遺した……なんてことは全くなく、食べるためにせっせと原稿を書く毎日である。
 「島でのんびりなさっていることでしょう」などというお手紙をいただく度に、「いえいえ、会社は辞めましたが、仕事は辞めておりません」と訂正したくなってしまう。
 2つめの誤解は、「南の島は耐えがたいほど暑い」というものである。
 これまた残念ながらハズレなのだ。「猛暑日」というのは、一日の最高気温が35℃以上の日を指すが、石垣島の場合、33℃を超えることはめったにない。海に囲まれているので、いつも心地よい風が吹くし、緑も多い。地元の人に聞くと、「昔はだいたい最高でも32℃くらいだったさー」ということだ。
 とはいえ、実は7月初旬、ちょうど私が島にいなかった時期に、島内で3日間連続して猛暑日を記録した観測地点があった。しかし、石垣島で猛暑日がそんなに続いたのは、1956年7月の「4日連続猛暑日」以来というから、逆に驚く。実に半世紀ぶりということなのだ。島の人たちが「今年は暑い!」とぼやくのも無理はない。
 アスファルトからの照り返し、室外機からの熱風などが合わさった都心のいやな暑さを思えば、島の夏は本当に過ごしやすい。各地の猛暑を伝えるニュースを見ていると、何だか申しわけないような気がするほどだ。

 ☆歌誌「松乃華」(2008年)
 
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2010年08月20日

河野裕子さん

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 河野裕子さんが亡くなった。
 胸のどこかにぽっかりと大きな穴が開いたような気持ちだ。いつかこういう日が来るとは覚悟していたが、信じたくなかった。

 身をかがめもの言ふことももはや無し子はすんすんと水辺の真菰

 私が歌を始めるきっかけとなったのは、河野さんのこの一首だった。子どもを産んで間もないころ、初めて買った短歌総合誌に載っていた。当時の私は、小さな赤ん坊を育てながら、なぜかその子が大きくなって離れてゆくことばかり思っていたから、自分の心情にぴったりだった。
 この人の作品をもっと読みたい、と切望し、やっと手に入れたのは砂子屋書房の「現代短歌文庫」である。付箋だらけの色褪せた本を、何度読み返したことだろう。後ろの方のページに子どもの落書きが残っているから、いつもいつも手元に置いていたのだと思う。

 たつぷりと真水を抱きてしづもれる昏き器を近江と言へり
 君は今小さき水たまりをまたぎしかわが磨く匙のふと暗みたり
 ブラウスの中まで明るき初夏の日にけぶれるごときわが乳房あり


 出産や育児の歌にも惹かれたが、そこにとどまらない豊かな世界に魅了された。何というイメージの大きさ、妖しさ、美しさであろう。

 しつかりと飯を食はせて陽にあてしふとんにくるみて寝かす仕合せ
 良妻であること何で悪かろか日向の赤まま扱(しご)きて歩む


 言葉のすみずみまで張りつめたような名歌の数々を生み出した河野さんの歌が、ある時からゆったりとした緩みを呈するようになった。第五歌集『紅』に収められた上の二首が、批判されたことも覚えている。
 けれども、ほわりとした温かみや太々とした身体感覚を帯びた河野さんの歌は、初期の抒情を湛えつつ、より深く生命や人生を表現するものになっていったのだと思う。

 夜はわたし鯉のやうだよ胴がぬーと温(ぬく)いよぬーと沼のやうだよ 
 病むまへの身体が欲しい 雨あがりの土の匂ひしてゐた女のからだ   
 さやうなら きれいな言葉だ雨の間のメヒシバの茎を風が梳きゆく


 これからも私は繰り返し、河野さんの歌を読み続けることだろう。読むたびにほっとしたり、胸が締めつけられるような思いを味わったりしながら。

☆現代短歌文庫『河野裕子歌集』(1991年2月・砂子屋書房)
『紅』(1991年12月、ながらみ書房)
『体力』(1997年・本阿弥書店)
『母系』(2008年・青磁社)
『葦舟』(2009年・角川書店)
posted by まつむらゆりこ at 00:00| Comment(9) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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