2009年07月24日

果実

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  悲しみは一つの果実てのひらの上に熟れつつ手渡しもせず
                      寺山 修司


 南島を旅して、マンゴーをたくさん見てきた。この果物は、柑橘類とはまた違った、みっしりとした重みが特徴だ。その中身の詰まった感じの重みは、どこか赤ん坊を思わせる。
 甘い果汁を湛えた果実は、どんな種類であっても本当に美しい。けれども、種子を残すためにたくわえられた果汁であり果肉であることを考えると、果実自体が何ともけなげで悲しい存在に思えてくる。
 寺山修司の作品は、短歌を作り始める前からよく読んでいた。あざとさが鼻につく歌もあるけれど、やっぱり好きな歌人である。寺山の歌は着想が豊かで、あまりこねくり回していないところがいい。
 この歌は、「悲しみは一つの果実」という二句目まででもう出来上がっているようなものだ。三句目、四句目で淡々と情景説明をして、結句で「手渡しもせず」と着地を決めてみせるところが憎い。こういうのは、なかなか真似のできない巧さである。
 中城ふみ子の「悲しみの結実(みのり)の如き子を抱きてその重たさは限りもあらぬ」も思い出す。汗ばんだ小さな子は、果実そのもののようだ。抱いた子が寝入ってしまうと、どっと重たさが増すこともなつかしい。
 寺山は青森出身だから、この「果実」は林檎のイメージかもしれない。しかし、林檎だと硬質な感じで、「熟れつつ」という語があまり効いてこないような気がする。果皮がやわらかく傷つきやすいマンゴーを、この歌で想像してみても面白いと思う。

☆寺山修司歌集『血と麦』(1962年、白玉書房)
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2009年07月17日

晶子と民話

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  雨降れば傘して廊を通ふなり山の仙女(せんによ)になほ遠し
  われ                   与謝野晶子


 群馬県利根郡の猿ヶ京温泉は、しっとりとした佇まいの美しいところである。先日、そこを訪れたのは、財団法人「三国路 与謝野晶子紀行文学館」(http://www.sarugakyo.net/bungaku/)へ行ってみたかったからだ。
 この文学館の館長を務める持谷靖子さんは、猿ヶ京ホテルの女将でもある。「明星」や当時出版された歌集や評論集など晶子関係の資料を集め、『絵画と色彩と晶子の歌』(にっけん教育出版)などの著書をものしている。文学館には出版物のほか、晶子の書簡や直筆原稿、写真なども展示されている。
 晶子は、三国峠あたりのこの地を、1931(昭和6)年と、1939(昭和14)年の2度来訪した。「雨降れば」の歌は、1冊の独立した歌集ではなく、全集のなかの1章「沙中金簪」に入れられたものである。「法師温泉集」という連作に収められている。
 旅先でつくった、一首のあいさつ歌のようだが、持谷さんは地元の民話を聞いた晶子が、それをさりげなく取り入れたのではないかと考えている。大女伝説というのはあちこちにあるが、三国路にも、畑仕事に行くときに妻が夫をおぶって出かける、というユーモラスな話が伝わる。雨が降ってきたときに、石臼をひょいとかぶる女の話もあるそうだ。
 降り出した雨に傘をさした晶子が、ふっと力もちの「山の仙女」の話を思い出して、この歌を作った可能性を、持谷さんは楽しく空想する。「私は傘をさすしかないけれど、仙女だったら臼をかぶるのでしょうねえ。仙女になってみたいものねえ」という感じであろうか。
 持谷さん民話の保存や継承にも取り組み、三十年以上にわたり猿ヶ京ホテルで毎晩、地元の民話を語り続けている。語られる民話は古くから伝わるものだが、時には与謝野晶子が登場することもあり、ユニークな語り口である(写真は篠笛を吹く持谷さん)。晩年の晶子は各地へ招かれて旅し、乞われて歌を詠むことも多かった。興ののらないときに詠まれたものはあまりよくないが、こんなふうに旅先で聞いた民話にふと心が動いた歌は悪くない。持谷さんの話を聞いて、また晶子が身近に感じられた。
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2009年07月10日

手の不思議

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  子供はつくづくとみる 己が手のふかしぎにみ入るときながきかも
                      葛原 妙子


 手の働きというのは、不思議なものである。編み物みたいな単純な作業を繰り返していると、自分の意思とは全く別のところで手が動いているように感じることがある。脳と手の関係はどうなっているのだろう。
 先日読んだ『単純な脳、複雑な「私」』(池谷裕二著、朝日出版社)が面白かった。そのなかで特に興味をひかれたのは、「知覚」と「運動」は、独立した脳機能だということである。例えば、手を動かそうとするとき、その「欲求」よりも0・5秒くらい前には、行動の「準備」が始まっているのだが、準備から行動までは、1・0〜1・5秒くらいかかってしまう。しかし、人は実際に手を「動かす」前に、もう「動かした」と感じているというのだ。現状の把握が遅れると、いろいろな不都合が起こるので、「脳は感覚的な時間を少し前にズラして、補正している」のだと池谷さんはいう。そのことを彼は、脳が補正によって未来を知覚している、と表現している。
 この箇所を読んで、高校時代に熱中した競技かるたを思い出した。小倉百人一首の下の句の札をとりあう競技なのだが、私はこのスポーツをしているときの脳の状態がものすごく好きだった。
 前に出た歌の下の句が繰り返された後、ひと呼吸して、次の歌の上の句が吟じられる。それを待つとき、自分の脳内が「明鏡止水」という感じに静かに澄みわたる。その何ともいえない快感は忘れることができない。かるた部員たちは、よく「手が頭よりよくなる」という表現をしていた。考えるよりも先に、手の方が動いて札を取ってしまう、ということである。私もそれを何度か経験した。
 競技の間に、取り札は何度も並べ替えられる。競技者はその都度、配列を覚え直して、次に吟じられる歌に集中するのだが、あるとき私は、自分がぱーんと札をはねた途端に、「しまった、間違えた!」と思った。何で、そこへ手が行ったのか、わからなかったのだ。ところが、はねた札は正しい札だった。相手が札を並べ替えていたのを、私の「手」は把握していて、そこへ取りに行ったのである。私の「意識」は、前の配列を覚えていて「しまった!」なんて思っていたのに、「手」はちゃんとわかっていた。
 小さな子が自分の手を「つくづくとみる」。この歌の作者は、脳科学のことなどあまり考えなかっただろう。けれども、彼女は日常に潜むさまざまな「ふかしぎ」を思い、それを歌にした人である。子供に倣って、自分の手をも凝視したのではないだろうか。私もありふれた光景から「ふかしぎ」を取り出せるよう、いろいろなものを「つくづくと」見たい。

☆葛原妙子歌集『朱霊』(1970年10月、白玉書房)

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2009年06月26日

科学とわたし

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  奇妙な瓶を集めるように語彙増えて本日の瓶チロシンキナーゼ

 新聞社の科学環境部という部署にいたころ、毎日が楽しくてならなかった。私は文学部出身なので、人事異動が発表されたときは、社内で何人もの人から「科学部に行って大丈夫?」と心配された。けれども、私自身は知らない世界に足を踏み入れるのが嬉しいばかりだった。
 日々知らない言葉と出合うので、中学生のように単語帳を作り、事典や辞書で調べてはそのノートに書き込んでいた。少しずつ語彙が増えることにわくわくした。理系出身の記者の多い部署だったから、何も知らないことは大きなハンディキャップだったが、科学の世界は私を魅了した。
 そのころの気持ちを詠ったのが、この歌である。「チロシンキナーゼ」という言葉を聞いて、ぱっと「ああ、酵素ね」「たくさん種類があるんだよな」と思う人もいるだろうが、私は「チロシン? キナーゼ? そういえば、昔はチロっていう犬の名前が多かったけど、いまは全然いないよねえ」なんて思いながら、キャンディをなめるように、その言葉を舌の上でころがした。
 「ミオシンって、かわいい感じ」「ヌクレオチドって、何度聞いても『落ち度』を思っちゃう」……知らない言葉が自分の語彙として増えるのは、奇妙な形をした瓶を集めているようなことだった。
 6月末、さまざまな科学の分野を詠った短歌を紹介したエッセイ集『31文字のなかの科学』(NTT出版)が刊行される。科学記者として取材した日々の思い出も、いくつか書いた。たくさんの歌人が捉えた科学の世界を、楽しんでもらえたら嬉しい。

☆松村由利子歌集『薄荷色の朝に』(1998年、短歌研究社)

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2009年06月19日

ことわり

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  さむきこと女(をみな)はきらふことわりの奥のおくまできかせ
  給ふな                与謝野晶子


 説教されるのがきらいである。正しい論理を諄々と説かれていると、「みなまで言うな!」と言いたくなってしまう。正論をきっちり最後まで言い聞かせるという癖は、どうも男に多いように思う。
 この歌を読み、晶子も「みなまで言うな!」みたいに思うことがあったのだな、と可笑しくなった。言われなくても、物事の「ことわり」については自分もわかっている。「奥のおくまで」聞かせるというのは、味気ないことである。それを「さむきこと」と表現したのだろう。
 与謝野晶子は、科学への関心が高く、合理性や論理を重んじた。女性が感情に流れやすいことを戒めたり、若い人に理数系への進学を勧めたりする文章もいくつか書いている。しかし、理が勝ちすぎることは決して好まなかったのだろう。情理をほどよく備えた人だったのだと思う。
 絢爛で浪漫的な『みだれ髪』ばかりが晶子の世界ではない。「ことわりの奥のおくまで」言い含める男性に、ちょっと抗議したいような気持ちを表現したこの歌は、晶子の性格や茶目っ気が感じられる面白い一首である。そして、自らを「女」と表現したところを見ると、「きかせ給ふな」と言っている「男」代表は、夫の鉄幹だったのではないか。鉄幹も、妻に対して言わずもがなのことをしつこく言って聞かせる、普通の男だったのかな、と思うと愉快でならない。

☆与謝野晶子歌集『佐保姫』(1909年)

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2009年06月12日

教える

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  かく言はば子ら一せいに笑はむとはかりごと立て廊下を曲る
                    馬場あき子


 縁あって、先月末から都内の大学で少人数のクラスに授業をしている。文章を書くことをテーマにした全4回の短期講座である。
 90分の授業は長い。せっかく準備していたことを言い忘れたり、駆け足になってしまったり、本当にむずかしい。でも、思わぬところでみんなが笑ってくれたりすると、なんだか大きな手柄をたてたような、嬉しく誇らしい気持ちになってしまう。
 この歌は、何度読んでも楽しくなる。作者が教職にあった若いころの作品で、弾むような気持ちがあふれている。「澄ました顔をしてこんなことを言ったら、あの子たち、さぞ大笑いするでしょうね!」と、自らもくすくすと笑い出したいような気持ちで歩いている教師の姿が生き生きと描かれている。
 「はかりごと」という、少し大げさな言葉選びが笑いを誘う。「一せいに」は、単なる大笑いではなく、「わっ」とはじけるような感じが表れている。そして、結句の「廊下を曲る」もたいへんに効いている。作者がじっと考え事をしているのではなく、廊下を歩きながら「はかりごと」をしているところに、明るさと躍動感がある。子どもというか人間が大好きな、すこやかな作者像が伝わってくる。
 中高一貫校で教えている親しい友人に、大学の授業が始まる前に「もう準備が大変なんだ!」と言うと、「授業は自分も楽しむことが大事よ」と言われた。その教えに従って、あれこれと準備していくのだが、笑わせようと思ったところではしーんとしていて、全く予期せぬところで爆笑が起こったりする。いろいろ意見を述べてもらうと、私自身が気づかなかったことを指摘されたりもして、とても面白い。教えることは、教わるということでもあるんだなあ、としみじみ思う。
 やっと授業が楽しくなってきたのだが、来週が早くも最終回なのであった。

☆馬場あき子歌集『早笛』(1955年、まひる野会)

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2009年06月05日

数式

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  美(いつ)くしき
  数式があまたならびたり。
  その尊とさになみだ滲みぬ。
                 石原 純


 数学の問題を解く楽しさを何といったらよいのだろう。必ず正解が見つかる、という単純なことではなかったように思う。試行錯誤し、絡まった糸を解きほぐすように道筋をたどろうとするプロセス、そして解にたどりつけるかもしれないという微かな予感が確信へと変わるときの喜びは忘れられない。
 この歌の作者は、東京大学理学部で理論物理学を専攻した人である。「アララギ」の創刊に参加し、同人となった。ドイツとスイスに留学した後、帝国学士院恩賜賞を受賞するなど、研究者として嘱望されていたが、結婚していながら歌人、原阿佐緒と恋愛したことで大学を辞め、研究生活から離れてしまった。
 この歌がつくられた1917(大正6)年は、理学博士になって間もないころで、研究に対する情熱が最も高かったころと思われる。「学究」と題されたなかの一連「研究室にて」の一首である。数式が美しい、と感じる境地というのは、本当に選ばれた人だけが感得できるものではないだろうか。しかも、作者は「その尊さ」に涙ぐみさえする。これまでに先人たちがどれほど苦労して、この数式を見つけ出したかと、思うと自らの研究の苦労とも重なるのだろう。
 小川洋子の『博士の愛した数式』は、美しい数の世界と、この世に生きるかなしみを絡めた稀有な小説である。単行本として出版された2004年、私は仕事に忙殺されていて読む余裕がなかった。会社を辞めて、やっと読んだ。泣いた。これ以上好きな小説はないのではないかと思うくらい心を揺さぶられたのは、主人公が小さな男の子を一人で育てているという設定によるところも大きかったと思う。
 先日、母から「『博士の愛した数式』の英訳本を見つけたわよ!」という電話をもらい、さっそく取り寄せた。端正な小川洋子の文章は、英語になってもきわやかである。全編が散文詩のような彼女の小説は、あまり速く読んではいけないから、英語でじわじわ読むのがとても楽しい。
 しかし、この英語のタイトルが "The Housekeeper and the Professor"というのは、何とかならないか。谷崎潤一郎の『細雪』が "The Makioka Sisters"になっているのも違和感があるが、あれは "Powder Snow" などとすると、明るく楽しいスキー場みたいな感じになってしまうそうだから仕方ない。けれども、"The Housekeeper and the Professor"だと、「おっ、恋愛小説?」みたいに思って読み始める人も少なくないだろう。全然、違うんだよ!と一人で身もだえする私である。

☆石原純歌集『靉日』(1922年、アルス)

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2009年05月29日

津田梅子

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  津田梅子小さくまるき手の人と評伝読めば胸の痛かり
                     松村由利子


 明治の女性は偉かったなあ、と折々に思う。男女雇用機会均等法なんてなかった遥か昔に、高い志と情熱をもって先駆的な仕事に挑んだ。津田梅子も、その一人である。
 『与謝野晶子』を書き終えてほっとした2月、たまたま読んだ『津田梅子』(古木宜志子著、清水書院)がとても面白かったので、次々に別の評伝も読んだ。いずれもタイトルは『津田梅子』で、著者は山崎孝子(吉川弘文館)、大庭みな子(朝日文庫)である。
 1871(明治4)年、まだ6歳の梅子が、他の4人の少女と共に、日本政府による最初の女子留学生として船に乗り込んだことを思うと、それだけで胸がいっぱいになる。帰国したのは1882年、18歳になってからであった。いまの時代でさえ帰国子女は、カルチャーショックや言葉の問題に悩むのだから、自由な教育を受けた梅子が故国で大きな戸惑いを感じたのは当然だろう。
 5人の少女たちのうち、年長だった14歳の2人は1年足らずで帰国してしまった。梅子の生涯の友となる山川捨松、永井繁子は、帰国して間もなく結婚する。「日本の女性の地位を高めるために、一緒に学校をつくりましょう」と言い合っていた親友たちの結婚は、梅子に孤独感を味わわせたに違いない。そして、政府は帰国した女子留学生たちに対して特に仕事や役職を与えず、梅子たちは居場所がないように感じたという。
 華族女学校での勤務や二度目の留学を経て、梅子が女子英学塾を開いたのは1900(明治33)年だった(与謝野晶子が『みだれ髪』を出版したのは翌年だ!)。
 さまざまな困難を乗り越えて、日本女性の地位向上に尽力した梅子を思うと、現代に生きる自分たちはまだまだ努力が足りないと恥ずかしくなる。そして、波乱に満ちた生涯を生きた梅子が、小柄で手も小さかったことを読むと、何とも言えずいとおしくてたまらなくなるのである。

☆「かりん」2009年4月号

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2009年05月08日

ことば

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  可愛き名のデイジーカッターずたずたに大地を壊すために
  投下さる                 栗木 京子


 ひなぎくは、明治の初期に日本に入ってきた植物である。子どものころ、アンデルセンの童話や、エリナー・ファージョンの『ひなぎく野のマーティン・ピピン』などを読み、中心に小さな太陽をいただいたような愛らしい花がとても好きになった。
 それなのに、ここ数年はひなぎくを見るたびに、「デイジーカッター」と通称される爆弾を思い出して憂うつな気持ちになってしまう。地表の構造物をすべてなぎ払うように吹き飛ばす爆弾のことをこんなふうに名づけるなんて、本当に残酷なことだ。
 小児科医、細谷亮太さんの著書『生きるために、一句』(講談社)を読んでいたら、「秋晴れて塔にはさはるものもなし」という子規の句を、同時多発テロを連想することなしには読めなくなってしまったことが書いてあった。「私たちは大切なものをたくさん失くしました」という言葉に、深く共感した。
 私もずっと、俵万智さんの「チューリップの花咲くような明るさであなた私を拉致せよ二月」という歌が大好きだったのだが、拉致問題が顕在化してからは楽しめなくなった。下の句の「いっそ、どこか遠くへ私を連れ去ってちょうだいよ」という若々しくお茶目な明るさは、もう味わえない。この歌が発表された当時は、まだ拉致問題が一部でしか取り上げられていなかったことを思うと、これはこれで仕方のないことなのだろうと思う。
 ことばのイメージや語感は時代とともに、変わり続ける。「言葉を大切に」なんていっても、自分ひとりではどうすることもできない。この歌は、強大な破壊力をもつ爆弾にふさわしくない愛らしい名が付けられていることへの憤りが詠われたものだろう。また、雑草扱いされるデイジーを、人々や家や町に喩えた酷さをも悲しむ歌だと思う。「ずたずたに」されたものの何と多いことだろう。

☆栗木京子歌集『夏のうしろ』(角川書店、2003年7月)

おしらせ
今月20日、津田塾大学で「歌と晶子と新聞記事」と題する講演をします。ご興味のある方は、どうぞいらしてください。
http://twc.tsuda.ac.jp/info/200904/20090429000000027.html
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2009年05月01日

折る

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  空色の折り紙でなに折りましょう<折る>は<祈る>に
  通ずるような               桜井 園子


 読み終えて、心がしんみりする歌がある。この歌もそんな一首である。
 折ったり畳んだりする心地よさを思う。ぴったりと端を揃えて、折り目をつける。人の心はそんなふうにきっちりと折り畳めないから、よけいに折り紙は気持ちいい。丁寧に折ることで、自分の心もきちんと折り畳まれるような気がする。折り紙を折るとき、急いではいけない。急ぐと必ず出来上がりに影響してしまうから。
 千羽鶴を折るのは、快癒を祈ることである。小さな鶴だけれども、折るには時間がかかる。その時間は、特定の一人を思って費やされる。祈るということは、ある人を思って時間を費やすことではないだろうか。
 折り紙やさまざまな手仕事だけでなく、人間のすることには時間がかかる。それは本来、貨幣には換算できるものではない。『グローバル定常型社会』(広井良典著、岩波書店)を読んでいて、消費構造の変化について書かれた箇所にひかれた。人間の消費する対象は、物質からエネルギー、さらに情報へと変化してきたが、今また新しい方向性が顕在化している。それが「時間の消費」だというのだ。
 「時間を過ごすこと」、それ自体に充足や喜びを感じるものは、貨幣には換算できない。人々はだんだん「時間」こそが大切なものだと考えるようになってきたのかもしれない。
 あまりに長い労働時間は、家族を形成し、楽しく過ごすという、一番大切な時間を侵食する。子供の小さいころは二度と戻ってこない。夫婦の語らいも、そのときそのとき重ねていかなければ、長い年月をともにするうえで熟成させることが難しい。
 「空色の折り紙」の歌は、「折」「祈」という漢字が似ていることだけに着目した歌ではないと思う。小さな折り紙で何かを折ること、それは誰かのために時間を費やす喜びだと作者は考えているのではないか。読むと何ともいえず気持ちが明るくなる。五月の空のようにさわやかな一首である。

☆桜井園子歌集『笑い仏』(角川書店、2009年4月)

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2009年04月24日

苺、馬、鬱…

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  母の字に草を生やして真赤なる春の苺は母の香のする
                        齋藤 哲子


 「苺」という漢字の中に「母」があることを興味深く思ってつくられた機知の歌である。
 歌というものはいろいろな楽しみ方があって、切なくなるような共感を覚えるのもいいし、言葉だけで構築された世界のイメージを楽しんだり、言葉の響きそのものを面白がったりするのもいい。そして、自分でも作ってみたいのに作れないのが、漢字を素材にした歌である。

  <馬>といふ漢字を習ひみづからの馬に与ふるよんほんの脚
                      大口 玲子

  人あまた乗り合ふ夕べのエレヴェーター桝目の中の鬱の字
  ほどに                香川 ヒサ


 「馬」の字の歌は、作者が日本語教師として外国人に漢字を教えている場面である。初めて漢字を教わった感激なんて、たいていの場合は忘れてしまうのだが、この作者は四つの点を打ちながら「あらま、これって四本の脚だわ」と嬉しくなっているようで、読む方も楽しくなる。「鬱」の字の歌は、ぎゅう詰めのエレベーターの様子がまざまざと浮かぶ。正方形の床の上のエレベーターだから「桝目の中」とぴったりなのであり、長方形の電車の車両だと「桝目」にならないのだ。どちらも本当にうまい。
 短歌をつくっていると、時々「作中の人物=私」のように思われてうんざりする。自分を戯画化して「職場で空回りしているカワイソーな中年女性像」を描いてみたのに、「松村さんって、こんな人なんだ」と思われたりするのだから困ってしまう。短歌における「私」の問題というのは、実に厄介だ。
 もう金輪際、紛らわしい人物が出てくる歌なんぞ作らず、こんなふうな楽しい機知の歌に徹しようかと思ったりもする。どんな歌をつくっても、そこには必ず「私」が表れるものだから、それを否定しようとは思わないが、何だか息苦しいときもある。

☆齋藤哲子歌集『花とヒマラヤ』(本阿弥書店、2009年2月)

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2009年04月10日

桜餅

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  わが妻に永き青春桜餅
                 沢木 欣一


 さくさく、ふわふわ、もちもち、ぱりぱり、ほくほく……。いろいろなおいしさがあるけれど、ことお菓子に関しては、私は「もちもち」派である。羽二重餅、安倍川餅、柚子餅などのほか、くるみゆべし、すあまも、このグループに入る。
 福岡出身の私にとって、桜餅も「もちもち」メンバーの筆頭だったのだが、東京へ来て驚いた。「これは桜餅じゃない!」。こしあんをクレープのような小麦粉の皮で包んだのが、東京の桜餅という。「だけど、もちもちしていないじゃない……」。粒あんを道明寺粉を蒸したものでくるんだ、わが桜餅は、「道明寺」と何やらしんきくさい名前が付けられているのであった。
 もちもちした桜餅は西の方、クレープ包みは東の方の桜餅だそうだ。これがどの辺で分かれるのか、やはり関が原というかフォッサマグナのあたりなのか、大いに気になるところだ。
 最近、スーパーで両方を同じ数ずつ入れたパックを発見した。東男と京女のようなカップルのために考案されているのかな、などと面白く思った。2タイプの桜餅があることが知られるようになり、東の方のタイプは「長明寺」とも呼ばれるらしい(おあいこである)。
 この句の「桜餅」は、どちらのタイプだろう。残念ながら道明寺ではなく、長明寺に軍配が上がるように思う。「わが妻」は、いつまでも少女らしさを失わない夢見がちな女性と読んだ。きれいなもの、愛らしいもの、またロマンティックな小説などが大好きな妻を、作者は時にからかいながらもいとおしく思っているのだろう。「永き青春」は、ほんのりしたピンクのブラウスをまとったような長明寺にこそ相応しい。

☆沢木欣一句集『塩田』(風発行所、1956年)
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2009年04月03日

文旦

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  文旦はどすんとしづか わらふやうな月でてうろたへ者よと
わらふ                   黒木三千代


 試験前にミステリが読みたくなったり、仕事に追われているときに部屋の片付けをしたくなったり、というのが人間の性である。そういうわけで、締め切りの迫った原稿があるにもかかわらず、文旦のマーマレードなんぞ作ってしまった。
 友人から立派な文旦が4個も送られてきたのである。「こんな素晴らしい文旦の皮を捨てるわけにはいかん!」と俄然はりきった。千切りにした皮と果肉をとろとろと煮詰めながら、「あー、締め切りが〜〜」などと嘆いていたのだが、ふと与謝野晶子のことを思った。
 彼女はものすごく忙しい日々のなか、よく子どもたちのために小豆を煮ておはぎを作ったり、おだんごを丸めたりした。編み物も好きで、マフラーのはじっこにポンポンを付けるときは特に楽しそうだったという。
 子ども思いの母親だったのはもちろんだが、手仕事が好きな人だったのだろう。そして、もしかすると「ああっ、歌ができない!」「原稿が書けない!」なんて(私のように)頭をかきむしり、やおら小豆を煮始めたりしたこともあったかもしれない。そう考えると、ますます晶子のことが身近に感じられて嬉しくなる。
 文旦はザボンの一種で、2月から3月にかけてが食べごろという。「わらふやうな月」は春の月なのである。「どすんとしづか」の明るさが、ほっとりと暖かい。
 文旦マーマレードは、初めてにしてはまずまずうまく出来た。ジャムやマーマレードといったものは、手順通り、まじめに手をかけて作れば美味しくできるのがいい。恋や子育てはそうはいかない。

☆黒木三千代歌集『クウェート』(本阿弥書店、1995年)
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2009年03月27日

ロシア

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  亡霊のごと遠ざけてゐたるかなけはしく暗きロシアの小説
                       伊藤 一彦

 
「ロシアの小説」と聞くと、まず重厚長大というイメージが思い浮かぶ。この歌の「けはしく暗き」という語そのものである。しかし、実際に読んでみると、案外と登場人物たちはよく食べ、よく飲み、決して悩んでばかりいるのではない。
 そんなことを考えたのも、『ロシア文学の食卓』(沼野恭子著、NHKブックス)が面白かったからだ。ドストエフスキー『罪と罰』に出てくるロシア古来のスープ「シチー」、ゴーゴリ『死せる魂』のピロシキ、トゥルゲーネフ『猟人日記』のサモワールで淹れられるお茶……ロシアに限らず、外国の小説を読む楽しみの一つは、知らない風土、知らない食べものが出てくることだ。さまざまな食事のシーンは、人々の暮らしや思いをとても親しみのあるものに感じさせてくれる。
 『ロシア文学の食卓』で嬉しかったのは、「はじめに」のところで谷崎潤一郎の『細雪』が登場することである。
 『細雪』はいつ読んでも面白い。初めて読んだときは四人姉妹の末っ子である妙子よりも若かったが、読み返すごとに姉妹の上のほうに近づく。今は長姉の鶴子さえも追い越してしまっているであろうことを思うと、ちょっとおののくものがあるが(何しろ、ぱらぱら頁をめくると「五十歳以上の老人」なんていう言葉が見つかるのだ……)、それはそれとして、『細雪』には妙子たちが知人である白系ロシア人のキリレンコ一家に招かれる場面が出てくる。
 その食べきれないほど豪勢な食事風景と対比される形で、隣に住むドイツ人のシュトルツ一家の質実な台所風景も描写されているのは、谷崎の鋭い観察眼によるものだろう。そして著者、沼野さんは、この描写がロシア人とドイツ人の国民性の違いだけでなく、自由奔放に生きる四女、妙子と、堅実でまじめな次女、幸子の性格の違いとも重なり合っていることを指摘する。
 「亡霊のごと」ではないが、私もロシア文学を敬遠していたかもしれない。『細雪』には、幸子の夫がキリレンコ家で「トルストイ、ドストイェフスキー、日本の人は皆読みます」なんて話す場面もある。何から読んでみようか、文庫版の新訳を試すのもよさそうだな、と楽しみに思う。

☆伊藤一彦歌集『青の風土記』(雁書館、1987年)

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2009年03月20日

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  さくら花幾春かけて老いゆかん身に水流の音ひびくなり
                       馬場あき子


 「人生五十年」という言葉について考える。「平均寿命が短かった時代のこと。まだまだ若い気分でいなくちゃ」−−そう安閑としていてよいのかな、と思うのだ。
 この歌は、作者が四十七歳のときにつくられた。その年齢を越えた私としては、自分が何をしてきたのか、これから何をすべきなのか、あれこれと考えてしまう。
 名歌として親しまれてきたこの歌について、私は長らく「老いゆかん」という言葉を他人事のように感じ、「水流の音」を清冽ではあるが寂しいものとして想像していた。しかし、ふと思った。年ごとに巡る春の何と美しいことだろう。桜は毎年、花を咲かせながら老いてゆくのだから、それに倣って自分もまた年齢を重ねるほどに花を咲かせるよう努力すべきではないか、と。
 若いときには、自分も周りも騒がしくざわめき、慌ただしい。自分の身体の奥深く流れる「水流の音」なんぞに聴き入る余裕はない。けれども、ある一定の年齢に達したとき、ざわめきから離れて耳を澄ませることができる。本当に大事にしたいこと、本当に心を傾けたいこと。それに気づくのが「老いる」ということであれば、何と嬉しいものだろう。
 肉体は衰える。けれども、「水流の音」という言葉は自らにあふれる豊かな蓄積を思わせる。春が巡る度に花を咲かせる木々の営みを思えば、人もまた同じようにたっぷりと咲かせることができるはずだ。「これから老いに向かうわよ!」−−この歌に、作者のはつらつとした笑顔と満開の桜が重なるような、そんな新しいイメージを抱く。郷里の福岡では、もう桜が咲き始めた。

☆馬場あき子歌集『桜花伝承』(牧羊社、1977年3月)

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2009年03月06日

リトル・アリョーヒンと定常型社会

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 引き寄せて心にしみる手ざわりのすべやかに春を宿す碁の石
                       馬場あき子


 小川洋子の『猫を抱いて象と泳ぐ』(文藝春秋)は、チェスが大きなモチーフとなっている。私はチェスにはなじみがなく、駒が黒と白に分かれているところは囲碁に、駒の動き方が種類によって異なるのは将棋に似ているなあ、なんて思うくらい、何も知らない。けれども、この小説には心を揺り動かされた。
 主人公の「リトル・アリョーヒン」は、大きくなることを恐れていた。大人になっても体は小さいままだった。彼は、胎内回帰願望や生まれてきたことへの悲しみから成長するのを忌避したのではない。物語の始めから彼の母親が登場しないことは、多分それを裏付けている。
(読んでいない方は、ここから読まないでくださいね)
 大きくなって屋上から降りられなくなった象、壁と壁の間で身動きがとれなくなってしまった少女、廃棄されたバスの車両に住み、そこから出られなくなるほど肥満してしまったマスター……。リトル・アリョーヒンの愛するものたちは、みな大きくなることで悲しい最期を迎える。”大きくなること、それは悲劇である”と十一歳の少年は思う。
 詩のように美しい、この物語を読みながら、作者はいったいどんなメッセージを伝えたかったのだろうと考えた。そして、先日読んだ『グローバル定常型社会』(広井良典著、岩波書店)を思い出した。いま世界は、経済が成長し続けるというモデルではうまく行かなくなっている。広井は、人類史的に見ると、これまでにも「定常」的な状態が保たれた時期は何度かあり、これから迎えようとする定常型社会は決して人類が初めて出合うような状況ではないと指摘する。拡大、成長することが常に善ではないのだ。
 物語をこんなふうに読むのはヘンなことかもしれない。けれども、チェス盤という小さな盤上(盤下)で繰り広げられる無限の美しく、豊かな世界について読むうちに、私は作者が、人はそれぞれの盤においてつつましく、こころ豊かに生きればよい、と語っているような気がした。

☆馬場あき子歌集『桜花伝承』(1977年)

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2009年02月27日

受験

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  千人の十二歳の解く算数の鉛筆の音が冬空を圧す
                       森尻 理恵


 受験シーズンも終わりに近づいた。中学受験も大学受験も、それぞれの大変さがある。人生のいくつもの岐路において、常に満足できる結果が得られた人などいない。多かれ少なかれ、たいていの人が悔しさや苦い思いを味わうものだ。
 この歌は「十二歳」が効いている。もちろん名門小学校の受験もあるだろうが、それは親の出番でもある。中学受験は、子どもがひとりで挑戦する最初の関門といってよい。まだ表情にも体つきにも幼さの残る十二歳の子どもたちが「千人」そろって、算数の試験問題に取り組むさまには圧倒される。
 国語だったら問題文を熟読する時間がある程度必要だが、算数の場合はどんどん解いていかなければ時間が足りなくなってしまう。さらさらと途切れることなく続く「鉛筆の音」に着目した作者の感覚が素晴らしい。息詰まるような試験会場の「鉛筆の音」は、冬空と同時に親たちの心をも「圧す」のだろう。
 私自身は、中学受験なんて縁のない小学生だった。そして高校時代はクラブ活動に明け暮れたので、大学受験の結果は全滅に近かった。人はよくおとなになってからも試験の夢を見るというが、私は全く見ない。その代わり、演奏会直前になって楽譜を渡され「ひえ〜、ソロがあるのに全然練習してないじゃん」と焦る夢はよく見る。そんな私にも、この歌の「鉛筆の音」はひしひしと迫ってくる。
 結果がどうであれ、受験を終えた子どもたちが心新たに春を迎えられますように。 

☆森尻理恵歌集『S坂』(本阿弥書店、2008年11月)

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2009年02月13日

与謝野晶子

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  果てしなく会社が遠い朝もある晶子の憂鬱かの子の恋着

 この歌を作ったのは、もう14、15年も前のことだ。「仕事は好きなんだけれど、いろいろ悩みもあるんだよ」というような、ある気分を詠ったもので、さほど意味を込めた歌ではない。若かったんだな、と思う。そして、この歌を詠んだときには、自分が晶子の本を出版するなんてことは思ってもみなかった。
 今月、中央公論新社から『与謝野晶子』という本を上梓した。私にとって、歌集でもエッセイ集でもない、初めての本である。自分が関心を抱いた晶子の側面を追い、同じように面白がってくれる人がいるといいな、と考えて書いた。晶子研究に携わっている人には物足りない面、また瑣末なことを調べたという印象もあると思う。新聞記者時代に取材して思い入れのある部分は、晶子と関係ない事柄としては長く書きすぎたかもしれない。それもこれも含めて、批判を待つしかない。
 晶子のような高峰に自分が挑むのは無謀にも思われたが、「ここに、こんなきれいな渓流が!」「この珍しい花は、ここの湿地にしか咲かないんですよ」と、小さいながらも魅力的な発見ができれば、と考えて取り組んだ。途中、何度も下山しかかったが、何とか登頂を果たせて嬉しい。
 今後いろいろお叱りやご指摘を受けると思うが、その一つひとつを生かし、晶子という比類なき山脈に繰り返し挑みたいと思う。

☆松村由利子歌集『薄荷色の朝に』(短歌研究社、1998年12月)

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2009年02月06日

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  氷結し川が言葉を失くすとき橋はようやく語り始める
                     樋口 智子


 ぐんと寒くなった。日中の陽光は春を感じさせる明るさだが、日が落ちると大気がぴんと張り詰める。私の住んでいる千葉は、全国的に見れば暖かい方なのだろう。郷里の福岡は日本海側だから冬は曇天が多く、もっと寒かったような気がする。
 九州育ちの私は北方への憧れがあって、新聞社に入るときには「東北か、北海道の支局がいいなあ」と思っていた。しかし、私の入社したころはまだ女性記者が少なかったため、女性は首都圏の支局にしか配属されず、温暖な千葉へ赴任することになったのだった。
 この歌の作者は北海道生まれで、現在も札幌市内に住んでいる。伸びやかで素直な抒情がとてもいい。そして、北海道ならではの自然を詠うとき、その歌はさらに大どかにゆったりとした表情を見せる。
 川が氷結する風景を、私はまだ見たことがない。歌の作者は、ふだん橋を渡るとき、せせらぎを意識したことがなかったのだろう。しんと静まり返った風景に、はっとした気持ちが伝わってくる。そして次の瞬間、作者の耳には、深いところから響いてくる橋の声が聞こえたのである。橋はいったい、どんな物語を聞かせてくれたのだろうか。川と人間、橋と人間、そして橋と川の関係をいろいろに想像できる広がりが楽しい。
 昨年末に出版された『つきさっぷ』は作者の第一歌集である。

  軒下につらら連なる晴天にあまねく響け冬の鉄琴
  鉄棒がひりひり寒い掴まればぐんと近づく真冬の銀河

 私には冬の歌が特に印象的だった。はつらつとした若々しさと繊細さが、気持ちのよいバランスで溶け合っている。

☆樋口智子歌集『つきさっぷ』(本阿弥書店、2008年12月)

*長い間ブログを休みました。たくさんの方から心配してくださるコメントや励ましのコメントをいただき、感激するばかりです。本当にありがとうございました!
 もう2月になってしまいましたが、どうぞ今年もよろしくお願いします。

posted by まつむらゆりこ at 09:20| Comment(17) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年11月28日

お休みします

年末にかけて、仕事がかなり忙しいため、しばらくの間ブログ更新を休みます。
いつも楽しみにしてくださっている皆さん、ごめんなさい。
かなり、いっぱいいっぱい、という感じなのです。
これから1カ月余りを正念場と思って頑張ります。
それではまた!
posted by まつむらゆりこ at 10:03| Comment(7) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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