
缶詰の中の<無音>を開けむとす入道雲の立ちあがる朝
栗木 京子
「とりあえず、ツナ缶があれば」。先日、知人宅で知りあったばかりの青年が何度もそう繰り返すのが可笑しくて、大笑いした。確かに、豆腐や卵、野菜などを炒めるチャンプルーを作るにも、アーサ(アオサ)のおつゆを作るにも、ツナの缶詰は大活躍だ。ツナ缶が常備されていれば、心強いことこの上ない。
ツナ缶の消費量が全国一多いのは、沖縄県である。「ポーク」と称するランチョンミートの缶詰も沖縄ではよく使われるが、どちらも戦後、アメリカの食文化が入ってきたことで普及したという。高温多湿の沖縄の夏は、食べものが傷みやすい。朝、鍋に火を入れたからと安心していると、夕方には腐敗臭がしていたりする。台風が近づいてくると、パンやおにぎりのほか、カップラーメンなどの保存食が必需品となる。火を使わずに食べられる缶詰類も必須アイテムだから、ポークやツナの缶詰がたちまち沖縄の食生活になじんだのも不思議ではない。
それにしても、沖縄のお年寄りたちはツナのことを「トゥーナー」と発音するそうだ。「ビーチパーティー」を「ビーチパーリー」、「ウォーター」は「ワーラー」と米国式の発音で覚えているというのが、何とも物悲しいのであった。
――というわけで、沖縄とツナ缶は切っても切り離せないものである。私も何となく、島のスーパーにおけるツナ缶の種類の多さを感じてはいたのだが、徐々にその存在感に影響されていたらしい。先日ついに、初めての「箱買い」をしてしまった。
12缶入りの箱は、沖縄県内でしか販売されていないらしい。こちらに来て初めて見た。それほど大きな箱ではなく、大きめのノートパソコンみたいな感じである。それを抱えてスーパーを出たとき、「ああ、私、けっこう島になじんだかも!」という感慨が湧いてきた。
この歌は、缶詰という密封された小さな空間の闇や静けさを想像させるところが素晴らしい。日常の視点から離れ、全く違う角度と高さから世界を見せてくれるような機智に魅せられる。自分もこういう歌で人を楽しませることができたらなぁ、と思う。まださすがに「入道雲」は現れていないが、南島には早くもツツジが咲きだした。
☆栗木京子歌集『夏のうしろ』(短歌研究社、2003年7月)