2010年12月31日

今年を振り返る

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  し残せる事の幾つか思ひつつ湯舟にて聞く除夜の鐘の音
                        神作 光一


 激動の2010年が終わる。万感こもごもの歳晩である。
 今年の私のトピックスは、
@沖縄・石垣島に引っ越した
A9月からツイッターを始めた
B第三歌集『大女伝説』を上梓した
――の3つだろうか。
 「し残せる事」は本当にたくさんあって、自分が怠け者であることを反省するばかりなのだが、それは来年の目標ができたということでもある。今年の自分よりも、少しでも進歩できるように努力を重ねようと思う。
 番外編のトピックスとしては、西日本新聞の書評委員になったことだろうか。これは本当に楽しい仕事で、それを理由にいつも以上に新刊をたくさん買ってしまった。

 私のお薦めは……
・科学       近藤宣昭『冬眠の謎を解く』(岩波新書)
           柘植あづみ『妊娠を考える』(NTT出版)
・メディア論    佐々木俊尚『電子書籍の衝撃』(ディスカバー携書)
・小説       池上永一『テンペスト』(角川文庫・全4巻)
・哲学・思想    高橋哲哉『殉教と殉国と信仰と』(白澤社)
・ノンフィクション 関千枝子『広島第二県女二年西組』(ちくま文庫)
           斎藤友佳理『ユカリューシャ』(文春文庫)

 新刊をわさわさ読んだ割には文庫が多いが、人にも本にも出会うタイミングというものがある。
 今年は親しい人やかつての同僚が若くして亡くなり、死というものを改めて考えた年でもあった。「いつか〜〜しよう」と先延ばしにするのはやめようと思う。会いたい人には会いに行き、やりたいことには挑戦したい。人生において「し残せる事」は少ない方がいい。

 ☆神作光一歌集『冴え返る日』(2001年、短歌新聞社)
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2010年12月24日

聖誕祭

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  街は聖誕祭(ノエル)のさざめきなりき予感なく君が言葉を受け      とめし日も                     今野 寿美

 さわがしく街に流れるクリスマスソングに、へきえきしつつ、やっぱりクリスマスが好きだ。人々が喜びを分かち合い、大いなる存在に感謝を捧げるのが、クリスマスという季節の幸せだと思う。
 子どものころ、クリスマスの朝プレゼントを置いてくれるのが両親だと知ってはいたが、それは目に見えるものを信じないということにはならなかった。幼い一時期「サンタクロース」を信じる経験をした子どもは、心のどこかに見えないものを信じるスペースを抱くようになる、という松岡享子『サンタクロースの部屋』(こぐま社)は、とても好きな本である。
 だから、小さな息子に「サンタさん、何をもってきてくれるかな?」と訊ね、彼が首をぶんぶんと横に振って「いや、ママがいいの。ママがちょうだい」と言ったときには、何とも言えない気分を味わった。あれは、私からの愛情に飢えていたのかな、と今も思い出すと胸がきゅっと詰まるような気がする。
 最近はクリスマス本来の意味を知らない若者もいるそうだ。「え、クリスマスってキリスト教と関係あるの? それって宗教じゃん、いやーん」と言っている女子高生がいたとか……。
 この歌では、クリスマスを「聖誕祭」と意味が分かるように表記し、ルビに「ノエル」とふっていることで、聖なるイメージ、静かな雰囲気を出している。華やかな街のさざめきに心を奪われていた若い女性が、思いがけなく愛の告白を受けた驚きと喜びがとても清らかに感じられるのは、初句が「クリスマス」でなく「聖誕祭」だからだと思う。「予感なき」「受けとめし」には、まるで大天使からみごもりを告げられたマリアのような、慎ましさと幸福感があふれている。

 ☆今野寿美歌集『花絆』(1981年4月、大和書房)
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2010年12月17日

天文台

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  胸に庭もつ人とゆくきんぽうげきらきらひらく天文台を
                        佐藤 弓生


 「天文台」という言葉を最初に知ったのは、小学校低学年のころである。学校で見ていた教育テレビの番組のテーマ曲に出てきて、その弾むような感じが好きだった。 
 ♪ 山のてっぺん 天文台 天文台 ♪
 冒頭のこの部分しか覚えていなくて、「えーと、動物の人形がいろいろ出てきてたから、道徳の番組だったのでは」と思っていたが、ネットには理科の番組だったという情報があった。うーむ、私の記憶では、動物たちがけんかしたり、仲直りしたり、という内容だった気がするのだが……。歌詞は「大きなドームが笑う/ドームは月の話をする/大きくなってロケットで/広い宇宙へ行く話」と続くらしい。
 それはともかく、この歌によって、天文台とは山上にあるものだというイメージがインプットされてしまったので、初めて石垣島の天文台へ行ったときは、「おお、ここはまさに『山のてっぺん』ではないか」と感激した。天文台のある前勢岳は標高197mと、それほど高くないのだが、小さい山なので案外と道路のカーブがきつく、自分で運転しているのに車酔いしそうなほどだ。「石垣島のいろは坂」と呼びたい。
 東京・三鷹の国立天文台は「山のてっぺん」にはないが、科学記者のはしくれだったころは取材に行くのがとても楽しかった。遥かな宇宙についてレクチャーを受けるのは(難しかったけれど)、慌ただしく過ぎてゆく日々のなかで本当に心が躍ることだった。
 この歌には、何か澄明な喜びがあふれている。「胸に庭もつ人」は、sense of wonder を知っている人だと思う。「庭」は現実の庭と違って果てしがない。そして、いつも何かしら種が蒔かれ、いろいろな花が咲いたり、実がなったりしている。だから、結句の「天文台」ととても美しく響き合うのである。
 天文学者に限らず、科学者にはとても謙虚な人が多い。未知の世界が広大無辺であることを知っているからだろうか。人間や地球の小ささを知ると、人はやさしくなるのかな、と思う。

(写真は石垣島天文台の105cm光学赤外線望遠鏡)

☆佐藤弓生歌集『眼鏡屋は夕ぐれのため』(2006年11月、角川出版)
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2010年12月10日

寒さ

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  陽光が地上に割れる音のしてこの冬いちばんの寒い日となる
                        菊池 良子


 12月9日付けの八重山毎日新聞の新聞に、こんな記事が載った。
「石垣島地方は、大陸から入り込んだ寒気の影響で8日の最低気温が14・8度と、平年を3・4度下回る、この冬一番の冷え込みを記録した。街中では、長袖を重ね着する市民や観光客の姿が目立った」
 うーむ、14・8度で「この冬一番の冷え込み」なのである。実は、その前日、夕方のローカルニュースで、地元のアナウンサー2人がこんな会話を交わしていた。
「明日の予想最低気温は14度です」
「(うわ、という表情で)寒いですね!」
「(悲しげに)14度ですからねえ」
 東北や北海道の人が聞いたら、怒ってしまうのではないかと心配してしまった。
 他県から沖縄へ移り住むと、だいたい最初の冬は「あったか〜い」と嬉しくなり、寒がっている県人をあきれ顔で見る、というパターンらしい。そして2年目の冬からは、寒く感じるようになるというのだが、私はなぜか早くも20度を切ると「さむっ」と思うようになってしまった。順応性の高さなのか、もともと軟弱者なのか……。
 そんな中、6月にお隣さんからいただいたバナナが、ついに第1号の花を咲かせ、小さな実ができた。冬のバナナは夏に比べると実が小さいというが、かわいくてならない。花房ができてから120日くらいたたないと食べられないというから、楽しみに待とう。
 冬が快適なのは、昆虫諸君の活動がめっきり減ることである。湿度も低いので、あまりカビやサビの心配をしなくてよい。虫が減ったせいであろう、わが家のヤモちゃんことヤモリの諸君の姿を見ることが少なくなったのは、少しばかり寂しい。
 この歌の「陽光が地上に割れる音」というのは、ふつうに読めば、地面の水たまりが凍って、朝の光を鋭く反射している光景だろう。誰かが踏んで氷の割れる音がして、寒さを余計に感じさせる……。しかし、そうではなく、実際には聞こえない音を鋭敏な作者の耳がとらえた、と解釈してもいいかもしれない。ぴしりと緊まった大気に「割れる音」を感じても、妙ではないと思う。英語のcrisp は、晩秋から冬にかけての乾いた冷たい大気の状態も指すし、ぱりぱり、かりかりした食感のことも指す。私の好きな言葉である。

☆菊池良子歌集『河』(1996年3月、短歌新聞社)
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2010年12月03日

ショパンと指紋押捺

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<生まれたらそこがふるさと>うつくしき語彙にくるしみ閉じゆく絵本
                        李 正子


 ショパンは昔から好きな作曲家だが、崔善愛(チェ・ソンエ)著『ショパン――花束の中に隠された大砲』(岩波ジュニア新書)を読み、いっそう心ひかれるようになった。
 この本の著者は、在日韓国人として日本に生まれ育ったピアニストである。「はじめに」には、ショパンが祖国ポーランドを離れる直前に友人へ送った手紙が紹介されている。「二度と祖国に帰れないかもしれない」という悲痛な思いが綴られた文面を読んだとき、著者は非常にショックを受けたという。なぜなら、かつて彼女は、外国人登録に必要とされていた指紋押捺を拒んでいたため、「もう日本に戻れないかもしれない」という不安を抱え、北九州市から留学先のアメリカへ旅立った経験をしていたからだ。
 「指紋押捺拒否? 北九州?」……私は記憶を探った。最初に入った新聞社で校閲記者をしていたころ、ちょうど在日韓国人の指紋押捺拒否や氏名の読み方を巡る裁判があり、その中心的な人物がこの本の著者の父、崔昌華さんだった。留学中だった善愛さんも、指紋押捺を拒否し、1985年に出た判決で罰金1万円の有罪となった。再入国許可を申請しても受け入れられない状況となってしまったのだ。それは、侵略され続けていたポーランドを離れようとするショパンが味わったのと同じ悲嘆だったという。
 この歌の作者、李正子(イ・チョンジャ)さんも在日韓国人だ。「半島を越えきしものの息づきか烙印かゆびしめらせて指紋を押しぬ」という指紋押捺の歌も作っている。「生まれたらそこがふるさと」だと単純に考えられない状況、自分の生まれ故郷と祖先の生きた地が異なることへの複雑な痛みが込められている。
 私は押捺拒否の運動や裁判を直接取材することはなかったが、サツ回りのころ、放火現場に近づきすぎて所轄署で指紋をとられたことがある。「念のため」ということだったし、周りで捜査員たちも笑いながら見ていたのだが、あんなにも嫌なものだとは実際に経験するまで分からなかった。
 「革命」のエチュードやロ短調のスケルツォは、ワルシャワ蜂起が失敗に終わったころに作曲されたものである。そこには、“con fuoco”(烈火のごとく)という発想記号が書かれており、ショパンの絶望や怒りを読みとることができる。「ピアノの詩人」と称されるが、彼の音楽は決して抒情的なばかりではなく激しい情熱と苦悩がこめられているのだ。評論家の才もあった同時代のシューマンは、それを「花束の中に隠された大砲」と表現した。
 崔善愛さんの「ショパンの悲しみが自分の悲しみとして響いてきました」という言葉は重い。指紋押捺は撤廃されたが、歴史を乗り越えた解決はまだ実現していないと思う。

 ☆李正子歌集『ナグネタリョン――永遠の旅人』(1991年5月、河出書房新社)
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2010年11月26日

視覚と聴覚

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  ほの紅き兎の耳のびくびくと大きな声の男恐るな 

 岡南著『天才と発達障害』(講談社)を読み、ああ、自分が人の顔を覚えられないのは、視覚よりも聴覚が優位だからかもしれないと思った。本のサブタイトルは、「映像思考のガウディと相貌失認のルイス・キャロル」。先日のブログで、アスペルガー障害など発達障害の人と自分はそう変わらないと書いたが、この本は「だれにでも認知の偏りはある」というスタンスで書かれていて深く共感した。
 人によって感覚器の感度は違うが、ふつうはそれをあまり意識せず社会生活、家庭生活を送っている。しかし、視覚優位の人と聴覚優位の人では、同じ状況に置かれても感じ方がだいぶ違うというのだ。テレビの音量が大きいと感じるか否か、部屋の明暗や色調に敏感かどうか……著者の岡さんは「認知の違う人が同じ空間にいる場合には、互いの認知の偏りや違いを、具体的に理解することが必要になります。夫婦はもちろん、親子、兄弟姉妹の中にあっても、認知の違いはかなりあるものです」と述べている。
 で、どちらかというと私は音に敏感な方だと思う。絶対音感はないけれど、音程をはずしたコマーシャルソングなど聞くと気持ち悪くてならない。地下鉄のホームで、車輪と線路が擦れ合う音に思わず耳をふさぐことも多かった。また、テレビの音が大きいとそれだけで不愉快になってしまうし、駅頭で男性の怒号が聞こえると足がすくむ。この歌で「大きな声の男恐るな」と言っているのは、実際にはとても恐れているからなのだ。声の大きな人に悪気はないのだろうが、私は圧倒されてしまう。テレビの討論番組や国会中継を見ていても、声を荒らげる人は発言内容とは関係なく嫌いになる。
 その半面、他人がすごく気になるのに、私は平気ということも多々あるに違いない。この本では、視覚優位の人は映像で思考するため情報の同時処理が得意で、他人の理解が自分よりも遅いことに苛立つ傾向があると指摘されている。こういう人は空間認知についても得意だから、自分を含めた前後左右の空間を瞬時にとらえるのも簡単だ。
 ということは、視覚情報の処理が不得意な私が、運転中に相棒から「寄りすぎ、寄りすぎ!」と怒られたり、「さっきの標識、見てなかったの?!」と驚かれたりするのも当然なのである。相棒にいらいらさせられる一方で、私も向こうをかなり不愉快にさせているのだろう。気をつけなくちゃ! 普通の人同士のコミュニケーションも、互いの思いやりや我慢や忍耐で成り立っていることを思うと感慨深い。
 認知の仕方が違えば、学習や記憶の方法も異なるということも考えさせられた。学級崩壊のような事象は、小さい頃から膨大な視覚情報にさらされ、耳を澄ませて聴く訓練をあまりしていない子どもたちが増えたことによるのではないだろうか。子どもによって効果的な学習方法が異なるということを、もっとうまくクラス分けなどに応用できればいいのにな、と思う。
 皆さんは視覚、聴覚どちらが得意ですか? あるいは嗅覚??

☆松村由利子歌集『薄荷色の朝に』(1998年12月、短歌研究社)
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2010年11月19日

黒沢忍さんの歌集

『遠』

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 繊細にして大胆−−。そういう生き方に憧れる。そして、そんな歌をつくりたいと願っている。だから、この歌集を読み、とても心を揺さぶられた。

  昼と夜つくりし神のくちびるが幽かうごきて水面(みなも)をゆらす
  浅間山火口を満たす月光の嵩深ければねむるたましひ
  夏山のみどりにハッときづく朝 愛宕山こそ抹香鯨


 一首目は、「神のくちびる」の上下が「昼」と「夜」であるかのような見立てで、どきどきさせられる。そして、それが触れあうところとして「水面」がある。薄暮の中でかすかにゆらめく水面が、この上なく美しく表現されている歌だ。二首目は、火口に月光が満たされているというスケールの大きさと儚さに、うっとりさせられる。三首目の下の句には、もう脱帽するほかない。何とまあ語調のよく、大とかなフレーズだろう。敢えて言えば、上の句の「ハッと」が少しばかり古くさく、ない方がよかったと思うが、それはこの歌の本当に小さな欠点だ。「抹香鯨」の存在感には、ただただ舌を巻くのみである。

  葉脈がまだまだ弱いこの町に去年(こぞ)の秘密はいまだに漏れず
  おづおづと寒立馬(かんだちめ)の目のひらくとき見えてくるのは愛だとよいが


 この人の想像力は、何もかも飛び越える強さがある。謎と飛躍に満ちた一首は、人を陶然とさせる。町と葉脈、馬と愛……、分からないけれど分かりそうな感じに惹きつけられてしまう。こうした歌に比べれば、「千年をアルコール液に棲む蜥蜴ちひさきゆびを瓶に当てをり」なんていう歌は、ごくごく当たり前に見えてしまう。この蜥蜴の歌にしても、かなり細部にまで観察眼がゆき届き、巧者な作品なのだが。

  空からの雨の粒子に囲はれてきつとわたしはこはい顔です
  わたくしは灯台守の妻となりきみの一生(ひとよ)を狂はせたかつた


 自分にもわからない自己というものがある。また、「あったかもしれない自分」という無数の存在もある。たいていの人は、そんなものは見ないようにして日々の生活を送っているのだが、この作者はそれを凝視する。そこに詩が生まれる。
 「こはい顔」をしている自分は、何を思っているのだろう。怒っているのか、悲しんでいるのか。何の説明もないのだけれど、降りしきる雨の中、読者もまた険しい顔をしている自分を発見するに違いない。そして、心底なりたいものがあるとすれば「灯台守の妻」であったことも、しみじみと思うはずだ。それがなぜなのか、「わたくし」が「きみ」がどういう関係なのか、何も示されていないのだけれど、渇きにも似た思いで「きみの一生を狂はせたかつた」と思わされる自分がいる。

  ゆふやけがあんなにひかつてあれはなに あれは天使よかへつてゆくわ

 詩歌は日々の糧である。こんなにも人の心を慰め、豊かにする。自分の翼が心もとなくて、地上から1センチも飛び上がることができないとき、かろがろと夕雲のあたりまで連れていってくれる詩があればこそ、人生は楽しい。

 ☆黒沢忍歌集『遠(ゑん)』(ながらみ書房、2010年11月)
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2010年11月12日

お名前、何と…

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 お名前何とおっしゃいましたっけと言われ斉藤としては斉藤とする
                        斉藤斎藤


 今月7日、京都で開かれたシンポジウム「ゼロ年代の短歌を振り返る」の」パネルディスカッションに参加した。非常に盛りだくさんで、刺激的な内容だった。
 しかし、このシンポジウムのことはさておき、その後に私がとてもショックを受けたのは、「人の顔」に関する自分の認識力、記憶力があまりにも弱いことである。つまり、シンポの始まる前に、あいさつを交わして名乗り合ったにもかかわらず、その後の懇親会で「お名前、何とおっしゃいますか」なんて言ってしまい、激しい自己嫌悪に陥った。
 相貌失認かアルツハイマーの初期症状か、という感じである。捜査課の刑事になれないのはもちろんだが、私がもし鹿鳴館時代の社交界にデビューした上流婦人やヒラリー・クリントンのように、一晩のうちに知らない人数十人に会い、それを次の邂逅において見事に活かさなければならない立場だったら、致命的な欠陥になるはずだ。
 発達障害についての本を読んでいると、私にはそういう診断を受ける人が自分とあまり変わらないような気がする。ディスレクシア(失読症)も自閉症も、自分とちょっと方向が違うだけだ。人の顔がすぐ覚えられる人にとっては、私のような失敗は信じられないだろう。たぶん、私に二回も「お名前、教えていただけますか?」と訊かれてしまった人だってそう思ったに違いない。でも、本当なのだ。映画「グッド・シェパード」のマット・デイモンをディカプリオと思い込んでいたなんて序の口である。先日もYouTubeで「アメリア 永遠の翼」の予告編を見ていて「あっ、ハリソン・フォード?」と思ったら、リチャード・ギアだった。
 今回の失敗で、自分が洋服などを手がかりにして人を認識しているらしいことも分かった。ある人が懇親会の後にコートを羽織っただけで、数時間前にあいさつし合った人と同一人物だと分からなかったのだ。ああ!
 逆に私が得意なのは、漢字とか英単語のスペルを覚えることだ。大体ぱっと見て覚えてしまうので、学校の先生が「書いて覚える!」としつこく言うのが不思議でならなかった。多分そのせいだろう、きちんと記憶された人の顔は名前の文字と常にペアとなっていて、めったに間違えることがない。このため、自分が「村松」や「由里子」などに間違われると激怒するという悪い傾向もある。人の顔が記憶できない方がよほど問題なのに、他人の認識について自分を基準に考えてしまっている。
 そういうわけで、これからはもっと注意深く人の顔を観察しようと思っているが、引き続き失敗もするに違いない。どうぞ、そのときは「ああ、あの人はそういうたちだから」と許していただきたい。
 私が一番恐れるのは、何か重大な犯罪を目撃することである。犯人が「あっ、あの女に顔を見られた!」と目撃者の抹殺を目論むのが何よりもコワい。私はその人が何もしなくても十中八九忘れるのだし、別の服を着てしまえばもう絶対に分からない。どうかそんなことに巻き込まれませんように。

 ☆斉藤斎藤歌集『渡辺のわたし』(BookPark、2004年7月)
posted by まつむらゆりこ at 06:58| Comment(20) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年11月05日

ピアノ

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  切り揃ふ爪でなければ気が済まずピアノを遠く離れたいまも
                       松本 典子


 ネイルアートを美しく施した女性を見ると「素敵だなあ」と思うけれど、自分には絶対無理だと思う。私も、この歌の作者と同じように、爪を短く切り揃えていないと気が済まないたちなのだ。だいたい0.5ミリくらいになると切ってしまう。
 爪が伸びると気になってしまうのは、最初にピアノを習ったとき、指先で鍵盤にタッチするスタイルをよしとする先生についたからかもしれない。この弾き方だと、ちょっと爪が伸びると鍵盤と触れあってカチカチいうので、どうしたって気になってしまうのだ。
 ピアニストであり、優れた文筆家でもある青柳いづみこのエッセイ集『ピアニストは指先で考える』(中央公論新社)の冒頭は、「曲げた指、のばした指」と題した一篇だ。音大の学生やピアノ講座の受講生に、どちらのスタイルで習ったかを訊ねると、「のばした指3:2曲げた指」くらいの割合だという。手を鍵盤にのせたとき、「手のなかに卵が入っているような形にしなさい」と教わった私は、紛れもない「曲げた指」派である。
 青柳氏も指摘しているが、バッハやベートーヴェンを弾く分には、「曲げた指」はクリアな音が出しやすくてよい。ところがドビュッシーやショパンを弾くときには、断然「のばした指」の方が弾きやすい。広い音域を素早く移動するパッセージや1オクターブ以上の分散和音をなめらかに弾こうとすると、「曲げた指」では追いつかないし、音質も指の腹で鍵盤をタッチする「のばした指」の方がやわらかくなる。
 子どものころに楽器を習ったのに、大人になってからは遠ざかってしまったという人は多い。ピアノのような比較的ポピュラーな楽器でもそうだと思う。この歌の作者は、そのことを寂しく思っている。下の句のしんみりした思いに共感する人は少なくないだろう。私もずっとピアノと疎遠の生活だったが、今春引っ越してから少しずつ触れるようになった。弾いている音はまだまだ音楽にはほど遠いが、楽譜を見て指を動かし、耳で音を確かめるという作業は、脳のトレーニングのようで楽しい。
 この歌の作者も、いつかピアノが再開できますように。

☆松本典子歌集『ひといろに染まれ』(2010年11月、角川書店)
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2010年10月29日

本と子ども

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  子どもらと何話したか君が手に赤いインクのらくがきありて
                       奥山 恵


 昨日、地元の小学校で子どもたちに話をする機会があった。読書月間を締めくくる集会で、「本って楽しいよ」と題して、いろいろな本を紹介してきた。子どもたちの親も参加しての集会だったので、ちょっと緊張した。
 1年生から6年生まで14人の小さな学校である。何か訊ねると、すごく熱心に「はい!」「はい!」と手を上げてくれるのが、うれしくてたまらなかった。一番うれしかったのは、終わってから1人の女の子が「きょう、遊びに行っていい?」と話しかけてくれたことだ。「いいよ!」と返事したが、脇からその子のお母さんが慌てて「こんな嵐の日に…」とたしなめていらしたので、「お天気のいい日に、いつでもおいで」と言い直した。
 ああ、「きょう、遊びに行っていい?」という言葉の、何とまぶしいことだろう。小学校時代を思い出すと、思い出されるのは遊んだ記憶ばかりだ。自分の家に来てもらうのも楽しかったが、友達の家に行って、それぞれの家に違った匂いがあること、おやつもさまざまであることを知るのも面白かった。
 この歌には、「君はせんせい。初めての低学年担当。」という詞書が付いている。小学校教諭の「君」の手に何か書かれているのを見た作者が、学校での様子を想像した歌なのだ。子どもたちに慕われている若い男性教諭のやさしさと、彼を見守る新婚まもない妻の思いがこの上なくあたたかく表現されている。
 駆け出し記者だったころ、初めて小学校の取材に行ったときのことは、とてもよく覚えている。「あっ、小学校の匂いがする!」と感じたのだ。それは十数年ぶりに嗅ぐ、何とも表現できない甘酸っぱいような匂いだった。
 思い返せば、小学校の先生になりたい時期があった。いろいろあって新聞記者になったのだが、こんな形で子どもと関われるのは本当にしあわせなことだ。小学校の卒業文集に収められた私の作文「将来の夢」には、「本と子どもにかかわる仕事」と書かれている。思わず小学生の自分に「おまえが“子ども”だろう!」と突っ込みたくなるが、それはそれとして、会社を辞めて当時の夢を実現しつつあることに不思議な感慨を抱く。
 この歌の作者は、高校教諭として勤めながら、長らく児童文学の評論を書いてきた人だ。今春、学校を辞め、10月初旬に児童書専門店「ハックルベリー・ブックス」(http://www.huckleberrybooks.jp/)を開いた。「ゼツボウという言葉世にあるなれど「ラ」をかさねればひとは歌える」という、何度読んでも胸がきゅっと詰まるような、いい歌を作る歌人でもある。「本と子どもにかかわる仕事」の仲間になれたことが、照れくさくもうれしいのであった。

 ☆奥山恵歌集『「ラ」をかさねれば』(1998年12月、雁書館)
posted by まつむらゆりこ at 08:08| Comment(21) | TrackBack(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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