2010年08月13日

アリ

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 日の当る机上を歩む蟻がゐてしばらくわれと蟻との時間
                  尾崎左永子


 私の目下の悩みは……と書き始めると、「また!?」と思われそうなのだが、次から次に新たな問題が生じるのだから仕方がない。現在、わが家で非常に活発な活動を展開しているのはアリである。
 アリという生物には、非常に勤勉なイメージがある。システマティックに巣をつくる知能に感心こそすれ、悪感情を抱くなんてことはなかった。
 ところが、最近の活動はあまりにも広範囲にわたっており、浴室や洗面所はもちろん、仕事部屋や畳の部屋にまで進出してくるのだから憎らしい。畳の部屋のチャタテムシは、先月ついに市販の燻蒸剤を買ってきて撲滅したのだが、代わってアリが登場したというわけだ。この部屋には、これまで一度だって食べ物を持ち込んだことはないので、私はかなり動揺した。
 相棒に報告すると「何かないか偵察に来たんじゃないのぉ〜」とのんびりした口調で言う。そうかもしれない。この島の自然は厳しい。ふつうに地面を歩きまわっていたのでは、とても食糧が足りないから、獲物の多そうな人間の家に侵入するのは理にかなっている。
 アリに関しては、かなり用心してきた。引っ越し前に読んだ本の中には、電話機にアリがたかった事例も報告されていたので、「これは気をつけねば!」と固く決意したのである。台所では生ごみを数分たりとも放置せずビニール袋に密封し、お菓子や乾物のたぐいも冷蔵庫に入れることにしている。仕事部屋や畳の部屋でものを食べるなどという危険行為は、決してしたことがなかったのに!
 集中して原稿を書いているときに、はっと気づくと腕をアリが這っている――という状況はあまり嬉しくない。この歌でも「机上」をアリが這っているようだが、作者は私と違って、とても穏やかな気持ちで見守っている。「しばらく」にそれが感じられるし、「われと蟻との時間」というように、一体感さえ抱いているのだ。
 まあ、大群ではないことがせめてもの慰めである。大群が押し寄せるような目的物はないはずなので、当然といえば当然で、一度に見かけるのはせいぜい4、5匹なのだ。しばらくは、この歌の作者に倣って、「蟻との時間」を楽しんでみようか。

☆尾崎左永子歌集『青孔雀』(砂子屋書房・2006年11月刊)
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2010年08月06日

探し物

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   さがし物ありと誘ひ夜の蔵に明日征く夫は吾を
  抱きしむ          成島やす子


 二十歳のころ、この歌に出合った。新聞か雑誌の記事だったと思うが、はっきりは記憶していない。今から考えると、この歌の収められた『昭和萬葉集』が刊行されて間もないころだから、書評に引用されていたのかもしれない。ともかく歌の力に圧倒され、胸がきりきりと痛んだ。ずっと忘れることができなかった。
 先日もふと思い出したが、きちんとメモしたわけではないので、覚えている通りの歌だったかどうか心もとなく、何に収められている歌なのだろう、確かめたいなと考えていた。そんなとき、たまたま『短歌』八月号(角川書店)の特集「心に響くとっておきの歌」で、この歌に再会した。
 十六人の歌人が一首ずつ挙げているのだが、林和清さんが「歌が喚起するもの」と題し、この歌が「出征する夫を贈る歌としてもっとも記憶に焼きつくものだった」と書いていられる。そして、その理由を「この歌には、詠まれていない部分をありありと喚起させる力があるのだ」と指摘する。
 出征前夜の家では、夫の両親や親族はじめ大勢が集まってにぎやかな宴が開かれているのだろう。「蔵」があるということは、裕福で由緒ある家だということを示している。作者は夫のそばを片時も離れたくないのに、台所で忙しく立ち働かざるを得ない立場である。その寂しさ、つらさを思いやった夫が「ちょっと探し物が…」と中座し、やっと実現した、つかの間の抱擁なのだ。どんな映像でも散文でも表現できない、緊迫した状態での愛のかたちだと思う。
 ところで、歌の出典を確かめようと石垣市立図書館へ向かった私は、ある関連書を見て驚愕してしまった。それは『昭和は愛(かな)し――『昭和萬葉集』秀歌鑑賞』(小野沢実著、講談社)という本である。著者は、この歌について、次のような鑑賞をしているのだ。

  「夜の蔵」とあるところをみると、もう三、四時間後には、二人だけの床に入ることが可能であるのに、それが待ち切れずに、妻を抱いたのである。
  ただ抱くだけで満足したかどうかの描写はないが、おそらく身体の奥底から激しく突き上げてくるものにせかれて、妻を押し倒し、共に燃え尽きるほどのいとおしい営みが行われたのではないだろうか。
 
私は長きにわたって「つかの間の抱擁」と思っていたので、この著者の生々しい解釈には心底びっくりしてしまった。歌の解釈は読む人にまかされているので、これが間違いだとは全く思わないが、「探し物」という口実で中座する夫のやさしさを思うとき、万感こめてぎゅっと作者を抱きしめる姿しか浮かばない。
 男性が読むとまた違う現実感があるのかなあ……。林和清さんの言うように喚起力のつよい歌だから、その後のストーリーも想像してしまうのも無理はないが、この一首はこの場面のみを深く味わう方がいいように思う。そして、短歌はこうした凝縮された瞬間をすくい取るのに、悲しいほど適した詩型なのだと思う。

☆『昭和萬葉集 巻六』(1979年発行、講談社)
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2010年07月30日

日焼け止め

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  サンスクリーンほの白く塗りやわらかき生き物として炎天に立つ
             久山 倫代


 新しい生活が始まり、楽しいことも多いが悩みもある。思わぬ出費はその一つである。
 引っ越しに伴う出費というのは、ある程度仕方ないと思う。カーテンだとか、芝生だとか、新しい住居に備えなければならないものは買わざるを得ない。しかし、初期に購入した除湿機2台、これは痛かった。また、雷でダメになったルーターも悔しい(パソコンは無事に修理され戻ってきた)。そして、意外な出費として挙げられるのが、日焼け止めなのである。
 生来ものぐさなので、メイクというものをほとんどしない。3年に1度、フラメンコの発表会で実の親でも見分けられないほどの舞台メイクをするのは別として、化粧品の類を使うことはめったにない。だから、その価格についても無頓着だった。
 ところが、ここ南の島に来て、新たな生活習慣となったのが日焼け止めを顔や腕に塗ることである。曇っていたり雨が降っていたりしても、油断はできない。島の天気は変わりやすい。いつ何どき、ぱーっと強い日差しが照ってくるか分からないのだ。
 紫外線対策をしないと、老後どのような結果が待っているか恐ろしい。シミができても分からないほど常時小麦色に日焼けした状態を保つ、という選択肢もないではないが、そんな勇気もない。さすがの私も日焼け止めをこまめに塗るようになったのだが、「こんなにちょっぴりで、この値段??」とがっくりする。
 歌にある「サンスクリーン(sunscreen)」はれっきとした英語である。今年一月にアメリカへ取材に行ったとき、この単語が出て来なくて焦った。あまりの日差しの強さに、案内してくれた友人に「ドラッグストアに寄って、日焼け止めを買いたいんだけど」と言おうとしたのだが、「えーと、紫外線を…防護する…乳液……」とあれこれ言葉を探していると、「サンスクリーンね!」と笑われた。
 そのあと、何かの話で彼女が「双極性感情障害」だとか「自己免疫疾患」なんていう単語を出したとき、「あっ、分かるかしら?」と気遣ってもらったが、こういう単語の方が日常語よりも頭に入っているのがカナシイところである。
 「炎天」の下、羽毛など持たず皮膚をさらして生きる人間は「やわらかき生き物」なのだ、というとらえ方が面白い。この歌の作者は、実は皮膚科医である。紫外線の怖さも皮膚の弱さも熟知しているところから得た発想なのだと思う。
 さて、今日もサンスクリーンを塗って活動を始めるとしようか。

☆久山倫代歌集『弱弯の月』(2005年11月、本阿弥書店)
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2010年07月23日

雑草

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  また生えて来いよと庭の雑草を抜く朝(あした)なり出国の日の
              本多 稜


 南の島の生活を、多くの人はバカンスのように思っているようだが、それは全く違う。毎日が闘いである。相手は日によって異なるが、昨日(22日)の相手は雑草だった。
 私の主な収入源は原稿を書くことなのだが、こちらに来てから、書ける時間が本当に少なくて焦る。思いもかけないことがいろいろ起こり、それに対処していると、どんどん時間がたってしまうのだ。
 庭の雑草については、見て見ぬふりをしていた。気にならないわけではないが、草取りなんてしている暇はない。原稿を書かねば……しかし、地面がほとんど見えなくなってきた時点で、はたと気づいた。これでは、大事に育てているバナナに水をやるのも困難になってきた。それに、こんな草むらをハブは好むという。バナナがやっと実ったとしても、その前にハブに噛まれて死んでしまったら、何にもならない――これは半分冗談だが、あとの半分が冗談でないところが、南の島なのである。
 決心して向かったのは、島で最も頼りになるホームセンターだ。迷うことなく草刈り機のコーナーへ行き、一番安くて軽いタイプと専用のオイルを購入してきた。
 かなり唐突な行動と思われるかもしれないが、私はこれまでちゃんと草取りもした経験があるのだ(実際は、大いなる助っ人であるお隣のご夫妻に手伝ってもらったのだが)。そして、島の雑草が、草というよりは灌木に近いことを痛感させられたのである。根っこの太いことといったら、ゴボウのようだ。それを根こそぎ抜き取るというのは、至難の技といってよい。
 かくして、防護用のゴーグルを着け、農作業用の帽子をかぶり、長靴を履いた私は、日の傾き始めたころ、庭で草刈り機をぶんぶんと振り回すこととなった。「あ〜、原稿……」と思いながらも、まあまあ労働の喜びは味わえた、かもしれない。
 「また生えて来いよ」と思いながら雑草を抜く、この歌の作者はとても優しい人だ。おそらくは、ほよほよとした頼りない雑草ではないかと思う。しばらく自宅を離れなければならない作者が、庭をきれいにしておこうと草を抜きつつ、その小さな生命をいとおしく思った朝なのだろう。
 島の雑草は、早晩生えてくるに違いない。「また生えて来いよ」なんて言われなくても、夏の太陽をたっぷりと浴び、はつらつとして。

☆本多稜歌集『蒼の重力』(2003年12月、本阿弥書店)
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2010年07月16日

バナナ

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  ココ椰子とバナナが腕をふりまわすこのみどりいろをもつてゐる
   緯度                           井辻 朱美


 「バナナ」と聞けば、たいていの人が黄色い房、あるいは1本のバナナを思うだろう。私もそうだった。しかし、このところ自分の中で「バナナ」の存在がぐんぐん大きくなり、多年草であるところの植物として居座るようになった。
 それは、まあ早い話が、わが家にバナナが5本立っているからなのである。5本とも親切なお隣から分けてもらったもので、そのご夫妻はそのまたお隣の家から分けてもらったという。バナナは根元から子株が次々に出てくるので、どんどん増えるのだ。
 バナナくんたちを養子にもらう件は誠にありがたい話だったが、問題は居場所であった。何しろこのあたりは、赤土を少し掘るとこぶし大の石がごろごろしており、バナナくんに満足してもらえるくらいの深さの穴を掘るのは結構な重労働なのである。
 その重労働を全面的に相棒にまかせてしまった私だが、朝夕の水やりは欠かさない。仕事で家を離れている間は、「風で倒れていないか」「少しは雨が降っているといいけど……」と気をもむのであった。
 この歌は、バナナの果実ではなく、風にそよぐ一本のバナナを詠っているところが、とても珍しい。実は、バナナの歌には名歌が多いのだが、どれも素材は果実である。

 みどりのバナナぎつしりと詰め室をしめガスを放つはおそろしき
  仕事                           葛原妙子
 アフリカのことわざひとつ呟きぬ「ゆっくりゆっくりバナナは熟れる」  
                                 中津昌子
 チンパンジーがバナナをもらふうれしさよ戦闘開始をキャスターは
  告ぐ                           栗木京子


 この歌では「緯度」という、やや思いがけない一語が効いている。バナナがよく育つのは、南北緯度約30°以内で、バナナベルトと呼ばれる地帯である。
 そして、「腕をふりまわす」という表現は、実際にバナナが葉を風にそよがせている様子を見なければ出てこないものだと思う。風が強いと盛大にふりまわすことになり、やわらかな葉は無残に裂けてしまうのだが、「大丈夫、大丈夫」とでも言うように、バナナは立ち続けている。

 ☆「かばん」2000年6月号
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2010年07月09日

マンゴー

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  きりわけしマンゴー皿にひしめきてわが体内に現れし手よ
             江戸 雪


 島に住むようになって一番変わったのは、食生活である。これまでめったに食べることのなかったパパイヤやマンゴー、パイナップルを、日常的に大量消費(消化?)している。ここ2か月で、私はそれ以前に食べた総計よりも、はるかに多くの南の果実を食べていると思う。
 確か数年前までは、マンゴーとパパイヤを「あれ、どっちだっけ」と混同することがあったと思う。それが今では、平気な顔をして青パパイヤの炒めものなんか作っているのだから、我ながらおかしくなる。
 マンゴーの存在を初めて知ったのは、子どものころにシャンソン歌手、石井好子のエッセイ『巴里の空の下オムレツのにおいは流れる』を読んだときだったと思う(母の本棚にあったのを読んだのである)。マンゴーのあまりのおいしさに思わず種までしゃぶってしまったという描写が、本当に生き生きとしていて、「マンゴーってそんなにおいしいんだ。食べてみたいなあ。どんな果物なんだろう」と想像したのを覚えている。
 マンゴーは高価なので、自分で買って食べることはない。いただきものを有り難く頂戴するばかりである。時々、大きめのビワくらいの愛らしい小さなマンゴーをもらうこともある。よく見かける大きさのマンゴーとは種が違うのかと思っていたら、そうではなくて、同じ木でも大きくなる実と小さいままで熟す実があるのだそうだ。味は大きなものと変わらず、1個まるまるひとりで食べてしまえる満足感がいい。
 このミニ・マンゴーは、最近は島の公設市場などでも見かけるようになった。以前は「売り物にならないから」と、農家の人が自分たちで食べてしまうことがほとんどだったという。割高感はあるものの、形がかわいいし、お土産にも喜ばれそうだ。
 歌のマンゴーは「きりわけし」とあるから、大ぶりのものだろう。太陽の光がそのまま果実になったようなマンゴーが、切り分けられて皿いっぱいに盛りつけてある。そのおいしそうな様子に、「体内」から手が延びてくるような食欲を感じた作者なのだろうか。独特の身体感覚が艶めかしく、「手」にどきどきさせられる。
 グリム童話の「ラプンツェル」は、おなかに子を宿したおかみさんが隣の庭の野菜(ラプンツェル)を食べたがったことが発端となる物語である。女性の「体内に現れし手」は、肉体のかなしみ、人間の業の形でもあるようで、この歌はマンゴーの明るさはあるものの、少し陰翳を帯びているように感じてしまう。
 
☆江戸雪歌集『椿夜』(砂子屋書房、2001年6月)
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2010年07月02日

遠雷

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  遠雷のしばしは鳴りてゐたれども虹を形見におきて去りたり
             藤井 常世


 遠くに雷鳴が聞こえていたけれども、雷が近づくこともなく、雨が上がった窓の外を見ると、大自然の形見のような虹がかかっているではないか−−なんと言うか、ゆったりとした気分の歌である。雷鳴は遠く、日常を脅かすこともなかった。虹は美しい……「ふーん、よかったね!!」と、敵意にも似た気持ちを私が抱いているのは、「遠雷」によってただならぬ被害を受けたばかりだからである。
 先週、明け方に雷鳴を聞いた私は飛び起きた。近所の人から「雷は怖いよ。パソコンもプリンタも、みんなダメになっちゃったから。ゴロゴロ鳴り出したら、すぐコンセントを抜かなきゃダメ!」と聞かされていたからである。寝ぼけまなこで書斎へ行き、パソコンとその周辺すべてのコンセントを抜いて布団へ戻った。雷は二度ほど鳴ったが近づくこともなく、断続的に強い雨が降った後、雨は上がった。
 その後、買い物などの用事があったため数時間留守にして、帰宅してから機器のコンセントを差し込んだ。「さぁて、メールをチェックしなくちゃ」。ところが、わがパソコンは電源ボタンを押しても、うんともすんとも言わず、ランプも点灯しない。
 狐につままれたような気分でパソコンを修理に出してから、ノートパソコンにLANケーブルをつないだところ、これまたつながらない。通信業者に連絡して来てもらってわかったのは、モデムもルーターもダメになっていることであった。「ちゃんと電源を抜いたんですよ!」と悲鳴に近い声を上げた私に、業者は言った。「ああ〜、電話回線を通して電流が流れちゃうことがあるんですよ〜」
 調べたところ、落雷なんかではなく、遠くで雷が鳴っただけでも周辺に大きな電圧が発生し、電話線やTVアンテナ線などを通して過電流が流れて電子機器を故障させる「雷サージ」という現象が起こり得ることが判明した。つまり、すべてのコンセントは抜いたけれど、電話回線はそのままだったため、そこからモデム→ルーター→パソコン、とケーブルを通して異常な電流が入ってしまったらしい。モジュラージャックまで引き抜かなければならなかったのだ。脱力。
 パソコンにはアース線も付いているのだが、地上に雷が落ちたらアース線から電流が入ることもあるとのこと。全くもう、どうすりゃいいの!って感じである。ADSLモデムが、購入品ではなくレンタルだったのは不幸中の幸いであった。ルーターのメーカーに電話したところ、「ああ〜、保証期間内ですけど、自然災害ってことで保証の対象になるかどうか、ちょっとぉ〜〜」という対応だった。修理に出したパソコンはどうなることやら。
 畳の虫もヤモリも、もうどうでもよくなってきた。あまり意識していなかったけれど、自分は都市にばかり住んできたのだなあとしみじみ思う。自然というものは、とてつもなく強大な存在なのだ。あんなにかすかな雷鳴だったのに、雷というものは恐ろしいばかりのエネルギーを持っているのだ。何か打ちのめされたような気分である。
 こういうときに、脱力感たっぷりに「だからよぉ〜」と言えるようになれば、私も一人前の島の住民だが、まだそういう境地には至れないのであった。
 
☆藤井常世歌集『夜半楽』(角川書店、2006年8月)
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2010年06月25日

ヤモリ

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  ひそみゐる守宮(やーどぅー)は鋭(と)き声に啼き雨夜は匂ふよ
  青瓜のごと                渡 英子
 

 ヤモリは「家守」と同じ発音ということもあり、家を守ってくれる小動物として大事にされている。昆虫を食べることも、その理由の一つなのだろう。沖縄では「やーどぅー」とか「やーるー」と呼ばれているようだ。
 私はそれほどヤモリが苦手ではない。積極的に近づくほどではないが、姿を見かけたからといって奇声を発したりはしない。郵便受けにヤモリが棲みついたときも、「よかよか。ああたの方が、ここに先に住んどらっしゃったとよねえ」と突然、博多弁になって心につぶやき、決して動じなかった。まあ、郵便受けに手を差し入れるのは、毎回おっかなびっくりではあるのだが。
 しかし、書斎でヤモリに遭遇したときには、少なからず動揺した。近隣の人から「ヤモリはところかまわずフンをするし、卵を産みつけるから大変なのよ」と聞かされていたからである。ああ、お願いだから馬場あき子全集や塚本邦雄全集にだけは卵を産まないでくれえ……と、がっくりしてしまった。
 それでもなおヤモリが憎らしくならないのは、「やもりのやもちゃん」(写真)のおかげであろう。これは、福音館書店の月刊誌「母の友」(1996年10月号)の付録なのだが、自分で作る豆本シリーズのお話であった。付録のページを切り抜き、ちゃんと折って糊づけすると、全30ページの豆本のできあがり! 奥付もちゃんとあって「製本 『母の友』読者の皆さん」「乱丁・落丁もお取り替えいたしません」というのが可笑しくて、すごく気に入っていた。
 ストーリーは、次の通り。住むところを探しに旅に出たやもりのやもちゃんは、おもしろそうな家を見つける。その家にはたくさんの部屋があって、いろいろな住人がいるのだが、「へび好き」や「うそつき」など、今ひとつ気が合いそうにない。がっかりして出るやもちゃんに、家は「だれにもきっと ぴったりのばしょがあるものさ。あきらめないで さがしてごらん」という。やもちゃんは元気を取り戻し、再び歩き始める……。
 何というか、「めでたしめでたし」で終わらないのがよかった。居場所を見つけられずにさまよう「やもちゃん」が自分に重なったのかもしれない(とほほ)。
 沖縄のヤモリは、鳴き声が鋭いらしい。「らしい」というのは、私は本土でヤモリの鳴くのを聞いたことがないので、「キッキッキッキ」という石垣のヤモリが「鋭い」のかどうか判別できないのである。この歌の作者は「鋭き声」と表現しているので、たぶん聞き比べたのだろう。
 鳥のような声でヤモリが鳴く雨の夜、作者は何か生々しい存在感を闇に感じているのではないだろうか。「青瓜」のように匂っているのはヤモリではなく、南の島の濃い闇、湿度をたっぷり含んだ大気ではないかと思う。姿の見えないヤモリの存在を強く感じさせるのが、その闇や大気なのである。やもちゃんのことは置いといて、石垣島の自然をたっぷりと、こんなふうに詠えるように努力しなくちゃいけないな、と反省するのであった。
 
 ☆渡英子歌集『レキオ 琉球』(2005年8月、ながらみ書房)
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2010年06月18日

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 生えかけの水掻きを見せてあげようか寝ころんで言ふ畳の部屋で
                       河野 裕子


 私の目下の悩みは畳である。
 引っ越しのあいさつに近所を回ったとき、本土から移り住んだ人から「ここでの生活は自然との闘いですよ」と言われた。暑さや台風のことだろうと思い、私は「そうですかぁ、えへへ」なんてへらへら笑っていた。自分は暑さには割と強いし、台風は一度どんなものか体験してみたくて楽しみなんだもの、という気持ちがあったからである。
 違った。全然違った。まず遭遇したのは、うっすらと緑の粉をふいたような畳だった。「もしかして……」と確かめるまでもなく、それはカビであった。掃除機を「強」にしてかけ、消毒用エタノールを浸した脱脂綿で根気よくこすり、除湿機を長時間かけるというプロセスを何度か繰り返し、もう大丈夫かな、と思ったのだが、これもまた甘かった。今度は、畳の表面をすばやく動く、ごくごく小さな生物を発見したのだった。鉛筆の先で突いたくらいの、本当に微小な虫である。何も悪さはしないが、放置するのもイヤだ。ネットで調べると、ダニではなく、どうやらチャタテムシらしい。
 そして、私を憤らせたのは、カビもチャタテムシなどの虫も、新しい畳ほど発生しやすいという事実であった。「誰だ! 『女房と畳は新しい方がいい』などと、たわけたことを言ったのは!!」とふつふつと怒りが湧いてきた。女房も畳も絶対に古い方がいいのである。昔からこのことわざには異議を唱えてきたが、主に女房に関してだけだったことを畳に詫びたい。古女房に虫が付きにくいかどうかは保証しないが、畳の名誉(?)のために言っておくなら、古い畳の方が吸湿しにくいのでカビや虫が付きにくい。このことわざを作った人は、実にものを知らない人物である。ああ、早くうちの畳も古くならないものか……。
 チャタテムシらしき生物は実に小さいので、畳の上を歩いていると、何だか荒野か砂漠を旅するけなげな生物に見える。しかし、そこは心を鬼にしてガムテープの切れ端でばしばしと取ってゆく。つねづね、視細胞のなかでも、動くものをすばやくキャッチする桿体細胞の能力には感嘆してきたが、畳の表面に目を凝らし微小な生物を発見するとき、自分に備わった能力が少しだけ誇らしく思える。しかし、そんなことに感心している暇はない。早くガムテープの出番がなくなってほしい。
 畳に寝ころぶ気持ちよさを詠ったこの歌は、屈託ない想像がとても楽しい。歌が作られたのは1999年、作者が乳がんの手術を受ける前年であった。

 ☆河野裕子歌集『歩く』(青磁社・2001年12月刊)
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2010年06月11日

マリヤ

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   マリヤの胸にくれなゐの乳頭を點じたるかなしみふかき繪を
    去りかねつ             葛原 妙子


 マリヤ牧場! 
 牧場にこれほどふさわしい名があるだろうか。何というか、無一文になった旅人が雨の夜に戸を叩くと、笑顔で迎え入れられ、温かい食事と気持ちのよいベッドのしつらえられた部屋が与えられるような。そして、翌朝の食卓には、コップ一杯のミルクが置かれているような……。
 なんていう妄想を抱くのは私だけだろうが、石垣島を何度か訪れるうちに、「マリヤ牧場」の存在が気になるようになった。離島ターミナルに行くたびに、幟を見ては「あっ、マリヤ牧場のソフトクリーム!」と心が躍るのだが、いかんせん、このターミナルの中には八重山そばやマグロ丼のおいしい店があるため、連れと二人、そちらへ流れてしまうのであった。
 そういうわけで、引っ越してきて嬉しかったのは、マリヤ牧場の牛乳が買えることだった。ともかくおいしい。冷蔵庫から出してしばらくすると甘みが増すのも、経験したことのないおいしさだ。
 どんなネーミングも、創業者の思いを反映したものだろう。島には「ガリラヤ湖」というカレー屋さんもあるのだが、この取り合わせの妙にはやや戸惑う。うーむ、敬虔なクリスチャンが経営なさっているのではないか、誠実に作られたカレーは絶品なのではないか、と思うものの、まだ食べたことはない。
 島にある飲食店の名は、「ゆうな」「でいご」「あだん」といった植物名、「ぱいかじ(南風のこと)」「ピパーツ(島胡椒)」など、八重山の言葉を使ったものが多い。私はまだまだ島の初心者なので「ゆうくぬみ」「ふぅがぁーや」あたりになると、意味が分からない。一度、設計士さんと待ち合わせするとき、電話で何度聞いても、先方が指定する居酒屋の名「にぃーけーや(二階家の意)」が分からなくて困ったことがあった。
 そんな中、電話帳で「オルテガ」という店の名を見つけた。オルテガ! 途中で挫折した『大衆の反逆』が気になるが、何か全く別の八重山の言葉である可能性も捨てきれない(そうかな?)。一度、行ってみなければ……。
 葛原妙子のこの歌を読むと、どきどきする。画家の感じたであろう眩暈のような罪悪感と、その作品を見る作者の揺れる心が、読む者にも迫ってくる。「マリヤ牧場」の素朴な明るさとは対極にある世界といってよいかもしれない。

☆葛原妙子歌集『飛行』(白玉書房・1954年7月刊)
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2010年06月04日

エミリ

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エミリといふ名にあこがれし少女期あり紫陽花濡るる石段くだる
                 栗木 京子


 名前というのは面白いもので、外国人の名であっても何となく抱くイメージがある。それは音の響きや、出会った文学作品などからの想像によるものなので、その国の人が抱くのとはまた違った感覚だろう。しかし、日本人は濁音を好まないが、バーバラやデイジーといった名のかわいさは、何となく分かる気がする。ブリジット・バルドーの愛称「べべ」などもなつかしく思い出す。
 Emilyは感じのいい名前だ。一番初めに出会ったのは、モンゴメリの「可愛いエミリー」に始まる三部作だった。このシリーズは「赤毛のアン」シリーズと並ぶモンゴメリの代表作とされ、ファンも多い。結婚して家庭に収まってしまったアンに比べ、もの書きを目指し続けるエミリーは、著者自身が強く投影されているといわれている。この歌の作者も魅了されたのかもしれない。
 しかし、米国の詩人、エミリ・ディキンソン、英国の作家、エミリ・ブロンテなどの可能性もある。早熟な少女であれば、ディキンソンの詩や「嵐が丘」を楽しんだだろうし、下の句の「紫陽花濡るる石段」はやや翳りを帯びている。いろいろな想像をさせて楽しい歌である。

階段の角にかくれて詩を書いたエミリーって女(ひと)お嫌いですか
                  杉ア 恒夫


 こちらの「エミリー」は、おそらくディキンソンだろう。この歌でも名前がとても生きている。ナンシーだと明るくて階段には隠れない気がするし、デボラだと真面目すぎて詩は書かない感じがする(私のイメージ)。
 日本語の「笑む」を思わせるからだろうか。最近「エミリ」「えみり」という名を見ることが多い。少女期の栗木さんはもしかすると、自分の名前の硬質なK音を嫌い、母音で始まる名前のやわらかさを羨ましく思ったのかもしれない。

☆栗木京子歌集『しらまゆみ』(本阿弥書店・2010年6月、2625円)
☆杉ア恒夫歌集『パン屋のパンセ』(六花書林・2010年4月、2100円)
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2010年05月28日

食べる

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  もの食へず苦しむわれの傍にゐてパンを食べゐる夫あはれなり
                      河野 裕子


 河野裕子さんの最近のエッセイに、食べるということは、人生の楽しみのかなり多くの部分を占めるのだと、ご自分が食べられなくなって初めて気づいた、と書かれていて胸が痛んだ。
 三度三度、ありあわせのものであろうと、果物ひとつであろうと、何かしら口にできるというのは幸せなことだ。そして、家族や友人など大切な人と食事を共にする場の、何と心やすまる豊かなものだろうか。食卓を囲んで同じものを味わうというのは、同じ体験、同じ時間を共有することだ。レストランへ行って各々好きなものを注文するのも楽しいが、それはあくまでも、同じものを分かち合う日常があっての楽しさなのだと思う。
 石垣島へ引っ越して、近隣の方たちや知り合いから、パイナップルやトマト、きゅうり、パパイヤなど、さまざまなものをいただくようになった。除湿機や冷蔵庫を買った電器店では、何度目かに行ったとき、店長さんから魚をもらって感激した。
 パイナップルなんて、これまでは特別な果物だったから丁寧に皮を削ぎ、「そうそう、らせん状にトゲがあるから、そのラインに沿って包丁で切れ目を入れればトゲが取れるんだよね。本で読んだもん!」なんて考えつつ、斜めに細い溝を刻んでトゲを取っていた。ところが、島の人たちはそんなことはしない。豪快に皮を厚めにざくざく落として、あっという間に切り分けてしまう。「えーと、らせん状のトゲは…」なんて悩んだりしないのだ。
 食べ物を分け合う、というのは、何だかとても温かいことだなあ、と思う。経済的に自立することを「食べていけるようになる」と表現するのも面白い。困っている人を苦境から救い出すのは難しいことだが、「一緒にごはん食べましょう」と誘うくらいはできる。
 人が生きていくうえで、「食べる」というのは本当に基本なのだ。だからこそ、「もの食へず苦しむ」という状況のつらさが思われて悲しくなる。
 
 ☆「短歌」2010年5月号(角川書店)
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2010年05月21日

古楽器

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  古楽器をわわしき今に響かせて少し苦しきピリオド奏法

 私の所有物の中で一番珍しいものは、この楽器ではないかと思う。
 「レベック」とか「レベッカ」と呼ばれる三弦の弦楽器で、主に15世紀から16世紀にかけてヨーロッパで使われたものという。バイオリンのように板を組み合わせるのではなく、一本の木を削って作られているのが特徴だ。日本語のWikipediaでは、ちょっとしか説明がないが、英語のWikiにはだいぶ詳しく載っている(http://en.wikipedia.org/wiki/Rebec)。いまのバイオリンのように顎にはさんで弾いてもいいらしいが、縦に抱くようにして弾いた絵もある。
 もちろん私の楽器は、そんな昔に作られたものではなく、十数年前に友人というか、高校時代の先輩が作ったものである。今は音信不通になってしまったが、その人は当時、楽器工房で働いていた。何の機会だったのか再会した際、たまたま見せてもらった楽器の美しさに惹かれ、弦楽器を教わった経験もないのに購入した。
 以来、楽器にはとてもかわいそうなことだったが、押入にしまい込んでこの春に至っていたのだ。何しろ仕事が忙しかったし、心の余裕もなかった。今回の十数年ぶりの引っ越しで、この楽器を取り出すこととなり、「ああ! これはいけない」と胸が痛くなった。1本の弦は切れているし、弦を保持するコマが失われている。
 そこで、1か月前、思い切ってお茶の水にあるクロサワバイオリンに持って行った。こんな楽器を直してくれるかしら、と心配だったが、それは杞憂だった。イタリアから来ているというバイオリン職人のトマゾ・プンテッリさんが、にこにこしながら「わぁ、きれいな楽器ですね」と修理を引き受けてくださった。
 私ときたら、大好きだった先輩から買ったのに、この楽器の名前をきれいさっぱり忘れていて、プンテッリさんに「これ、何ていう楽器でしたかね」と訊ねられても答えられなかった。プンテッリさんはしばらく工房に引っ込んでいたが、戻ってきて「そうそう、レベッカというんでしたね。本物を見るのは初めてです」と言った。私は長年忘れていたその名を聞いて、胸がじーんとしてしまった。プンテッリさんは1974年生まれだが、バイオリン職人の彼でも見たことがない古楽器なのか、という感慨もあった。
 先日、お茶の水へに行き、弦を張り替えコマを取り付けたレベッカとめでたく再会した。嬉しかった。
 「古楽器」の歌をつくったとき、私の頭には、自分の持っている珍しい楽器のことなぞ浮かばなかった。最近注目されている「ピリオド奏法」について詠いたかっただけである。今回の修理の件で自分の歌を思い出し、とても不思議な気持ちになった。子供用のバイオリンよりも小振りなこの楽器は、そんなに大きな音は出ない。かそけき音、という感じでもないが、ちょっと線の細い響きである。
 短歌は古楽器に似ているのかな、と思う。たぶん、かつてのようにメジャーになることは、もうないだろう。けれども、その精妙な音色、響きを愛する人はいつの時代にも必ずいるし、この楽器にしか表現できないものがあると信じたい。「わわしき今」であればあるほど、きっと必要な音楽なのだ。
 
 ☆松村由利子歌集『大女伝説』(短歌研究社・2010年5月、2625円)
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2010年05月14日

梅雨

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 ぐづぐづと晴れねば女梅雨といふ 言ひしはつまらぬ男なるべし
                  小島ゆかり


 本土では(!)さわやかな5月であるが、沖縄や八重山ではもう梅雨である。梅雨入りした翌日、ホームセンターに湿気をとる製品を買いに行ったところ、数日前には確かにたくさん並んでいたはずなのに見当たらない。探し方が悪いのかなあ、と思って店員さんに訊ねると、奥のほうから5、6個持ってきて「もう売れちゃったんですよねえ」という。
 その翌日に再度買いに行くと、今度は何種類も揃っていたのでいくつも買って帰った。その日は家電量販店で除湿機も2台購入。いろいろと物入りである。
 そして、どうもトイレや畳の部屋がにおうので、これまで買ったことのない消臭グッズのコーナーに行くと、何という充実ぶりだろう! しかも、無臭タイプが多い。あまり注意して見ていなかったが、確か千葉のスーパーでは、ハーブやフローラルなどの香りを発する商品が主流だったような気がする。「無臭タイプ」の多さを見て、「そうか! ちょっとヘンなにおいがするのは、私の家だけじゃないのね」と安心した。  
 また、食器戸棚に敷くシート類の充実ぶりも素晴らしい。防虫、防カビ効果をうたったものがこれほど多いということは、敷かなかったら如何なる事態に遭遇するということであろうか……。
 梅雨どきの湿気は少々憂鬱だが、小島ゆかりさんのこの歌を読むと、おかしくて元気な気持ちになれる。『雨のことば辞典』(講談社、倉嶋厚監修)を見ると、「女梅雨」は「しとしとと長く降りつづくタイプの梅雨。現在では適切なことばではない」と説明されている。わざわざ不適切だと述べているのがまた、しかつめらしい。
 ちょうど梅雨の時期、沖縄県内では月桃の花(写真)が咲く。2008年に亡くなった岡部伊都子さんがこよなく愛した花なので、4月末に亡くなった岡部さんの命日は「月桃忌」と呼ばれている。随筆家として沖縄や戦争、美術など幅広い仕事をした岡部さんは、何事にも「女梅雨」のようにやわらかく長く取り組んだ方だったと思う。

☆小島ゆかり歌集『希望』(雁書館・2000年9月、2625円)
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2010年04月23日

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 吉野山梢の花を見し日より心は身にも添はずなりにき
                      西行


 引っ越し先を目指して旅をしている。先日は奈良・吉野を訪れ、もう終わりがけの桜を見てきた。
 吉野を訪れるのは初めてだった。「千本桜」という言葉には歌で何度も出会っていたが、それが「上の千本」「中の千本」などと分かれていることは知らなかった。「奥千本」と呼ばれる奥まった山上は、一番遅く花が咲くところという。私が訪れたときにはもうだいぶ散っていたが、新緑のなかで咲く桜の美しさは何ともいえず、これもまたよいものだと思った。
 奥千本には西行庵というところがある。都を去った西行がしばらく暮らしたとされる場所で、案内板には吉野で詠まれた歌もいくつか記されている。上の歌は、そのうちの一首だ。
 枝の先端に咲く花は、空を恋うように、その先をさらに目指すように咲いている。その花を見ると、自分の心もまた穏やかでなくなってしまう、という歌だと思う。桜の歌は、一本の木や桜並木、山全体の桜などを詠ったものが多く、「梢の花」に着目したところが新鮮だ。西行は「心」と「身」について繰り返し詠っており、この歌でも二つを合致させる難しさが詠われているところに惹かれる。
 「身」という言葉は、英語の body に対応するだけではなく、もっと広く深い概念を含んでいる。この歌を読むと、日常的な働きをする慣性、常識のようなものも含んでいるような気がする。「心」は、感情や理想、最も本質的な思いなどであろうか。本当は、心と身が一致するのがしあわせなのだろうが、なかなかそうは行かないのが人生である。でも、それが面白いのかもしれない。
 満開の桜に囲まれると、少し息苦しく感じる。吉野の山道を歩き、だいぶ散ってしまった桜の美しさに何かほっとするような思いだった。そして、斎藤史の歌を思い出した。 

  老いてなほ艶といふべきものありや花は始めも終りもよろし

 
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2010年04月09日

捨てる

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  どんどん捨ててどんどん雑誌また捨ててさびしいさびしい
  人の言葉を      米川千嘉子


 いよいよ引っ越しの期日が迫ってきた。来週13日には、アパートからすべての荷物が運び出される。目下、「酒とバラの日々」ならぬ「ごみと片付けの日々」である。
 この歌を読むと、しんとさみしくなる。片付けというものは、ちょっと悪い人にならないとできないところがある。「ああ! なんて情のうすいやつなの、私って」と思いつつ、古い手紙や写真、いただきものの(絶対に使わない)食器などをどんどん処分しないことには進まない。この歌では「雑誌」というのが効いている。自分で買ったにせよ、人から贈られたにせよ、雑誌には「人の言葉」が満ちている。それが読みたくて買ったり、読んでほしくて贈られたりしたのである。
 「ごめんなさい、ごめんなさい」と思いながら「どんどん捨てて」いると、ものすごく悪人になったような気分になる。それが恐らく「さびしいさびしい」なのだろう。
 「どんどん」と「捨てて」のリフレインは、まさに私の今の状況とぴったりのスピード感を出している。ものを捨てるのは、それが本当に小さなつまらないものであっても、自分の過去を捨てることだ。「さびしい」が繰り返されることで、片付けに必ず伴うある種の厭世感や快感のないまぜになった気分がぐんと迫ってくる。
 でも、「さびしいさびしい」が作者の気持ちであると同時に、「人の言葉」というものも、そもそもさびしいものなのだと読めるところが、この歌の味わいではないかと思う。
 言葉は不完全なものだから、どんなに駆使しても相手に伝わらない。一番身近な人にだって、自分の気持ちを余すところなく伝えることなんてできない。言葉を使わず、ぎゅっと抱きしめたり、心からの笑顔を見せたりする方が、気持ちが伝わることもあるのだから、言葉なんて悲しいものである。
 何かを捨てなければ暮らしは成り立たないことのさびしさ、言葉を用いた表現のさびしさ、それが印刷されたものを捨てるさびしさ……一首に使われている語はとても少ないのに、人生における真理がここにはある。
 さぁて、それではまた片付け作業に戻らなくては。

☆米川千嘉子歌集『滝と流星』(短歌研究社、2004年8月)
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2010年03月26日

書き写す

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  かすかなるものなりければ言葉とはやはらかに花のごと
  咲かしめよ          馬場あき子


 ある人のブログに、国会図書館で歌集をコピーしようとしたら、章ごとに半分までしか許可されなかったということが批判的に書いてあった。これは著作権法に準じた適用である。通常、刊行後まもない一冊の本をすべてコピーすることは私的使用であっても許されず、運用上、一部(最大限、半分まで)とされることが多いようだが、短歌の場合、一首の半分しかコピーしないというのは、実際問題として不可能、無意味であり、こんな形でのコピー許可となったのだと思われる。
 私がこの文章を読んで気になったのは、著作権法の問題点や運用の仕方ではない。「歌集をコピーする」ということの意味である。ブログの作成者は、結局、近所の公立図書館で同じ歌集を借り、コンビニエンスストアで全部コピーすることができたという。「悪いとは思わなかった」と書いている。それを読んで、少し寂しい気持ちになった。
 今月21日さいたま市で行われた現代短歌新人賞の授賞式で、永田和宏さんの特別講演「短歌を読むよろこび」を聴いた。その中で永田さんは、学生時代には歌集を買う余裕があまりなく、たくさんの歌集を一冊まるごと書き写したことを話された。そして「そのことによって歌を深く味わうことになり、とてもよかった」と皆に勧められた。
 これには本当に共感する。私も学生時代に、祖父の蔵書の与謝野晶子全集から気に入った歌をいくつも書き抜いた。祖父が愛書家で、孫娘であろうと決して本を貸さなかったから仕方なかったという事情が大きいのだが、これがきっかけになったのか好きな歌をよく写す。
 いま引っ越しの準備のため、毎日片付けている。数日前、三橋鷹女の句集『魚の鰭』をまるまる一冊書き写したノートが出てきたのには驚いた。「歌集だけじゃなくて、句集まで……」。確か歌をつくるときのヒントにしようと、会社の情報調査部にあった文学全集を借りて写したのであった。
 そうしようと思えば夜中にこっそり会社でコピーできなくもなかったが、そんなことは考えなかった。本が傷むし、私は書き写したかったのだ。お金はあったが、時間はない時期だった。でも、書き写す時間を惜しいとは思わなかった。それこそが、自分にとって大事な時間だったのだと思う。
 ことばにはリズムや呼吸がこもっている。書き写すことで、それがより明確に感じられる。いろいろな方から歌集が送られてくると、できるだけお礼状を書くようにしているのは、自分のためでもあるからだ。付箋をつけた歌を便箋に書き写していると、「ああ、本当にいい歌だなあ」としみじみとする。
 たまたま読んだブログの作成者は、とても忙しい人で、真面目に短歌を勉強したい思いが強いのだろう。その人に限らず、たぶん書き写すということは、経験がない人にとっては「ええ〜っ!」と思うほど迂遠な方法なのかもしれない。でも、ここに挙げた歌のように、ことばという「かすかなるもの」を十分に味わうには、とてもよい。やわらかな花びらのようなことばを、丁寧に一文字ずつ書き写すとき、歌を詠んだ人の心に少し近づけるような気がしている。

☆馬場あき子歌集『阿古父』(砂子屋書房、1993年)
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2010年03月19日

アボカド

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アボカドの固さをそっと確かめるように抱きしめられるキッチン
          俵 万智


 月に1度、所属している結社「かりん」の校正のお手伝いに行く。校正の作業というのは、本当に勉強になる。経験を重ねるうちに勘所のようなものがわかってくるし、よくある間違いというのも心得るようになる。
 ことばの濁点の有無、あるいは濁点か半濁点かを間違えるケースはけっこう多く、「ベッド」を「ベット」、「バッグ」を「バック」、「ジャンパー」を「ジャンバー」などいろいろある。なかでも「アボカド」を「アボガド」と表記している人は実に多い。avocado だから「アボカド」と思うのは、まあ若者だろうが、だいたいの人は何となく覚えているものだ。
 私はあるとき、「やや、もしかして、あの間違いは『アボガドロ定数』に起因するのではないだろうか!」とひらめいた。そう、1モルの物質中に含まれる、その物質の構成粒子の数のことだ。私はアボガドロ定数でつまずき、共通一次試験を物理・地学で受験するという無謀な方向へ走ってしまった人間である。「みんな、私と同じようにアボガドロ定数に悩まされた結果、つい、アボカドと聞いた瞬間『アボガド…』と思ってしまうのではないだろうか」
 この素晴らしい思いつきを、何人かの友人に話してみたのだが、いずれも反応ははかばかしくなかった。「ええ? そうかなぁ(「お前だけだよ」という冷たい視線)」「日本人には『アボガド』っていうふうに濁音が続くほうが発音しやすいんだよ」などと、賛同が得られないまま長い年月がたった。
 ところが! 先日、柴田元幸のエッセイ集『つまみぐい文学食堂』(角川文庫)を読んでいて、躍りあがってしまった。柴田氏は「『アボカド』のことをなぜか『アボガド』と言う人が多いのはグーグルで検索しても明らかで、(中略)世の中の半数近くが間違えている勘定である。その原因は、高校の化学で習う『アボガドロ定数』だろう」と書いているのである。
 柴田氏がこのエッセイを書いたのは、単行本が出版された時期からすると、3年あまり前と思われる。いまグーグルとヤフーで検索すると、「アボカド」対「アボガド」は、ほぼ2:1と、かなり認知度が高まっているが、それにしても3人に1人は「アボガド」派だ。昨日、近所のスーパーで見た野菜売り場の札にも、しっかり「アボガド」と記されていた。
 この歌は、食べごろを知るためにアボカドをやんわりと指で押す感じを、抱擁と重ねた巧さが光る。トマトや梨に比べると、アボカドはなじみが薄い。そして外観も黒くてごつごつして、今ひとつ中の様子を想像しにくい。
 「君はいま幸せ?」「ぼくのことを本当に好きなの?」――いや、もっと深刻な事態において、彼は作者の胸中を測りかね、「そっと確かめるように」抱いたのかもしれない。というのも、後半の五七七は「たしかめる・ようにだきしめ・られるキッチン」と、句またがりが連続していて、うねうねと何か不穏なものを感じさせるからだ。この作者は、あくまでも明るい作風を持ち味としているが、こうしたリズム感でもって内面の屈折を見せるあたり、やっぱり巧者な歌人だと思う。

☆俵万智歌集『プーさんの鼻』(文藝春秋、2005年10月)
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2010年03月12日

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 一冊の未だ書かれざる本のためかくもあまたの書物はあめり
                      香川 ヒサ


 四月上旬に引っ越すので、持ち物を少しずつ片付け始めた。一番たいへんなのが、本の選別である。
 いま住んでいる木造二階建てアパート(推定・築四十年以上)に十数年も居ついてしまったので、本の増殖ぶりがすごい。これでも、時々整理していたのだが。先週から今週にかけて複数の引っ越し業者に見積もりを依頼したところ、異口同音に「コンテナ一個では入りきれません」と断言されてしまった。嗚呼!
 新居に入りきらなくても困るので、一冊一冊吟味して、資料性の高いもの、愛着のあるもの、古書店・古書ネットでもなかなか手に入らない短歌関係のものなどを優先して、持っていく本と処分する本を分けている。
 今日、処分すると決めた本を紙袋七つに入れ、近所のブックオフに持ち込んだ。計算してもらう間、店内でぶらついている私は、まずまず心穏やかな人物に見えたかもしれないが、実際のところ、胸中では「ああっ、こんな素晴らしい本がこんな廉価で!」「あ〜、君は手元にずっと置いて、時々開いて楽しむ本だよねえ、気の毒に」といった声が逆巻き、騒がしいことこの上ないのだった。
 ブックオフでは新刊書店以上に、何というか、孤児院を訪れた篤志家のような、絵本『100まんびきのねこ』のおじいさんのような気分になってしまう。本たちに「おばさん、わたしを連れて帰ってください」「いいえ、ぼくです、ぼくです」なんて呼びかけられているようで、居ても立ってもいられない。
 結局、歌集(105円ですよ!)と歌書(800円)、川島幸希著『英語教師 夏目漱石』(新潮選書・2000年、650円)の三冊を買ってしまった。漱石の本は、出版されていたこと自体知らなかったので非常にラッキーだった。歌集と歌書は差し障りがあるので書名は秘すが、以前から買おうと思っていたものだ。ほとんど、「おお、きれいな白猫だ」「このトラ猫も愛らしいこと」と次々に拾い上げてしまった、絵本のおじいさん状態である。実はもう一匹、とびきり美しい黒猫、違った、谷川俊太郎の詩集も買うところだったが自制した。
 香川さんの歌は、歌集『ファブリカ』の最後に置かれた一首。ものを書く人間としては、自分に言われているような感じがしてしまう。けれども、この歌は「まだ見ぬ偉大な作家、まだ生まれぬ未来の一人の作家のために、世界中の書物がある」と解釈する方が、スケールの大きな時間、また夥しい本の数を感じさせてよいと思う。
 それにしても……帰宅して本棚を眺めるが、全然減ったように見えない。わが家の「かくもあまたの書物」が新居に収まるよう、再び選別作業に入らねばならない。

☆香川ヒサ歌集『ファブリカ』(柊書房、1996年3月)
☆ワンダ・ガアグ作/石井桃子訳『100まんびきのねこ』(福音館書店、1961年1月初版)
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2010年03月05日

偶然と必然

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出会いは偶然 偶然は必然 生まれる前から決まっていた風の
行方                光本 恵子


 先日、沖縄の石垣島へ行き、「石垣焼窯元」で素晴らしい木の葉天目の茶碗を見た。石垣焼は陶器とガラスを融合させた焼き物で、美しいブルーが特徴である。
http://www.ishigaki-yaki.com/
 「天目」は茶の湯に用いる茶碗の総称だが、黒い釉薬を用いた焼き物全般を指すことも多い。黒い釉面に瑠璃色の美しい星紋がいくつも浮かぶ曜変天目、同様に大小の銀白色の結晶が一面に出ている油滴天目など、いろいろな種類がある。いずれも焼きあがりは偶然に左右され、同じものは二つとできない。中でも木の葉天目は、本物の木の葉を残して焼きあげるもので、葉が釉薬と混じってしまって葉っぱの形がわからなくなったり、葉が焼けて残らなかったりすることがほとんどという。
 石垣焼は、焼成温度の異なる陶器とガラスを組み合わせており、ふつうの作品でも焼きあげるのが難しい。そこに木の葉が加わるので、成功する可能性は非常に低い。
 石垣焼窯元当主の金子晴彦さんは、3年がかりでガラスを融合させた木の葉天目に挑戦し、昨夏、世界で初めて成功した。それまでに焼いた失敗作は1200点に上るという。木の葉天目には、ケイ酸を多く含むムクやニレ、ケヤキなどの葉が適しているとされる。しかし、金子さんは石垣島の自然を表現するため、島に生えているクワの葉で試みた。
 この歌の「偶然は必然」というフレーズは、いろいろなことを考えさせる。科学研究の世界でも偶然による発見を「セレンディピティ」と呼んだりするが、それは決して出合い頭のような偶然ではなく、その人が日頃から注意深く経験と努力を重ねていたからこそ、つかみ取ることができた幸運なのだと思う。定型をゆったりとはみ出したリズムが、この歌の内容にうまく合っていて気持ちがいい。
 人との出会いも偶然である。その出会いを、どう豊かにしてゆくかは自分次第なのだろう。せっかくの出会いを、自分のわがままや気紛れで台なしにしてはもったいない。「必然」と思って相手を大事にしなければ、美しい関係は作れないのだ。
 金子さんの木の葉天目は「紺海木葉天目茶碗」と名付けられた。小さな茶碗のなかに南島の海と山が入り込んだ、素晴らしい一品である。

☆光本恵子歌集『自由の領域』(砂子屋書房、2007年8月)
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