2010年02月26日

餃子

IMGP1101.JPG

  餃子食べてゐる顔みんななにかかう藤田まことに似てくるをかし
                      岩田 正


 子どものころ、家ではテレビをあまり見せてもらえなかった。日曜日などに祖父母の家へ行くとそういう制限はなかったので、苦い顔をしている母親を尻目に、夢中になってテレビを見た覚えたがある。
 だから、藤田まことを一躍人気者にした「てなもんや三度笠」も、祖父母の家でちらと見た覚えがある。「ちらと」というのは、小さかった私には、お芝居というものや台詞の面白さがほとんど理解できなかったためである。まだお相撲の方が勝った負けたがあって、身を入れて見たような記憶がある。ただ、日曜日の夕方遅くという時間帯と、祖父母の家に漂う、あたたかいんだけれども、なにかしんみりした感じが、白黒テレビの画面の雰囲気とないまぜになって、「てなもんや三度笠」という番組名には今も胸がきゅんとなる。
 さて、この歌の「藤田まこと」には、何ともいえない哀感が漂っている。六音の名前ならば誰でもうまくはまりそうなものだが、熱々の餃子を食べている様子とぴったり合う人物というのは、なかなかいない。そして、餃子という食べ物をもってきたところもまた絶妙だ。おいしいけれども、特別高価な一品ではない。出てきたらおしゃべりなどせず、ひたすら黙々と熱いうちに食べなければいけないのは餃子に限らないが、何かこうどっしりと食べ応えのある、頼りになるおいしさである。
 歌がつくられたのは1990年代だから、藤田まことが「必殺」や「はぐれ刑事純情派」のシリーズで人気を集め、俳優としてのステイタスを固めたころだろう。決して華やかではないが、こつこつと誠実に生きる人物を演じて人々の心をつかんだ彼に、餃子はよく似合う。
 作者はヒューマニティあふれる歌をつくる人である。きっと、藤田まことの演じる人物像に、人々の共感や時代の雰囲気を感じ取っていたのだろう。ふと入った中華料理店で、一心に餃子を食べている人たちに限りないいとおしみを感じ、「ああ、われら庶民」とでも言うべき感慨を抱き、この歌が作られたのだと思う。
 さりげなく作られたような歌だが、「餃子」でない食べ物、「藤田まこと」でない名前を入れて一首を成り立たせようとすると、非常に難しい。亡くなられた藤田さんは、この歌を知っていただろうか。誰かから聞いたことがあっただろうか。哀感あふれるこの一首を、彼に見せてあげたかった。


☆岩田正歌集『レクエルド』(本阿弥書店、1995年4月)
posted by まつむらゆりこ at 00:00| Comment(9) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月19日

フィギュアスケート

skate.JPG

  女子フィギュアの丸きおしりをみてありてしばしほのぼのと
  灯れり夫は                馬場あき子


 最近、歌人の集まり以外のところで短歌の話をする機会が少し増えた。先日は、子どもの本の専門店で開かれている小さな定例会に呼ばれ、親しみやすい現代短歌をいろいろと紹介した。少人数だとだんだんうちとけ、一人ひとりと話しながら進められるのが、とても楽しい。
 フィギュアスケートのこの歌を読み上げたとき、参加者の一人が、ぱっと「これって、最近のフィギュアじゃないと思う。『丸きおしり』っていうのは、ひと昔前の選手よね」と言った。他の人も口々に「そうそう」「伊藤みどり選手とか」と相槌を打ち、大笑いになった。
 歌われているのは恐らく、夫婦でテレビを観ながらくつろいでいる場面だろう。作者がふと気づくと、夫が目を輝かせ、頬を紅潮させている。どうしたのだろうと思えば、画面にはフィギュアスケートの選手が優美に氷上を舞う姿がある。彼女の若々しい身体に、夫の胸は久々にときめいているのだろうなあ……。長く連れ添った夫婦の機微がなんともいえず可笑しい。
 「丸きおしり」で私がまず思い出すのは、1972年の札幌オリンピックに出場し、銅メダルを獲得した米国のジャネット・リン選手である。尻もちをついた後の、あのさわやかな笑顔は実に印象的だった。しかし、それにも増して、小学生だった私がいまだに忘れられないのは、このとき銀メダルを取ったカレン・マグヌッセンというカナダの選手である。
 金メダルを取った選手の名はとうに忘れたのに、一体どうしてだろうと不思議になって調べてみると、なんと彼女とジャネット・リンのおかげで、今日のフィギュアスケートがあることが分かった。つまり、札幌オリンピックまでのフィギュアは、コンパルソリーという、氷上に規定通り線を描く種目とフリーしかなく、オーストリアのベアトリクス・シューバ選手(ああ、そうだった!)は、コンパルソリーが1位、フリーが7位という成績を総合した結果、金メダルを獲得したというのだ。リン、マグヌッセンはフリーで1、2位だった。このときの結果を巡って「フィギュアはスポーツか、芸術か」という論争が起こり、翌年の世界選手権からショートプログラムが導入されたのである。
 何の知識もない日本の小学生が感動して数十年も名前を忘れないほど、あのときのカレン・マグヌッセンのフリー演技は素晴らしかったのだと思う。そして、彼女もまた「丸きおしり」の人だった。

☆馬場あき子歌集『青い夜のことば』(雁書館、1999年11月)
posted by まつむらゆりこ at 00:00| Comment(10) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月05日

ピル

IMGP1090.JPG

  山鳥の尾のしだり尾のながながし時たちにけりピル承認に
                     大滝 和子


 先日、ニューメキシコ大学を訪れて感心したのは、日刊の学生新聞が発行されていることだ。実際は土日を除く週5日の発行だが、東京大学新聞も慶応塾生新聞も月刊らしい。全国紙の夕刊くらいの12ページというページ数にも驚かされた。
 写真は1月22日付けの1面である。この日のトピックスは「どの pregnancy center があなたに向いている?」という見出しが付けられている。妊娠してしまったら、どこのセンターに行くのがいいか、という記事である。トップには地図が掲げられ、大学周辺にある5つのセンターのサービス内容が記されている。
 サービスは、妊娠判定▽性感染症テストと治療▽HIVテスト▽HPV(ヒトパピローマウイルス)ワクチン接種▽緊急避妊▽人工妊娠中絶▽中絶後のカウンセリング▽親になるためのクラス▽学びながら収入を得るためのクラス▽経済的サポート▽スピリチュアル・サポート……とまあ、実に多彩だ。
 カトリック系のセンターであれば、産むという選択を提示し、経済的、精神的な支援システムも準備されているのが、アメリカらしいと言えようか。緊急避妊とは、いま日本でも導入が検討され始めたピルの一種だが、避妊に失敗したりレイプされたりした場合に妊娠を回避するための最後の手段である。モーニングアフターピルとも呼ばれる。
 ここまで読んで、ややうんざりした人もいるかもしれない。私は記者時代に生活家庭部という部署に長くいて、十代の妊娠中絶や出産、不妊治療を巡るさまざまな側面など、女性の健康に関するニュース全般を追ってきたので、つい、この問題になると熱くなる。ともかく、日本の保健教育の貧しさにはがっかりさせられてきたのだ。
 予想外の妊娠をしてしまった若い女性にとって、選択肢は多い方がいい。学生ママになってもよいし、今回はあきらめて確実な避妊法を学ぶという選択をしてもいい。結婚せずに子どもを産むことを「けしからん!」というのであれば、もっと思春期の性教育を充実させ、望まない妊娠をしないような手立てを講じることだ。どちらにしても、自分の体と向き合い、パートナーと対等な関係を築くことが大切である。
 日本で避妊目的の低用量ピルが承認されたのは、1999年6月である。欧米諸国に比べ40年近くも遅かったのは、多くの障壁があったからだ。「山鳥の尾のしだり尾の」の歌は、そうした障壁の背景に存在した偏見や無知を嗤ってみせた。作者は、はっとするような美しい詩的飛躍や言葉に潜む陰翳を自在に表現する人なのだが、この歌に関しては硬派な一面を見せていて、私は一層好きになった。
 少しずつ状況は変わりつつある。日本家族計画協会クリニックのサイトには、ピルを処方するクリニックを検索できるページがある。日本地図から都道府県を選び、市町村まで絞り込むと、クリニックごとの地図や診療時間などの情報が出てくる(http://www.jfpa-clinic.org/search/pill.html)。とても使いやすく親切な内容だ。ピルは女性が主体的に選べる確実な避妊法なのだが、まだまだ情報が少ない。
 最近「できちゃった婚」は、「おめでた婚」「授かり婚」といわれるようになった。それはそれでよいのだが、結婚に至らない予想外の妊娠がどんな結果に終わるのかを考えると憂鬱になる。早すぎた出産が子どもへの虐待に結びつくケースもある。心身ともに十分な準備ができてから出産するためにも、ピルは有効な手立てだと思う。

☆大滝和子歌集『人類のヴァイオリン』(砂子屋書房、2000年9月)
posted by まつむらゆりこ at 00:00| Comment(11) | TrackBack(2) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年01月15日

0623dolls.JPG

 弟がひとり居たなら呼び寄せておまえならどうすると訊くだろうきっと
                       永田 和宏


 親には感謝しきれないことばかりだが、なかでも弟の存在は大きな贈りもののように思っている。自分と気質や考え方の全く異なる同世代の人間が、家族のなかに一人でもいる経験というのは、実に得難いものだ。私は弟がいることで、本当にたくさんのことを学んだ。
 弟と私は六歳離れている。小さいころの私はかなり支配的な姉で、無理やりお人形遊びに付き合わせたり、親の見ていないところでいじめたりもした。そのくせ、参観日に母が弟を連れてくると、色が白くて私よりも顔立ちの整った弟を得意満面で引き連れ、友達に自慢した。そんな姉だったのに、おとなになってからの彼は何かと私をサポートし、心を配ってくれる。
 血液型や星座など占いの類は信じないが、異性のきょうだいの有無や、何人きょうだいの何番目といったことは、かなり性格に影響を及ぼすと考えている。もちろん、持って生まれた性格というものもあるだろうが、采配を振るいたがったり、何でも一人でやらなければ、と思ったりする私自身の傾向は、二人きょうだいの上の子であるところもだいぶ関与しているのではないかと思う。
 この歌の作者は、年譜によると妹さんが二人いる。「弟がひとり居たなら」というのは、何か妹たちには相談しにくい難しい問題を抱えている状況を示すのだろうか。架空の弟なのだが、「おまえならどうする」と話しかける言葉がとてもリアルで、あたたかい思いを抱かされる。幼いころから、しっかり者の兄として振る舞ってきた作者の、ちょっとした甘えというか願望が素直に詠われていて、心をひかれた。
 架空の弟というと、寺山修司の「間引かれしゆゑに一生欠席する学校地獄のおとうとの椅子」が思い出されるが、こちらは「学校地獄」という言葉が強すぎて、歌としてはあまり好きではない。
 姉と弟、兄と弟という組み合わせによっても、その関係はずいぶんと変わるだろう。姉と弟というのは、なかなか甘やかなよいものだと思う。最後に、私の大好きな姉弟の歌を一首。

  おとうとと左右に坐りて連弾のあのころひと日ゆつくり過ぎき
                        上村 典子


☆永田和宏歌集『日和』(砂子屋書房、2009年12月)
 上村典子歌集『開放弦』(砂子屋書房、2001年3月)

☆おしらせ 来週のブログ更新は仕事の都合で休みます。
posted by まつむらゆりこ at 00:00| Comment(12) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年01月01日

新年

20091230140455.jpg

  福袋みな持つて乗るひるでんしや福は膨らんでゐてみな同じ型
                     馬場あき子


 新しい年を迎えた。何だかやっぱり嬉しい気持ちになる。
 福袋を見ると、福岡の旧友を思い出す。彼女は学生時代から毎年一月に、友人たちと「福袋大会」を催している。参加者それぞれが同じ値段の福袋を1つずつ買って集まるという楽しい企画である。
 自分が買った福袋であっても、大会まで決して開けてはいけない。必ずその場で広げ、参加者全員で物色し合うのだ。それから、準備された「投票用紙」に自分の欲しいものを書いて投票する。たとえば、「フリル付きの白いブラウス」だとか、「色鉛筆セット」だとか……。競合する相手がいなければ、投票した品物は自分のものになる。もしバッティングすれば、ジャンケンなどで決める。十数人も集まれば、ブランド品や食器の福袋、台所用品の福袋などいろいろなものが集まり、場はなかなかに熱くなる。
 私もこれまでに3回参加したのだが、なぜかいつも誰も選ばないものを選ぶようで、非常に歓迎されるのであった。
 この歌の作者は、みんながこぞって福袋を買う風潮を、ちょっぴり疎ましく思っているようだ。「みな持つて」「みな同じ型」に、かすかな批判が滲んでいるように感じる。「ひるでんしや」の長閑な感じは、たぶん平和に慣れきった日本の緩んだ雰囲気をやんわりと批判したものだろう。でも、幸福というものは平凡な形で、似たりよったりだという箴言めいた言葉と解釈してもよいかもしれない。読むときの気分によって、少し印象が変わる歌のように思う。私も、これは本当は批判の歌だと思うのだが、福袋大会という、ささやかな同窓会を楽しんでいる友人たちを思い出すと、お正月だけはこの歌を「福」に関する寸評だと解釈してもいいかな、と思ってしまう。
 新しい一年、多くの出会いや収穫がありますように。

☆馬場あき歌集『ゆふがほの家』(不識書院、2006年10月)

posted by まつむらゆりこ at 00:04| Comment(22) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月25日

クリスマス

IMGP0490.JPG

 クリスマスのうまやの模型〈村人〉は宙見あげぐつと息とめてをり
                       日置 俊次


 子どものころ、クリスマスの朝はわくわくした。枕元かクリスマスツリーの下に、必ずプレゼントが用意されていたからだ。何しろ活字中毒児だったので、本が一番うれしかった。かわいい毛糸の靴下や帽子などもうれしいにはうれしかったが、分厚い本を手にすると、それに没頭できる時間の長さを思って幸福だった。
 クリスマスは、何だか日本ではどんどん妙な方向へ行き、前夜のクリスマス・イヴの方がメインなのだと思っている人も多いようだ。私は小さいころ日曜学校へ通っていたので、そのあたりがどうもなじめない。そして多分、それは少数派なのだと思う。
 幼子イエスが生まれたときの様子が描かれた絵やクリスマスの飾りは、よく見るものだが、あまりにも見慣れていて何の違和感も持たなかった。だから、この「クリスマスのうまやの模型」の歌にはびっくりした。
 この〈村人〉は、イエスの誕生を祝うため現場へ駆けつけたに違いないのに、聖母子の傍らで宙を見あげ、「ぐつと息とめて」いるのだ。敬虔な思いに打たれて息を止めているようには感じられない。喜ばしい場にいながら、それでも本当に自分たちに平和や幸福が訪れるのだろうかと信じきれない気持ちがあるように思う。絶望や虚無というほど強い気持ちではない。しかし、日々の労働に疲れた〈村人〉の懐疑、そしてそれを打ち消そうとする思いが、何ともリアルに詠われた作品だと思う。
 この歌を読むと、遠藤周作の作品を思い出す。信じたくて信じきれない日本のキリシタンたちの迷いと葛藤。しかし、それこそが人間の生きる悲しみではないだろうか。クリスマスに慣れ親しんだ文化の中では決して作られない、見事な歌である。

 聖母子の片方に描かれ聖者達つひに神にはなれざりし者
                       香川 ヒサ


 ☆日置俊次歌集『ノートルダムの椅子』(角川書店、2005年9月)
 ☆香川ヒサ歌集『PAN パン』(柊書房、1999年1月)
posted by まつむらゆりこ at 10:16| Comment(8) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月18日

戸籍

KICX1424.JPG

 戸籍から戸籍へ移るも旅ならん〈英子〉の二字がわが具体なり
                       鈴木 英子


 来年1月に仕事でアメリカへ行くことになった。ちょっと弾んだ気持ちで、向こうの友人と連絡を取り合ったり、フライトを予約したりしていたのだが、はっと気づくと、パスポートの期限が立派に切れていたのであった。
 慌てて区役所へ行き、必要書類である戸籍謄本を取ってきた。8月に期限切れになっていたパスポートは10年パスポートだったので、実に10年ぶりに自分の戸籍を見たのだが、やっぱり不愉快になった。ほとんどの人は、自分の戸籍を見ても何とも思わないだろうが、離婚した人間にとって戸籍は、いつまでも離婚した事実を突きつけてくる。そして、もし再婚したら、同じ1枚の紙に、昔の配偶者と新しい配偶者の名前が共存することになるのである。それは、あまり面白いこととは思えない。
 「戸籍なんて、単なる記録じゃないの」と思う人もいるかもしれない。しかし、それならば、なぜ自分の産んだ子の名前が、私の戸籍のどこにも記されていないのか。戸籍というのは家族を単位にした記録でしかない。戸籍筆頭者を中心に考えられたシステムなのである。
 例えば、夫を戸籍筆頭者にして結婚した女性が、子どもを連れて離婚し、別の人を戸籍筆頭者にして再婚した場合、そのままでは子どもは新しい夫の戸籍には入らない。「入籍届」を出すと、同じ戸籍に入り同姓にはなれる。しかし、そうしても新しい夫と子に法的な親子関係は生じないので、実際には養子縁組の手続きをすることが多い。養子縁組手続きを経て、その子は女性の新しい夫の「養子」として記載される。その子が女の子であった場合、彼女は何年たっても「養子」だが、もしお母さんと新しいお父さんの間に新たに女の子が生まれたら、その赤ちゃんが「長女」になる――。何て融通の利かないシステムなんだろうと思う。
 芸能ニュースなどでは、「結婚」の意味で「入籍」という言葉がよく使われる。新聞社にいたときは、ゲラでそういう見出しや記事を見つけると、「これ、違いますよ」といちいち出稿部や整理部に言いに行っていた。「入籍」は、「ある人が既存のある戸籍に入ること」なので、初婚者同士の結婚では、まずあり得ない。親の戸籍からお互いが出て、二人の新しい戸籍がつくられることが多いはずだ。しかし、あまりにも頻繁に「入籍」が使われているので、もう誤用が一般的になってしまうかもしれないと、近頃ではあきらめ気分である。
 数日前、あるテレビ番組で、性同一性障害のカップルが法律婚までたどり着いたケースが取り上げられていた。彼らは性転換手術を受けて戸籍を変えた。戸籍などどうでもいいではないか、という人もいるが、パスポート取得のときなど、いろいろな場面で戸籍謄本(抄本)は必要になる。さまざまな苦労やつらい気持ちを経験し、「名実ともに結婚したい」と願った、そのカップルの熱い思いに私は打たれ、性別が変えられるようになったのを本当に喜ばしいことと思った。
 現代における家族のあり方や人々の感覚に合わない部分が、戸籍にたくさんあるのは明らかだ。私自身はもはや要らないのではないかと思うが、まだ使い続けるのであれば、性別が変えられるようになったように、少しずつ時代の変化に適応されなければ、と強く願う。そして、戸籍が「実質的には個人の記録」というのであれば、年金記録のようなものをこそ、きちんと管理してもらいたい。
 鈴木英子さんの歌は、結婚によって姓の変わる女性が「戸籍を移るなんてちょっとした旅のようなものであって、自分自身はちっとも変わることがないのだ」と、かろやかに表現したものだと思う。拘らない自然体がとても羨ましい。でも、私は多分、ずっと拘り続けるだろう。

 婚のことなど国に届けてやるまいと太閤嫌いのわが矜恃なり
                        松村由利子


 ☆鈴木英子歌集『淘汰の川』(ながらみ書房、1992年)
 ☆「短歌研究」2008年9月号
posted by まつむらゆりこ at 08:47| Comment(14) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月11日

名前

1211名前.JPG

  接木して訳のわからぬ花さかすそんな名ばかり誕生欄に
                       馬場 昭徳


 凛、さくら、陽菜(ひな)、結愛(ゆあ)、結菜(ゆな)……。先日、ベネッセコーポレーションが発表した赤ちゃんの名前ランキングのうち、上位5位に入った女児の名前である。男児のベスト5は、大翔(ひろと)、翔太(しょうた)、蓮(れん)、颯太(そうた)、蒼空(そら)という。
 「ほ、本当にそんな名前が…」というのが私の率直な感覚だが、名前は時代と共に実に大きく変化するのである。

  小農の子に「子」は要らぬと父名付く片仮名二文字のわが名さび
  しむ                   秋山 とし


 この歌の作者は、何歳くらいの方だろう。確かに女児の名に「子」が付くのがおしゃれだった時代があったのだ。1960年生まれの私の世代では、「子」が付くのは当たり前だった。「明美」ちゃんや「ひろみ」ちゃんのような名前は、クラスの中で一人か二人だった記憶がある。
 今や「子」のつく名前の方が少ない。今年の夏、大学生たちと歓談する機会があり、今どきの名前が話題になった。昭和最後の年の生まれという女子学生たちが、「私たちの世代の名前は『かみなり』なんですよぉ」と笑うので、何かと思ったら「あやか」「ひとみ」「はるな」「さおり」のように、名前の最後の1文字が「か・み・な・り」のいずれか、という女性が多いとのこと。うまいネーミングだなあ、と感心した。
 男児の名前もずいぶんと様変わりした。もう十年近く前になるが、文部科学省の記者クラブに詰めていたとき、夜7時のNHKニュースで、小さな男の子が何かの事故に巻き込まれたというニュースが流れた。子どもの名前は、「聖士」とか「騎士斗」とか、漢字は忘れたが当て字で「ないと」と読ませるものだった。
 それほど深刻なニュースではなかったこともあり、アナウンサーが「ないと君は〜」という度に、私と同僚の記者は、小学生のように笑い転げてしまった(ないと君、ごめんね)。「あ〜、こんなにニュースで名前を連呼しているとは思わなかった」「いや、やっぱり耳が珍しいものに反応しちゃうんだよ」と、涙が出るほど笑ったのだが、きっと全国には「ないと」君がたくさんいるに違いない。
 「接木して訳のわからぬ花さかす」と感じた作者に共感しつつ、時代の気分の変化をいち早く示す名前というものを面白く思う。

 ☆馬場昭徳歌集『マイルストーン』(本阿弥書店、2009年11月)
 ☆大岡信『新 折々のうた8』(岩波新書、2005年11月)
posted by まつむらゆりこ at 09:56| Comment(12) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月27日

奥さんと呼ばれ

IMGP0473.JPG

 奥さんと呼ばれためらふ一瞬をはうれんさうはつやつやと揺れ
                     永井 陽子


 人の作品をすべて読み、記憶しておくことは、ほぼ不可能である。けれども、高名な歌人の話題になった歌集くらいは、ざっと見ておかなければいけない。非常に似た発想の歌をつくってしまうことがあるからだ。
 2005年に出版した私の第二歌集に「奥さんと呼ばれたじろぐ吾がいてゼラニウムの鉢買わずに帰る」という歌が入っている。永井陽子さんの歌は、2000年に刊行された遺歌集に収められている。私は永井さんの歌が大好きなので、出てすぐに買って読んだのだが、そのときは自分が類歌をつくってしまったことに気づかなかった。
 その後出版された永井さんの全歌集をちびちびと読み始めたのは、確か会社を辞めた2006年夏ぐらいだったと思う。そのとき初めて掲出歌に気づき、「ああっ、もう、こんな歌があるのに!!」と髪をかきむしらんばかりに悶えた。
 たぶん私の歌集を読み、「あら、松村さんたら」と気づいた人は何人もいるだろう。しかし、それを指摘してくれた人はいない。こういうことは自分で気づかなければならないのだ。
 先週、新潟の超結社「うたの会」の歌会で、詠草の批評をする機会があった。「遠景」という言葉を詠いこんだ作品について、山田富士郎さんが「島田修二の『肩を落し去りゆく選手を見守りぬわが精神の遠景として』といった名歌があるので、こういう語を使うときには気をつけなければいけません」と指摘したのが印象に残った。
 歌を作り始めて間もないころ、子どもを小動物にたとえた歌を作り、師の馬場あき子から、ぴしっと「もう『小動物』という言葉は使えないんだよ。森岡貞香の歌があるから」と言われたことは忘れられない。「つくづくと小動物なり子のいやがる耳のうしろなど洗ひてやれば」である。
 そういう語を使うならば、既にある名歌を超えるものでなければならない。「奥さんと呼ばれ」で始まる歌をうかうかと作ってしまうなんて、実に恥ずかしいことだった。
 永井さんの歌を読むと、「奥さん」と呼ばれて動揺はするのだけれど、ホウレン草を買う意思が強かったのかな、と思う。一瞬ためらいはしても、瑞々しいホウレン草へと目をやったのだから。恐らく次の瞬間には手を伸ばしたのではないか。「つやつやと揺れ」に何か、許しというか明るさが感じられる。それにひきかえ私の歌では、たじろいだ結果ゼラニウムを買わずに帰るのだから、花への愛着もなく、惨めな気持ちばかりが残る。まだまだ修行が足りない。


☆永井陽子歌集『小さなヴァイオリンが欲しくて』(2000年10月、砂子屋書房)

posted by まつむらゆりこ at 00:00| Comment(6) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月20日

シェルブール


KICX2514.JPG

 まなじりに濃き歳月は波立ちてカトリーヌ・ドヌーヴ湖(うみ)の
ごとく老ゆ                 島田 修三


 年齢を重ねた女性の美しさをこんなふうに詠った歌はあまりない。彫りの深い顔立ちは皺が刻まれやすいのだが、それは生きてきた軌跡を示すものであり、忌避するものではないと思う。日本では「カラスの足跡」といった言われ方もするが、眼尻の皺を「波立ち」に喩えて湖面のさざ波を連想させ、人間的な深みを増した女優を「湖のごとく」と表現した巧さに感じ入る。翳りを帯びた底知れぬ湖であろうか。
 1950年生まれの作者にとってカトリーヌ・ドヌーヴは、ちょっとお姉さんというくらいの年齢だ。作者は少年時代からスクリーン上の彼女に胸をときめかせていたのかな、と想像した。
 ドヌーヴは10代のころから映画に出演していたが、21歳で主演したミュージカル映画「シェルブールの雨傘」のヒットで一躍有名になった。映画は観たことがなくても、あの甘く、もの悲しいテーマ曲を一度くらいは聞いたことがあるという人が多いのではないだろうか。そして、その美しいメロディーと、「シェルブール」というやわらかな響きの地名を重ねて記憶している人も少なくないだろう。
 実は、私はカトリーヌ・ドヌーヴの映画はほとんど観ていない。しかし、「シェルブール」のやさしく抒情的なイメージは、若きドヌーヴの美貌とぴったり結びついている。だから、旧科学技術庁を取材していたとき、原子力関係の記者レクで思いがけなく「シェルブール」と出合ったときは驚いた。フランスの再処理工場では、国内だけでなく日本やドイツなどの原発で使われた使用済み核燃料を扱っており、そこで処理された高レベルの放射性廃棄物が運び出される港こそノルマンディーの軍港、シェルブールだったのである。
 フランスの工場では、使用済み核燃料の再処理だけでなく、プルサーマル発電に使われるMOX燃料への加工も行われている。ウラン燃料を再利用するプルサーマル発電についてはさまざまな議論があり、今春、MOX燃料を積んだ輸送船がシェルブールから日本に向けて出港する際には、環境保護団体の抗議行動もあった。今月、国内でもいよいよプルサーマル発電が始まろうとしている。ドヌーヴの憂愁を帯びた「まなじり」に、何となく核燃料サイクルを巡る憂鬱を重ねてしまうのであった。

☆島田修三歌集『東洋の秋』(2007年12月、ながらみ書房)

★お知らせ
 「わたしたちの先輩 与謝野晶子」と題して12月2日(水)に東京都新宿区で講演します。
 お近くにお住まいでご興味のある方は、どうぞいらしてください。

http://shinkaren.ho-zuki.com/40thshinkarenchirashi.pdf
posted by まつむらゆりこ at 00:00| Comment(16) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月13日

昭和の空

KICX0267.JPG

 末期の眼あらば見たきよアドバルーンいくつも浮かぶ昭和の空を
                     藤原龍一郎


 この歌を読んで、斉藤茂吉と古賀メロディーを思い出した。いったい何の関係があるのか、と不思議に思う人も多いだろうが、多分この歌の作者は、昭和11(1936)年に発売され、翌年映画の挿入歌として使われてヒットした「ああそれなのに」(古賀政男作曲、星野貞志=サトウハチロー=作詞)を念頭に置いて作ったのだと思う。この歌の冒頭が「空にゃ今日もアドバルーン」なのである。
 全体的にのどかな、しかしちょっぴり物悲しいメロディーである。さびというか終わり近くの「ああそれなのにそれなのにねえ」というリフレインが小唄のようで、つい口ずさみたくなる魅力がある。

 鼠の巣片づけながらいふこゑは「ああそれなのにそれなのにねえ」
                        斎藤 茂吉


 茂吉の愛すべき一首にこんな歌がある。歌がはやった当時、茂吉は50代に入ったばかりであり、20代の永井ふさ子と恋愛関係にあった。昭和12年3月に、ふさ子宛に書かれた手紙には「あゝそれなのにそれなのにネエです」と、会いたい思いを募らせる心情がしたためられている。近代の大歌人、茂吉が流行歌に自分の気持ちを託したのかと思うと、この歌の味わいもまた深まってゆく。
 私は「鼠の巣」の歌に漂う何ともいえない可笑しみと生活の匂いが以前から好きだったが、「ああそれなのに」の歌についてはほとんど知らなかった。先日調べものをしていて、この歌の歌詞全部とメロディー、また英訳された複数の歌詞を知るに至った。"Today in the sky ad-balloon"で始まる和製英訳がこれまたおかしくて、昭和初期の雰囲気を改めて興味深く思うのだった。
 「アドバルーンいくつも浮かぶ昭和の空」は、のどかな雰囲気に思えるが、実際には曲の発売されたのは二・二六事件の起こった年であり、翌年には盧溝橋事件を契機に日中戦争へと突入する。のんきにぷかぷかと浮かぶアドバルーンの背後には、暗い時代が迫りくる不穏な雰囲気が漂っていたのだ。この歌の作者は、今という時代と「昭和の空」を重ねて見ているように思える。平和そうに見えて平和ではない時代。歴史はいつも、後になってみないと分からないのだが、作者はそれを先取りして何か警告したいような気分なのではないかと思って読んだ。

☆藤原龍一郎歌集『ジャダ』(2009年10月、短歌研究社)
posted by まつむらゆりこ at 00:00| Comment(9) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月30日

基地

KICX0658.JPG

  わしんとんに他国の基地を設けみよ音速超える爆音聞いてみよ
                   田村 広志


 米軍普天間基地の移設問題を巡り、さまざまな動きが報道されている。県外移設が検討されてきたが、かなり難しいようだ。
 沖縄の人たちの表情が伝えられるたびに胸が痛む。「なんでいつも沖縄なんですか」。街頭でコメントを求められ、絞り出すように言葉を放った女性の表情は痛々しかった。その言葉に込められた思いは、戦後ずっと沖縄の人たちが抱いてきたものだろう。基地問題だけではない。第二次世界大戦のころの差別や軍から受けた仕打ちの数々は、今も消えることのない深い傷となっているのだ。
 沖縄本島を車で移動したとき、走っても走っても基地のフェンスが続くことに圧倒された。やりきれない気持ちになった。けれども、それくらいでは、目の前に基地があり、日々騒音の中に暮らしている人たちの悲嘆には到底とどかないと思う。
 この歌の作者は、1941年生まれ。出征した父親は、沖縄で戦死したという。

  戦場からのハガキ一枚写真二葉父につながる記憶のすべて
  四人の子遺され戦争未亡人。こぼれ繭なり母のひと世は


 千葉県生まれの作者であるが、父の亡くなった地である沖縄へは特別な思いを抱いており、何度となく足を運んでいる。
 ひらがなで書かれた「わしんとん」は悲しい。米国の首都「ワシントン」とすれば、不穏な、またストレート過ぎるメッセージになるが、やわらかな「わしんとん」は、何か架空の都市のような感じもあり、そこに他国の基地を設けることも爆音を聞かせることも絶対にあり得ない遠さが漂う。 
 新聞社を辞める前の年、「戦後60年」という年間企画に関わった。そのとき、「ああ、自分は戦争が終わって、たった15年しか経っていない頃に生まれたんだ」と初めて感慨深く思った。母が幼いとき「金鵄輝くにっぽんの〜」と歌いながらまりつきをしていたこと、祖母が大切な指輪などを惜しげもなく供出してしまったこと……戦争についていろいろ聞かされていたのに、自分は戦争とは遠く隔たった世代だと思い込んでいた。
 私たちの想像力は本当に貧しい。なかなか遠くへ働かせることができない。だからこそ、歴史を学び、ニュースを深く分析しなければいけないのだと思う。

☆田村広志歌集『島山』(2004年11月、角川書店)
posted by まつむらゆりこ at 00:00| Comment(7) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月10日

おしらせ

@10日発売の「中央公論」11月号に特集「古本屋めぐりは楽しい」が載っていますが、その中の「神保町を味わう六つのお薦めルート」のうち、「幼ごころを探して」「詩歌に親しむ」の2つのルートの原稿を書きました。古本のお好きな方に、ちらとでも見ていただけると嬉しいです。
A今月28日、大阪・堺市で「21世紀に出会う与謝野晶子」と題して講演します。
http://www.city.sakai.lg.jp/city/info/_bunka/event.html#21_kouen
 お近くの方で、もしご興味がおありでしたら、どうぞ高島屋堺店へいらしてくださいね。
posted by まつむらゆりこ at 16:33| Comment(8) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月18日

年齢

KICX2494.JPG

  人はみな馴れぬ齢を生きているユリカモメ飛ぶまるき曇天
                      永田 紅


 先日、プランターに植える花を買いにいった。ホームセンターで白や黄色の金魚草を見つけた瞬間、「あっ、エルマーに出てくるキンギョソウだ!」と心が躍った。と同時に、人間っていくつになっても変わらないものだなあ、と妙に感心してしまった。
 「エルマー」というのは、子どものころに愛読したガネット作『エルマーのぼうけん』シリーズのことである。第1作では、エルマー少年がとらわれの身になったりゅうの子どもを助け、3作目『エルマーと16ぴきのりゅう』では、りゅうの両親ときょうだいたちを、エルマーとりゅうの子が洞穴から救い出す。その洞穴の入り口に生えているのが、キンギョソウなのだ。
 私は植物にたいへん疎くて、友達と散歩していても会話が植物のことになるとさっぱり分からず、「ホントに歌人なの?」とあきれられてしまう。しかし、好きな本に出てくる植物はとても印象に残っていて、その名前を見た途端に本の内容がくっきりとよみがえる。
 キンギョソウは「エルマー」だが、イチイはルーシー・ボストン作の「グリーン・ノウ」シリーズの『グリーン・ノウのお客さま』を思い出させる。中国難民の男の子「ピン」と動物園から逃げ出したゴリラ「ハンノー」との友情が描かれる一巻である。ピンがイチイの葉や実に毒があることを知り、グリーン・ノウの屋敷に生えているイチイをハンノーが食べやしないかと心配する場面では、私もはらはらしながら読んだ。イチイは、フィリパ・ピアスの『トムは真夜中の庭で』にも登場し、大切な役割を果たす樹木だ。
 カミツレ(カモミール)は『ピーター・ラビットのおはなし』だし、ヒッコリーやカエデは『大きな森の小さな家』だし、植物にまつわる記憶を追うと、自分というものは子どものころに読んだ本で出来上がっているような気がする。
 今週、誕生日を迎えた。キンギョソウを見つけて嬉しがる自分は、ほとんど小学生である。人それぞれ、本や人との出会いを重ねて「馴れぬ齢」を生きていくのだなあと思う。草花ひとつにしても人によってさまざまな思い出があるのだから、誰かと何か小さな共通点がひとつあるだけでも嬉しいことだ。本との出会いも、人との出会いも、大事にしたいと思う。
 ところでキンギョソウが「エルマー」に出てくるわけは、どうも英名 snapdragon からの連想によるらしい。同じ花を見ても、イギリスの人たちは小さな竜を思い浮かべ、日本人は金魚を思い浮かべるのである。

☆永田紅歌集『日輪』(2000年12月、砂子屋書房)
posted by まつむらゆりこ at 00:00| Comment(6) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月11日

背泳ぎ

KICX2474.JPG

  あおむけに水に浮くときひっそりと背中のまなこ開(あ)くと思えり
                      梅内美華子


 今年の夏はあまり泳がなかった。もちろん室内プールで泳ぐことがほとんどだから季節は関係ないが、やっぱり夏は何となく水が恋しくなる。オリンピックや世界水泳が開催されている時期は公営プールも活況を呈し、誰もがちょっと張り切った表情で泳いでいるのがおかしい。
 私は下手なりにまあまあ距離は泳げるのだが、実は背泳ぎだけはできない。いつか空を見ながらゆったりと水面を漂いたいものだと思いつつ、チャレンジすることなく今まできてしまった。入江陵介選手の美しいフォームを見ていると、何て優美な泳法なのだろうとうっとりしてしまう。
 背泳ぎに憧れつつ何だか怖いのは、「あおむけ」という姿勢かもしれない。水の底から何か得体の知れないものが近づいてきやしないだろうか、あるいは……。この歌は、自分が「背中のまなこ」を持っていることをさらりと詠っているところが怖い。ふだんの自分が強いて見ようとしないものを、この「背中のまなこ」は、ひそやかに見開いて凝視するのだろうか。作者は、何か世界になじめず、自分を異形のもののように感じる繊細な人ではないかと思う。この人には、こんな歌もある。

  魚のくず積まれし店裏過ぎてより体中の目の開く感じす

 込み合う通勤電車のなかでは、常に感覚をシャットダウンしていたことを思い出す。目も耳も鼻も触覚もすべて閉じ、何も感じないかのようにふるまっていた。たぶん多くの人が、文庫本や携帯音楽機器などの助けも借り、同じようにして苦痛に耐えているに違いない。。
 ひっそりと背中のまなこが開くとき、何が見えるのだろうか。

☆梅内美華子歌集『火太郎』(2003年12月、雁書館)
posted by まつむらゆりこ at 00:00| Comment(7) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年08月28日

海.JPG

  机にも膝にも木にも傷がありどこかで海とつながっている
                      江戸 雪


 知らないうちに擦り傷や打ち身をつくり、「あれっ、何でこんなところに擦り傷が……」と不思議に思うことがよくある。同性の友達にもそういう人はいて、「そうそう!」なんて相づちを打ってくれるのだが、男に言わせるとかなり「信じられない」ことらしい。空間認識というか、自分の体についての車幅感覚のようなものが足りず、なおかつ痛みに鈍感だというのは、生物として危ういかもしれない。
 ともあれ、傷というものはとても身近なものである。この歌の作者は、ふと机にも自分の膝にも、そして身近な木にも傷があることに目を留め、胸がつんと痛むような気持ちを味わった。「みんな、傷ついているのだ」という哀しみは、生きること自体の哀しみであろう。
 しかし、この歌はその発見にとどまらず、どんなものにも傷があり「どこかで海とつながっている」というところにまで思いを深めたところが魅力的だ。太古の海は生命を産み出した。命あるものは、みな傷つきながら、その生を懸命に燃焼させる。いや、そこまで考えず、一本の航跡が海を裂いていく光景と自分の痛みを重ねてみるだけでもいいのかもしれない。
 傷といえば、今年6月に刊行された『傷はぜったい消毒するな』(夏井睦著、光文社新書)はとても面白い本である。著者である医師の夏井さんは、傷を清潔な湿潤な状態に保つと治りが早いことを発見して以来、消毒やガーゼで傷口を覆うことをやめ、湿潤治療に取り組んでいるパイオニアである。
 けがしたら「消毒&ガーゼ」で乾燥させるというのが、かつての常識だった。小学校のとき、保健委員というのはけっこう花形で、休み時間にけがした人のケアをする姿はなかなかカッコよかった。オキシフルなどで傷口を消毒し、マーキュロクロムを塗り、ガーゼのばんそうこうを貼る。かんぺきだ!……だから、夏井さんを取材する前、私はまだ半信半疑だったのだが、話は非常に納得できるものだった。。傷のじゅくじゅくは化膿ではなく、細胞成長因子を含むさまざまな物質であること、いくら消毒しても傷周辺の菌をゼロにすることは不可能なこと、そして、消毒薬はヒトの細胞膜も損なうこと……。何よりも、病院に運ばれるほどひどい種々の傷が、驚くほど短期間で治っていく様子が記録された写真を見れば、湿潤療法の治療効果は明らかだった。
 夏井さんの本の面白さは、傷の治療にとどまらず、医学の常識もどんどん変わること、生物とは、生物進化とは何か、ということである。読み終わると、ちょっと世界が違って見える。この歌の「どこかで海とつながっている」という下の句に、私は夏井さんの本を思い出した。

☆江戸雪歌集『駒鳥(ロビン)』(2009年7月、砂子屋書房)
posted by まつむらゆりこ at 10:01| Comment(6) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年08月21日

樹木

KICX1801.JPG

    俺はいわゆる木ではないぞと言い張れる一本があり森が
    ざわめく               渡辺 松男


 植物の生命力は素晴らしい。トウモロコシの遺伝子を研究してノーベル賞を受賞したバーバラ・マクリントックは、非常に注意深く植物を観察し、動物とは異なる活動性に満ちていることを実感していた人だ。彼女は分子生物学が脚光を浴びた時代、若い研究者たちに、DNAの配列ばかりでなく、植物自体の姿をよく見るよう勧めたという。
 私たちはつい、植物をじっと動かぬ、変化に乏しいものだと考えがちだ。しかしマクリントックは、葉をちぎったり茎や幹に触れたりすれば、それは電気パルスを発生させることになるのであり、植物は自分を取りまく環境に対してさまざまな反応を示すのだと指摘している。
 この歌の作者は、「樹木の歌人」とも言うべき人だ。マクリントックと同じように木々を愛し、樹木をつぶさに見てきたことが歌から感じとれる。木の一本一本に個性があり、「俺はいわゆる木ではない」なんて言い張る妙なやつもいること、また不穏な森のざわめきを、この作者はちゃんと知っているのだ。

  一本の樹が瞑想を開始して倒さるるまで立ちておりたり
  瞑想中のわたしは歩く木とともに動かぬくらいゆっくりあるく
  木よおまえ逃げろよ電飾などされて見ていてもはずかしき明滅


 もう、自分が木なのか、木が自分なのか、わからないような歌の数々である。この作者が「木」という言葉を用いるときのイメージの豊かさに比べれば、自分は何とも貧しい経験しかなく、ぼんやりとしか木を捉えていない。幹の太さや木立の高さ、葉擦れの音などを実感できなければ、木の歌なんて作れないだろうな、と思う。もっともっと、謙虚にいろいろなものを見つめなければ。

☆渡辺松男歌集『寒気氾濫』(1997年12月、本阿弥書店)
posted by まつむらゆりこ at 07:58| Comment(8) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年08月14日

トウモロコシ

KICX2426.JPG

  玉蜀黍は髭の数だけ実があるという毛深きひとはやさしいという
                      大谷 榮男


 トウモロコシというのは、案外と不思議な植物である。この歌にある「髭(ひげ)」というのは、めしべの一部だそうだ。だから、めしべの一本一本が、実の一粒一粒に対応するのだ。「ひげ」は、受粉するためにあんなに長くなったというのだから、けなげに思える。
 私はこの「ひげ」と実の関係を数年前にテレビ番組で知り、「ええっ、そうなの!?」と驚いた。歌の作者も「髭の数だけ実がある」ことに感動したのだろう。そして、面白いことに、トウモロコシのふさふさのひげから「毛深きひと」を連想した。「トウモロコシって律義なんだなあ。そう言えば、毛深い人もやさしいっていうよね」
 何となくとぼけたような味わいが楽しい一首である。理屈がなく、意見や感情の押しつけがない。もしかすると、作者自身が「毛深きひと」なのかな、なんて思ってもみた。
 トウモロコシといえば、ゲノム上を動く遺伝子、トランスポゾンを思い出す。バーバラ・マクリントックという女性科学者は、1940年代にトウモロコシを使った染色体の研究をしていて、染色体のなかで、あるいは一つの染色体から別の染色体へ移動する不思議な遺伝子を発見した。まだ、DNAが遺伝物質であることが解明される前の成果であり、彼女の論文は「わけのわからない主張」として長らく学界で異端視された。1983年、彼女の画期的な発見に対してノーベル賞が贈られたとき、マクリントックは81歳になっていた。
 ゲノムとは何となく決定的で固定されたものだというイメージがあるが、実に動的でダイナミックなんだなあ、とわくわくさせられる。そして、根気よくトウモロコシの研究を続けたマクリントックの言葉を思う。「どんなトウモロコシをとっても全く同じものは一つとしてありません。みな違っています」

☆大谷榮男歌集『リカバリー』(2009年5月、角川書店)
posted by まつむらゆりこ at 07:48| Comment(6) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年08月07日

ちはやふる

KICX2443.JPG

  ちはやぶる神代もきかず龍田川からくれなゐに水くくるとは
                      在原業平朝臣


 見事にハマってしまった。マンガ「ちはやふる」である。
 タイトルは、主人公である千早の名、そして彼女が最初に覚えた一首にちなんでいる。物語は、小学六年生の千早が競技かるたに出会ったところから始まる。かるたを通して仲良しになった男の子たちとの別れを経て、高校生になった千早は競技かるた部を作ろうと画策、そして……。
 7月10日のブログで「手の不思議」について書いた際、「こんぎつね」さんがコメントに、競技かるたをテーマにした、この作品について教えてくださった。わくわくして読み始めたところ、もうなつかしさ全開で感激しっ放しだ。

KICX2440.JPG

 公式試合のとき最初に読み上げられる空札「難波津に咲くやこの花冬ごもり今を春べと咲くやこの花」がなつかしい。足の甲が畳で擦れてタコになってしまうことがなつかしい。試合では「札の配置を覚えるよりも、前の試合の配置を忘れるほうが難しい」ということもなつかしい。
 忘れていたさまざまなことを思い出す。例えば、取り札の裏に書かれた文字のこと。練習するときは同じ部屋で何組もの試合をするので、取り札がごちゃごちゃにならないように、かるた一箱ごとに札の裏には「風」「花」「月」などと筆書きされていた。自分が勢いよくはねた札がどこかへ飛んでいってしまい、「どこかに『花』の『乙女の姿しばしとどめむ』はありませんか〜〜」なんて訊ねるのは、なかなか風情のあることだった。
 「ちはやふる」第5巻では高校生クイーン(女流選手の最高位)が登場して、千早はその強さに圧倒されるのだが、実は私が高校生のとき、当時かるた王国と呼ばれた山口県に、17歳という史上最年少の高校生クイーンが本当にいた。九州大会に彼女が出場した際、会場で仲間と「あっ、あの人がクイーンだよ!」とささやき合ったときの興奮をまざまざと思い出した。
 というように思い出は尽きないのだが、競技かるたを全く知らない人にも、このマンガは絶対にお薦めである。スポーツとしてのかるたの面白さ、そして和歌の美しさが楽しめる。

☆末次由紀『ちはやふる』(2008年5月〜、講談社・現在第5巻まで刊行)


posted by まつむらゆりこ at 00:05| Comment(19) | TrackBack(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年07月31日

カルピス

KICX2422.JPG

  「カルピスが薄い」といつも汗拭きつつ父が怒りし山荘の夏
                      栗木 京子


 先日、友達の家に遊びに行ったとき、「カルピス飲まない?」と訊ねられた。彼女の差し出した紙容器を見ると、それは別のメーカーの乳酸菌飲料だった。「それはカルピスじゃないよ」と私がいうと、友達は「ええ〜、うちじゃカルピスって呼んでるけど」と戸惑っている。私はなおも「んにゃ。カルピスはカルピスであって、乳酸菌飲料の総称じゃないんだよ」と言い募った。少し、おとなげなかった。
 この歌は、山荘で過ごす夏の一日が、実に鮮やかにスケッチされている。作者の「父」は、たぶん少年期か青年期に戦争を体験した世代だと思われる。薄いカルピスは、彼に窮乏生活を思い出させたのかもしれない。あの頃どんなに自分たちは切り詰め、我慢を強いられて暮らしていたことか。もう戦争は終わった。あんな苦労は子どもたちには味わわせたくない。そこで彼は、「なんだ、このカルピス。薄すぎるぞ」と声を荒げるのである。
 カルピス社のお客様相談室のアドバイスによると、おいしい作り方は、カルピス1に対して水3〜4という配分だそうである。私の慣れている配分より、かなり濃いようだが、この濃さなら、山荘の「父」もきっと満足するに違いない。

 カルピスのギフトセットが届く夏そんな家族もつくりたかったが
                       松村由利子


 小学生だった夏、家にカルピスのギフトセットが届いた。弟はまだ幼稚園に通っていた頃だ。箱をあけると、遮光瓶に入ったカルピスが何本も詰められていた。その中の一本を小さな弟が両手で持ち上げ、ラッパ飲みするような恰好をしておどけた。父も母も大笑いした。忘れられない光景である。
 カルピスは、なぜか子ども時代の夏と濃密につながっている特別なものなのだ。一人ひとりの夏に、それぞれのカルピスの風景がある。

 向日葵が咲きカルピスがまた薄い       塩見 恵介

☆栗木京子歌集『夏のうしろ』(2003年、短歌研究社)
☆塩見恵介句集『泉こぽ』(2007年、ふらんす堂)
posted by まつむらゆりこ at 07:06| Comment(22) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は90日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。